山行記録帳(2015)
〜Yamazaki's Photo Diary 2015〜


 【山行・自然観察リスト】
 2015年最初の山〜皆神山  ふと思い立ち〜長野市若穂の天王山  歴史探訪の一環で〜長野市大室の離山
 もう一つの「離山」〜長野市清野の離山  「古の雰囲気」に触れる里山散歩〜金井山ほか
 今度は純粋に「山」を堪能〜岩蕈山  ここもいずれ「廃墟」と化してしまうのか?〜大峰山(大峰城址)
 気分直しに〜戸屋城址と春日山城址  前週に引き続き山城址訪問〜陣場平山(葭雰神社砦址)
 またまた山城址へ〜吉窪城址  もう一つ山城址〜富士ノ塔山(富士ノ塔砦址)  今度は「自然観察」〜三峯山
 可憐な野草の花々〜高ボッチ山  蝶の観察2015〜コヒオドシなど


 2015年最初の山〜皆神山
 1/1、長野市松代の「皆神山」に、今年もまた「初詣」を兼ねて訪問。
 私にとって、元日にここへ訪問することが、すっかり恒例化してしまった。この山の頂上付近に鎮座する「皆神神社」は、私の家の所在地とは特別強い結びつきがあるわけではないのだが、ここ数年来、元日の訪問を続けてきたせいか、いざまた元日が巡ってくると、習慣的にどうもここに訪れないと気が落ちつかない。
 それで、今年も訪れることにしたのだが… 今年の場合、前年大晦日の晩から雪が降り積もり、寒気が厳しかったので、山上に安全に通行できるか多少不安ではあった。然るにいざ訪れてみると、道はしっかり除雪・融雪されていて、四輪駆動車なら特に問題ない程度のレベルであった。もっとも、そんなコンディションだったせいか、例年なら初詣客で結構賑わっている山上も、今回はさすがに少々閑散としてはいたが。
 天候が天候だけに、頂上から飯縄山などの展望も得られなかったが、その代わり、頂上付近の皆神神社境内の雰囲気には、より一層「下界」とは隔絶した神々しさが加わった感があり… その時々の状況に応じ、異なった表情をみせてくれる「山」というものの良さを、今更ながら実感できた一時であった。







 ふと思い立ち〜長野市若穂の天王山
 3/7、ふと思い立って、長野市若穂の「天王山」に訪問。
 この山、太郎山から派生する尾根の末端に位置し、ピークというよりは尾根上に祀られている「功霊殿」の境内という感が強い場所だが、その「功霊殿」前からの善光寺平の展望はなかなか雄大で、しかもそんな眺めに手軽に接することができるという、私にとっては愛着ある「山」だ。
 そしてこの日も… 曇り加減で周囲の山々の眺めが今一つだったとはいえ、オリンピック関連施設など長野市の主要施設の多くを俯瞰でき、肌寒い中にも爽快な一時を楽しむことができた。
 思い立てば、すぐ気軽に訪れることのできる、こんな優しい里山が身近にあるというのは、つくづく幸せなことであると、今更ながら実感させられた次第。






 歴史探訪の一環で〜長野市大室の離山
 3/21、長野市大室にある「離山」に、同市内の歴史探訪の一環として訪問。
 この「離山」、「山」というよりは、ちょっとした「丘」といった方が似つかわしい程度の小さい「山」で、尾根からそこだけ島のように分断されているところから名づけられたものであることは疑いない。そうした一風変わった場所を、昔の人はさすがに見逃さないもので… ここの場合も例外でなく、山腹には「高井大室神社」が祀られ、また頂上には「御嶽山大神 八海山大神 三笠山大神」の石碑が安置されている。
 ちなみに私の「山登り」は、実のところ元々、歴史探訪で山城址などに訪れていたところから「派生」した趣味であって、最初からのものではないので、ある意味、今回のような訪問形式は、私の本来の姿といえるかも知れないが… 今回の場合、単なる「歴史探訪」のみにとどまらず、思いがけずニホンカモシカと相当時間にわたり対面できたことが、最近の私の自然観察趣味に適っていて嬉しかった。なお、この「自然観察」趣味は「山登り」から派生した趣味ときていて… どうも世の中、趣味一つとっても、色々複雑なのだ(!)。






 もう一つの「離山」〜長野市清野の離山
 3/28、長野市松代町清野にある「離山」に、またまた同市内の歴史探訪の一環として訪問。
 この山、先に(3/21)訪れた同市大室の「離山」と同様、象山から延びる尾根から島のように分断された一角で、例によって山上には神社(「離山神社」)が祀られている。この点、大室の「離山」と大変よく似た「山」なのだが、実は私、こちらの「離山」には、意外にもこれまで訪れたことがなく… 先日大室の「離山」に訪問したのを機に、今回初めて訪れてみることとしたものである。
 鳥居をくぐり、少し上がると… まずもって、眼前に姿を現す「離山神社」の「懸崖造り」の社殿を見上げて一驚。おお、これはいかに、こんな立派な建物のある地を、同じ長野市内に住む身ながら、これまで知らなかったとは…! と感嘆しつつ、社殿前まで上がって、とりあえず参拝、次いで社殿内部を覗くと、正面の懸額に「諏方大明神」とあった。長野市に多い諏訪の流れをくむ多くの神社と同様、ここもどうやら諏訪の神様が勧請されたものらしい。






