山行記録帳(2006)B
〜Yamazaki's Photo Diary 2006,B〜


 【山行リスト】
 長野市・旧真田町境の高遠山  旧真田町傍陽の寂峰〜オコウ山  またも好峰発見!〜鳩ケ峯
 寄道〜旧大岡村の城山(小松尾城址)  夫神岳へ久方振りの訪問  上田市室賀の寂峰〜飯縄山
 筑北村・松本市境の名峰〜大洞山  奥多摩の古典的名峰〜高尾山  坂城町・びんぐし山散策
 2年ぶりの訪問〜太郎山  間近に迫る浅間山の大迫力!〜黒斑山  信濃町・城山(割ケ嶽城址)
 北八ツ横岳と坪庭散策  偶然の訪問〜高山・よしの山  笹薮と格闘〜須坂市・米子山


 長野市・旧真田町境の高遠山
 4/9、この日も前日に引き続き、折角の日曜日なのに朝のうちは生憎の空模様で、山はどうもと思っていたところ… 10時頃になったら陽が射し始めたので、しめたと思い、例によってにわかに家を飛び出す。今日の目的地は、長野市と旧真田町(現:上田市)との境に位置する「地蔵峠」の西にある「高遠山」というマイナーな山。私としては地形図で山名を目にする度に気になっていながら、例によって登路が不詳であったことや、また自宅から距離的に比較的近く、今回のように時間的に中途半端な場合のために温存しておいたこと等から、今日までなかなか訪問の機会がなかった所。
 「新地蔵峠」から「山の神林道」に入り、途中の分岐は左へ。案の定、高遠山への道も標識も見当たらず。さらに約1kmほど走ると林道が下り加減になったので、バックで若干引き返したへんの適当なスペースに駐車。高遠山へは、ここから南に向けて樹林の中を稜線上まで登りつめ、後は最も高い峰を目指せばよいだけなのだが… そこは北側の斜面であるせいか、意外にも積雪が深い。それでもこの季節なら、ある程度固く締まった積雪かと思いきや… ツボ足で踏み込んでみたら、固いのは表面だけで1歩毎に膝まで踏み抜く有様。これじゃダメだと一旦車まで戻り、やむなくスノーシューを着用し再度登行開始。と… さすがは文明の利器、今度は順調に進行し、難なく稜線上へ。頂上はそこから左へわずか登った所にあった。
 頂上周辺は陽が当たるせいか積雪はなく、代わりに丈の低い熊笹が繁茂していた。樹林に囲まれた静寂な頂上だが、それでも樹林の切れ間から、近くの奇妙山や保基谷岳、また遠く高社山などが望まれた。特に道形らしきものも見当たらず、人気のほとんどない、私好みの良き山であった。







 旧真田町傍陽の寂峰〜オコウ山
 4/16、旧真田町(現:上田市)傍陽(そえひ)にある変わった名の山「オコウ山」に訪問。この山、前週に登った高遠山の南東に位置しているものだが、たまたま高遠山近辺の地形図を見ているうちに偶然目につき、そのあまりに変わった山名ゆえに、以後ずっと気にかかってきたものだ。
 期待を胸に抱きつつ、早朝自宅発、長野市・旧真田町境の「新地蔵峠」から4kmほど南に下った「松井新田」の集落あたりで、山の神の祠の脇から北に分かれる林道に進入。しばらく進むと、そのうち旧地蔵峠方面に延びる「一の沢林道」の入口ゲートに突き当たったが、その手前から右に別の林道が分れているので、これに乗り入れる。さらに600〜700mほど走ると作業小屋らしきものが右手に現れ、そのすぐ先で右手に山林作業道らしきものが上がっているのを見出したので、ここが取付点と見当をつけ、作業道の入口にバックで駐車、以後は徒歩でその山林作業道をたどる。
 作業道は多少薮がちながら、歩行には支障なし。もっとも長くは続かず、そのうち道形は薄の枯穂の下に消失。以後は道もない落葉松林の中の、熊笹の茂る急斜面の登行を余儀なくされたが、それでもここの熊笹は比較的丈が低く、案外進行に苦労することもなくて幸い。奮闘数十分の後、頂上から西に派生する稜線上に出ると、大分薮も薄れて一気に歩きやすくなり、道らしい道もない山の割には、特に薮漕ぎの印象もないまま頂上着。
 頂上は明るい笹原で、樹間に美ヶ原方面などが見渡せ、周囲には越冬個体らしいヒオドシチョウが長閑に舞う好感の持てる場所だが、それにしては付近に標識も目印テープも目につかず、ほとんど人気のないのが意外。この点、前週の高遠山同様、原始の色濃い私好みの良い山だった。







 またも好峰発見!〜鳩ケ峯
 4/23、坂城町と旧真田町(現:上田市)の境にある「鳩ケ峯」に訪問。私が山を始めてはや25年以上、いまだに、こんな近い所に、こんな良い山が… と思わせられるような山に続々と出会っているが… 今日の鳩ケ峯もまた、文句なしにそんな良き山の一つとなった。
 殊に良かったのは、事前の予想をはるかに上回る、山中や頂上からの展望だ。登り口の「和平高原」から鳩ケ峯へと向けて南にたどってゆく稜線上からは、西にかの雄大な北アルプス連峰が見渡せ(注:これは実は「列状間伐」のおかげ)、また頂上直下で後ろを振り返ると、戸隠連峰の西岳あたりの山並みが樹間に、さらに頂稜上に出ると、今度は間近に烏帽子岳や四阿山・根子岳などの雄姿が双眸に飛び込んできたのだ!
 登り口までは、長野市・旧真田町境の「新地蔵峠」から2km少々南に下ったところで右に分れる林道に入り、途中の分岐は左(坂城町方面)へ。さらに1kmほど走り、坂城町と旧真田町の境の峠に出ると、そこが登り口で標識あり。ちなみにそこは鏡台山への登り口も兼ねており、北に行けば鏡台山、南が鳩ケ峯だ。もっとも鳩ケ峯への道は現在整備中のようで、途中標識が良く整備されている割には一部笹薮の深い箇所もあったが、それでもルートを示すビニールテープ等の目印は、道を誤りようもないほどに丁寧に付けられており有難かった。その間、行くみちみち我が眼を楽しませてくれた展望の素晴らしさは前述の通り。実際、これほどの山を地元がただ放っておく筈もなく、近日、立派な登山道が整備されることだろう。
 結局、登り口から1時間半ほどで頂上着。やや曇りがちの空の下ながら、頂上に立った私の心が晴れ晴れとしていたのは言うまでもない。







 寄道〜旧大岡村の城山(小松尾城址)
 4/23、前項の鳩ケ峯への訪問後、私は所用で家族と共に松本方面に向かった(注:もともと判っていたので、鳩ケ峰へは早朝のうちに家を出て登り、午前中のうちに自宅に戻った)が、その帰り、国道19号線を北上してきて、旧大岡村の川口あたりにさしかかった際、ふと、そのすぐ右手にある山のことが気にかかり、ちょっと偵察してきてみたくなった。その山とは、実は私はその時点で山名すら知らなかったのだが、この近辺を通りかかる度に、頂上に何やら意味あり気な建物のあるのがよく見えることから、かねて気になっていたものだった。まだ時間もあるし、この際、一体どんな所なのか、間近に目にして確かめてみたいという衝動にかられ… 女房の同意を得て早速、川口から北小松尾集落方面への道に入った。
 と… やがて北小松尾集落の手前まで車を走らせたへんで、はじめて頂上に見えていた建物が神社の社殿であることが判明。さらにわずか進んで集落内に入るとすぐ「小松尾城跡」という標柱が目に入り、側面の説明を見ると、この周辺は川中島合戦当時の狼煙台として重要な役割を果たした古い城跡で、「うわ堀」「した堀」「馬ならし場」「西小屋」など、城郭に関係する地名が伝えられているとある。
 この事実を知ると、私はどうしてもここに登ってみたくなり… 登り口まで乗りつけるや長男と次男を伴って一気に頂上まで駆け上がった。頂上には「住吉大神社」の素朴な社殿あり。また周囲を見回すと… 前衛の山の向こうに北アルプス連峰、それに普段あまり目につかない、奥裾花の名峰・東山なども望まれ、短時間の山とは思えぬ好展望! 思わず歓声を発する我々の周囲には、アカタテハたちが優雅に舞い競っていた。







 夫神岳へ久方振りの訪問
 4/30、家族全員で、上田市と青木村の境にある名峰・夫神岳に訪問。この山、私としては、実は既に何度も登頂している山であり、かつ久々に比較的名の知れた山への訪問となるのだが… 今回あえてここを目的地に選定した理由は、どうもこのところ、天候や道の整備状況など諸般の事情により、家族同伴での山行が不調だったからで… 最近の私の寂峰趣味で、また様子のよく判らない山を目的地に選定した場合、またぞろ薮とか悪路の突破を余儀なくされる恐れが多分にあり、あまりそんなことを続けていて、しまいに家族が山に同行してくれなくなってはまずいと思ったので(!)、ここらで良き山の印象を改めて家族らの脳裡に植えつけておくべく、勝手知ったる夫神岳への訪問を思いついた次第。
 そこで、別所温泉から林道を行ける所まで上がり、東屋のあるあたりから徒歩で頂上へ。この山、上田側からは三角錐状の結構美しい山容を見せており、こうした山ほど実は登りがやや急なのだが… それでも「岳の幟」の祭事などで比較的名が知れている山だけに、道はしっかりしているし、また所要時間的にもさして長くないのが、幼少の子供同伴には嬉しいところ。途中、長女が若干ぐずった他には問題なく、全員無事登頂。
 いつも2基の石祠が出迎えてくれる頂上は、陽当りの良い明るい草付きで、展望も良く、家族で憩うには格好の場所。春の使者であるキアゲハやヒオドシチョウなどが優雅に舞い競う長閑な雰囲気の下、早速、家族に軽食や飲み物を提供し、しばし談笑。私は、無邪気にはしゃぎ回る子供の姿を眺めつつ… どうにか良き山の印象を改めて家族に植え付けるという目的を果たせたことに、一人密かに胸を撫で下ろしていた。







 上田市室賀の寂峰〜飯縄山
 4/30、前項の夫神岳への訪問後、まだ時間があったので、私は女房の同意を得て、付近にある「飯縄山」の「偵察」をすべく、上田市の室賀方面に車を走らせた。この山、信州に多い同名の山の一つだが、例によって事前情報が皆無に等しく、自分自身の目で状況を確かめたかったのだ。
 そんな訳で、とにかくこの山の北側山麓の上室賀方面に車を走らせ、室賀温泉「ささらの湯」への道に入り、さらに飯縄山方向に延びていそうな車道にあてずっぽうに進入すると… そのうち何と「飯縄山林道」の標識を見出した。目指す山の名が付いた林道なら、必ずや同山に可能な限り接近できるはずだと期待し、さらに車を走らせ、途中、落石箇所も強引に突破して、どうにか上田市と青木村との境の峠に達した(注:もっともこの峠、実は青木村側の管社集落あたりから上がればずっと近かったと後で知った)。そこは位置的に、目指す飯縄山の西側にあたり、後はここから稜線伝いに頂上まで行けるかどうかだ。私は「偵察」の効果を最大限にすべく、女房には「15分ほどで戻る」と言って、試みにその稜線に踏み込んでみた。
 と… 決して良い道というわけではないが、踏跡は一応稜線上に続いている。私は嬉しくなり、ついつい先へ先へと歩を進めていくうち… いつしか頂上に続く最後の登りの直下に達してしまった(!)。こうなるともういけない。私は最早、我が心身に湧き上がる衝動を抑え難く… ついに眼前に立ちはだかる雑木の薮がちな斜面に突撃躍進、奮闘の後にこれを突破、さらに平坦な頂稜をたどり、とうとう頂上に達してしまった。そこは三角点標石がある以外、例によって標識一つなく、樹林に囲まれ展望もない地味な場所。それでも最近寂峰趣味の私には十分満足できる場所だった。
 なお、峠からの往復所要時間は、結局1時間半近くも要しており(!)、私が車に戻った後にどんな目に遭ったかは御想像にお任せする。







 筑北村・松本市境の名峰〜大洞山
 5/3、筑北村(旧本城村)と松本市(旧四賀村)との境にある知られざる峰、大洞山(おおほらやま)に訪問。この山、私にとっては実は今年1/22に青木峠近くにある大沢山に登った後、付近の地形図を見ていて偶然山名を発見したもので、その密集した等高線の様子からして結構堂々たる山容の山であることが一目瞭然であったことから、以来、ずっと訪れてみたく心に留めてきた山。もっとも例によって登山道不詳ゆえ、とにかく国道143号線の「会吉トンネル」付近に車を走らせ、トンネルのすぐ西側の空地に車を駐め、そこから稜線伝いに西進して登ってみようと見当をつける。
 登り始めてすぐ、付近に何やら動物の気配。姿は見えねど、どうも猪らしい。反射的に手にしたスティックを剣付銃のように構え、息を潜めてその場を通過。どうも今年の2/25に篠山で実際に遭遇して危うく突っかけられそうになってからというもの、単独行下での恐怖感が増したものだが… そんな不穏な雰囲気も、急登を登りつめて上部まで行くと、明るく見通しの利く広葉樹林の落葉を踏みしめながらの爽快な登行に。急登が尽きてわずか西に進むと、突然眼前にマイクロウェーブの反射板が出現して驚いたが、その柵の縁まで登って周囲を見回すと… 見えるわ見えるわ、西方にひときわ立派な常念岳はじめ、穂高連峰、蝶ケ岳、大滝山、鉢盛山、中央アルプス連峰、浅間山…! そこから北西にわずか進んだ所が三角点のある頂上で、ここはさすがに樹林に囲まれていたものの、それでも北側の稜線をわずか下りてみると、列状間伐の切れ間から、今度は後立山連峰や白馬連峰などの白銀の連嶺が…! いや、かくも展望に優れた山だったとは! またしても我が秘蔵の好峰発見。これだから寂峰巡りは止められない。







 奥多摩の古典的名峰〜高尾山
 ゴールデンウィークもいよいよ本番、私など久々の「山登り」の稼ぎ時だと皮算用していたものだが… 現実はそううまくは行かず、5/5の「こどもの日」は家族サービスで首都圏の某テーマパークに行かねばならないハメとなった(!)。山とはまるで正反対の都会の喧騒の中に身を置くこととなり、これもまた自ら選んだ人生の巡り合わせの結果だと割り切ってはみたものの… その日の宿に入り、折角こっちに来ているのだから、この機会を利用して、明日はどこか楽な所なりと一つ位は山に立ち寄って帰りたい、などと思ってしまったあたりが、どうも「山登り」の因果めいたところ。
 で… にわかに思いついたのが、東京近郊の最もポピュラーなハイキングの山として有名な高尾山。ここなら幼少の子供同伴でも安全だし、時間的にも無理がなさそうなので、翌日の5/6、早速国道20号線伝いに同山の山麓へと車を走らせる。本来ならそこからノンビリ歩いて登ってみたかったところだが、時間的制約と子供同伴という条件ゆえ断念、ケーブルカーを利用して「高尾山駅」へ。後は徒歩で頂上を目指す。
 まずは山門をくぐり灯篭が立ち並ぶ杉並木の道をたどって「薬王院有喜寺」へ。古来より「飯縄信仰」に基づく修験道の道場として有名な所とのことで、この点、我が郷里長野の名峰飯縄山にも通じるものがあり興味深し。頂上は薬王院奥の院のやや先にあったが、さすが首都圏に近い手頃な山だけに、頂上周辺はハイカーで大混雑。また「十三州見晴台」の展望も、春霞ゆえに今一つだったが… それでも傍らの林床に目を移せば、折しも盛りのシャガやチゴユリなどの清楚な花々が愛らしく、この山が今も変わらぬ人気を保っている理由の一端を垣間見たような思いがした。







 坂城町・びんぐし山散策
 5/14、このところの不順な天候もようやく一段落したような晴天下、家族サービスも兼ねて坂城町の「びんぐしの里公園」にドライブ、そのついでに、同公園の温泉施設「びんぐし湯さん館」のすぐ裏手にある小山「びんぐし山」に、家族と共にノンビリ散歩。この山、今年の2/5に訪問した「前山」(注:狐落城址のある峰)の北の端にぽこっと小高く盛り上がっている山で、標高はわずか519mという優しい里山だが、それだけに、山中にはマレットゴルフコースなどが整備されていて、今や付近住民の格好の憩いの場となっているようだ。
 キアゲハ、キチョウ、ベニシジミなどが舞う長閑な道を、ほんの10〜15分も登ると、お稲荷様の祀られている頂上に到着。樹間に千曲川対岸の五里ケ峰などの眺めがよい、里山らしく落ち着いた雰囲気の場所。「山」としては少なからず物足りない面もあるが、その代わり、家族連れでのレジャーにはもってこいの場所。下りた後すぐに「湯さん館」で一風呂浴びていけるのも嬉しいところ。森林の癒し効果などが注目されている今日、身近にあるこのような場所をこそ、大切にしていきたいものだと思う。






 2年ぶりの訪問〜太郎山
 先の「びんぐし山」への訪問後、「びんぐし湯さん館」で一風呂浴び、ついでに食事も済ませて、我々は車に乗り込んだが、天候は相変わらず晴天、また時間もなお十分。となると、さすがに先刻の「びんぐし山」だけでは、折角の休日がもったいない、というわけで… どこか近所で手っ取り早く登れそうな山はないかと思案の上、にわかに勝手知ったる太郎山への訪問を思いつく。
 早速、坂城町側から延びる林道に車を走らせ、適当な所に駐車してノンビリ登り出す。2004年の同時期に訪れて以来の訪問だが、その際ははからずも不快な登山客に出会い、ひどく気分を害して下山するハメになったものだった(→関連記事)。今回はどうだろうか…?
 当時と同様、足元に咲き誇るスミレの花などを愛でつつ、太郎山神社経由で頂上に出た。そこで私が無意識のうちにまず探したのは、いつも微妙に異なる表情で出迎えてくれる(ような気がする)、あの素朴なお地蔵様。それは今回もまた、これまでと変わらぬ様子で我々を出迎えてくれた。そういえば、2年前には幼い我が長女が、このお地蔵様の横にちょこんと座って、何となく御機嫌そうだったのを思い出す。
 我々はしばし、明るい草付きの頂上を歩き回りつつ、家族写真を撮ったりしながら憩いの刻を過ごしたが… 幸いなことに、今回は特に不快な連中は登って来なかった。おかげで我々は、この山の長閑な雰囲気を、今度こそ心ゆくまで満喫することができた。







 間近に迫る浅間山の大迫力!〜黒斑山
 5/21、家族全員で、浅間山外輪山の代表格である黒斑山に訪問。この山、私にとっては十数年ぶり2度目の訪問になるのだが、前の訪問時に、この山の頂上から間近に接した活火山浅間山の迫力たるや、今も鮮烈な印象として脳裡に焼きついているほど素晴らしいものであったことから、私としては是非その光景を家族にも一度見てほしいと思い、実は既に数年前から再訪の機会を伺っていたのだが… はからずも肝心の浅間山が平成16年に噴火したため、当分の間近づけなかった上に、その後噴火が終息し状態が落ち着いてからも、出掛ける度に何故か天候が思わしくなく、御本尊の浅間山は雲の中、というような状況が続き、なかなか良いタイミングを得られないまま、今日に至ってしまっていた。
 それが、この日は、前日の不安定な天候が嘘のような晴天で、気候も温暖。これは今日しかない、と頭にひらめくままに、家族を誘って自宅発。登山口の「車坂峠」から、往路は前回の訪問時と同様「表コース」を選択。道は人気コースらしく良く踏まれて歩き易く、途中の急登も難なく乗り越え「槍ケ鞘」へ。と、見えた、見えた。例の懐かしい浅間山の雄姿! 折しもここで子供達が腹が減ったと騒いだので、昼食を兼ねて休憩。眼前に大きく迫る浅間山の、頂上付近に白煙をたなびかせる美しく神々しい姿を眺めながらの昼食とは、何と贅沢な食事であったことか!
 昼食後、「トーミの頭」を経て頂上着。ここからは眼前の浅間はもとより、外輪山の火口壁の凄まじい様相も見物。これら世の常ならぬ光景を目の当たりにした家族の反応は一様に「凄い!」の一語であったが、音に聞こえた危険な活火山が、あまりに間近にあるためか、女房あたりはさすがに多少落ち着かない様子だったので… 今回はあえて長居はせず、無難に「中コース」を下山。







 信濃町・城山(割ケ嶽城址)
 今年の5月は例年になく天候不順な日が多く、この週末もまた、曇天の中、時折雨がぱらついたりするような状況で、5/28も昼頃まで待機してみたが、相変わらず天候好転の兆しは見えず… ついに観念して、雨に降られても大して濡れずに済みそうな山への訪問を決意。
 で… にわかに選定した目的地は、信濃町にある城山(割ケ嶽城址)。この山、私にとっては昨年、同じ信濃町にある薬師岳に訪問した帰りに、その端整な姿を目にして以来、ずっと心の片隅にひっかかっていたところ。また戦国時代の山城址の山でもあり、最近の私の山行趣味にも合致する山ゆえ、今回のような場合の訪問先としては、まさしく願ったり適ったりの山。ところが… いざ山麓に車を走らせてみると、付近に適当な駐車場所がない。しばし右往左往した末、「姫の泣き石」なる案内看板のある近くのスペースに駐車し、スティック代わりに傘を片手に、ようやく歩き出す。
 まずは件の「姫の泣き石」を見ていく。昔、合戦で父と恋人を失った姫が悲嘆にくれて泣き暮らした果てに石と化したとのことで、そのため今も表面が濡れているのだとか。今も昔も戦争というのは、表面の華々しさの陰に、このような哀話を数知れず生じさせずにはおかない。それだけに、こと実戦歴のある山城址への訪問に際しては、いつも若干の緊張感をおぼえるものだが、実はここ割ケ嶽城址にも、かつて武田・上杉の一連の戦いの過程において落城の歴史があるといい… いつにもまして気分は厳粛なものとならざるを得ず。それでも、そんなどこか薄暗いイメージの山中にあって、足許にいくつも目についたチゴユリの花々は、どんよりした空模様の下、あたかも小さい妖精の群れでもあるかのごとくに美しく、印象的であった。







 北八ツ横岳と坪庭散策
 6/3、起床し外を見ると、久々に比較的良好な週末の空模様。この折角の機会を逃すまじと、にわかに一つの山行を思いつき、家族と共に自宅発。今回、目的地に選定したのは北八ヶ岳連峰中の一峰である「横岳」。この山、南八ツの同名の山と区別するため、一般に「北横岳」と呼ばれている山で、「ピラタス横岳ロープウェイ」を利用して「坪庭」まで上がれば、幼少の子供連れでも比較的安全な登山が楽しめる上に、標高も2,480mとそこそこに高く、頂上周辺の雰囲気や展望も良好という好峰であることから、家族連れでの自然体験には、この上ない絶好の場所といえる。
 ところが… いざ行ってみると、これが案外、アプローチの段階から肝心の登山以外の面でのトラブルが続発し(注:いずれも主として子供達の失態に起因するもので、あまりにもクダラナイ話ばかりゆえ、ここでは詳述は避ける…)、かなり時間をロスした上、やっとの思いで坪庭から「北横岳ヒュッテ」まで上がってみると、そのすぐ先の北横岳頂上への最後の登りの取っ掛かりのへんに結構残雪があり、家族はそれを一目見て、皆一様に「ここで待ってるから、お父さん登ってきて」と言い出す始末(!)。実際には、残雪はほとんどその箇所のみであったのだが、それでも帰りの時間の心配もあったので、ここはやむなく私のみ頂上を往復することとし… ヒュッテからほんの15分程度で、私にとっては都合3度目の頂上に立つ。
 そこからは、何といっても間近に迫る蓼科山の姿が印象的だが、それは実は初回登頂時の私に、近日の同山への山行を決意させたという、私にとっては思い出深い情景。むしろ一人での登頂が、そんな過去の回想に耽る分には好条件だったとは、いささか皮肉な結末ではあった。







 偶然の訪問〜高山・よしの山
 6/4、この日は午前中に野暮用があり、午後のみの勝負。こんな場合の常で、特に目的地も決めぬまま、とにかく志賀高原の方角に向けて車を走らせる。と… 須坂市の亀倉あたりにさしかかった時、ふと、破風岳・土鍋山方面から西に派生する米子川と灰野川に挟まれた尾根上に、結構顕著に目立つ2つの峰々があるのが目についた。私はその時点で、それらの峰々の名すら知らなかったが、最近の癖で、里山でも少し気になる峰が目につくと、何でも登ってみたくなってしまうので… 当然、にわかにそれら峰々への訪問を決意。
 問題は登山ルートだが、まずはとにかく試みに「豊丘ダム」方向へと車を走らせてみた。と、じきに「林道栃平線」に入り、途中でダム方面への道と分れ、さらに右へ少々上がってみたところ、何と、林道は目的の2峰のちょうど中間あたりを通過していることが判明、しかもそこに送電線巡視路の入口まであったのだ! 取付点としては、これ以上絶好の地点はないので、迷わずその付近に駐車、まずは西側の峰から訪れてみることに。
 踏み込んでみると、尾根上には案外明瞭な踏跡あり。露岩もあるやや急な登行しばしで、三角点のある頂上に到着。樹林に囲まれ展望はないが、付近にミツバツツジの花々が見られ明るい雰囲気。ややあって一旦、駐車場所に戻り、次いで送電線巡視路を利用して東の峰に登行。途中、送電線鉄塔を突っ切り、さらに露岩もある稜線を登りつめると、原始色濃い頂上へ。樹間に根子岳などが望まれる、静寂で好感の持てる場所。
 下山し、麓で地元の人に聞くと、西の峰が「よしの山」、東のやや高い峰は「高山」というとのこと。地形図上は山名も道の記載もない山々ながら、目立つ山容だけに、地元にはちゃんとそれらの呼称あり。大体そんな山々の中に意外な好峰が隠れているもので、ここもまた然りであった。







 笹薮と格闘〜須坂市・米子山
 6/10、須坂市にある寂峰、米子山に訪問。この山、実は私は先週「高山」と「よしの山」に偶然訪れ、帰宅後に付近の地形図を見るまで全く知らなかったのだが、地形図上で見る限り、標高は先の高山などより高く、三角点もあり、また山容的にも結構堂々としている山であることから、一目ですぐ行ってみたくなってしまったものである。問題は取付点だが、先の高山などへの登り口よりも「栃平林道」をさらに東にたどったへんで、米子山から西に延びる尾根上を林道が横切る地点があり、そこから尾根をたどれば傾斜も比較的緩く、登りやすそうに見えたので、それを試みてみることに。
 あらかじめ見当をつけた取付点から、早速尾根上に踏み込んでみると、意外や、結構明瞭な踏跡がついている。しめた、これなら案外楽に登頂できそうだと気楽になり、足許にひっそりと咲くササバギンランの花などを愛でながら歩いていったが… 数百m進んだへんから、どうも話がおかしくなった。進路上に熊笹が出始め、次第に笹薮漕ぎの登行となり始めたのだ。それでも私は以前、これより奥の「奇妙山」(米子)に、やはり同様に笹薮を漕いで登頂した際、熊笹の丈は比較的低くて、存外楽だった経験から、ここの場合もさして大したことはあるまいと思っていた。ところが…
 気がついたら、私は、胸まで没しそうな笹薮漕ぎの真っ只中にいた。ほとんど登る人もないとみえ、最早踏跡も明確でない。やれやれと思ったが、来てしまったものは仕方ない。強引に熊笹をかきわけながらの登行数十分、ようやくにして埃まみれで三角点標石のある頂上に躍り出ると… 何とそこに私を出迎えてくれたのは、清楚なツマトリソウの花々!(注:それも、この山行中、ここでしか目につかず)。私は少なからず意外な感にうたれつつ、また、ここまで登ってきて、この花を目にする者は、果たしてどれほどいるのだろう…? などと、しばし汗と埃を払いつつ感慨に耽った。