 「古の雰囲気」に触れる里山散歩〜金井山ほか
 この数週間、3/21、28と、二つの「離山」に訪れたりしている中で、私にはこのところ「自然観察」の方に気をとられて、いささか関心が薄れがちだった「歴史探訪」への興味が、にわかに高まってきた。
 で… 4/4、この日は、身近にある里山の「古の雰囲気」に触れてみたく、気の向くままに、そこかしこを歩き回ってみることに。
 まず訪れたのが、長野市寺尾にある金井山。釣り客の絶えない麓の「金井池」脇の登り口から、しばし上がると、ほどなく展望の良い尾根上に。そこからは先日(3/7)訪れた若穂の天王山と同様、善光寺平の眺めが良好。また行くみちみち目につく、石造の神像や不動明王などの素朴なたたずまいに、正に狙い通り「古」を感じることができて心地好い。
 山城址(金井山城址)や古墳もある山上の雰囲気を、しばし楽しんだ後、私は同山を後にし、次いで東寺尾の城山(赤塚山)山腹の「愛宕社」や、松代町東条の奇妙山山腹にある「清滝阿弥陀堂」にも訪れてみた。いずれも以前、何度か訪れたことがある場所ではあるが、改めて訪れてみての印象には存外フレッシュなものあり。特に「愛宕社」では大きくて真っ赤な天狗面の額に、また「清滝阿弥陀堂」では、背後の特徴的な節理の岩肌に、その名のごとく清く立つ「清滝」の水しぶきの爽快さに、それぞれ強く心惹かれるものがあった。おそらくは「古」の人々も、これらを目にして多かれ少なかれ、私と同様な感慨にとらわれたことであろう。







 今度は純粋に「山」を堪能〜岩蕈山
 年明け以来、歴史探訪の延長線上にあるかのような山歩きが続いていたが、そうこうしているうち、また季節は巡り、待望の自然観察に好適な時季がやってきた。
 そこで5/24、今度は歴史探訪という発想にはあえてとらわれず、純粋に「山」を楽しもうという気分で、また、どうせならこれまで自分の訪れていない山へ… というわけで、白馬村にある「岩蕈山」をにわかに選択し、訪問。
 この山、「山」としてよりは、むしろスキー場としての方が有名であろうから、スキーのできる人なら、例えば野沢温泉の毛無山のように、頂上に立っている人は案外多いと思うが、私のように長野県人かつ「山登り趣味」のくせに、スキーができないという珍人種にとっては、存外「遠い」山で… なかなかこれまで訪れる機会を得られないでいたものである。
 山麓の「どんぐり村別荘地」あたりから、ダートな林道を車で行ける所までたどる。後は二本の「足」を頼りに高度を上げていき、やがて開放的なスキー場のゲレンデに出ると、西の方に白馬三山をはじめとした、まだ残雪を多く身にまとった北アルプスの麗峰の面々が目に飛び込んできた。その雄大さに、思わず、文字通り息をのむ… それは、身近な里山歩きだけでは接することのできない、私にとっては久々に目にするダイナミックな眺め。これなら単にスキー場としてだけでなく、純然たる「山」としても十分訪問価値はある。
 もっとも頂上自体は、樹林の中に三角点標石が設置されているだけの、きわめて地味で静寂な場所であったが、それにもかかわらず、他にも結構登山者があったのは、全くもって、前述のような眺望の壮観さゆえであろう。私は、今までここに訪れずにいたことを、いささか後悔するような感を抱きつつ、しばし爽快な「山の憩い」の時を過ごした。







 ここもいずれ「廃墟」と化してしまうのか?〜大峰山(大峰城址)
 6/6、私はふと気になり、長野市内の「大峰山」に訪れてみた。
 この山、善光寺平を取り巻く多くの里山の例にもれず、中世の山城址(大峰城址)の山で、頂上には高度成長期に観光展望台を兼ねて建設された模擬天守「大峰城」があり、内部は市営の「チョウと自然の博物館」という、私には実に興味深い施設となっていたのだが… 観光客の減少等のゆえか、残念ながら近年に営業廃止されてしまった。
 それが… 最近「戦後70年」とやらで、戦時施設の跡とか、はたまた「軍艦島」みたいな廃墟とかが注目されている中、あの「大峰城」は、今どうなっているのだろうか? と、にわかに気になったのだ。
 そこで、実際に訪れてみると… 建物はまだ、放置しても数年は保ちそうな様子で「健在」であったが、驚いたのはその周囲の樹木の繁りようで、数年前の明るさが、まるで嘘であるかのように、既に「昼なお暗い」雰囲気になりつつあった。私は以前、この山のすぐ近くの「地附山」頂上のロープウェイ駅や公園の廃墟や、またそのすぐ裏の、落葉の下に埋もれつつある「戸隠バードライン」のアスファルト面などを目にしてショックを受けたことを思い出し… このままでは、この「大峰城」も、近い将来、地附山のようになってしまうのだろうか、と、何やら暗澹とした気分にとらわれた。
 とかく、公共施設のハコモノというと、最近は二言目には「税金の無駄遣い」などと、まるで諸悪の根源のごとく槍玉に挙げられる始末、市でもこのような維持コストのかかる施設に予算をなかなか回せないのは無理からぬことと理解せぬでもないが… しかし世の中、よく考えれば、何だかんだで結局、巡り巡っているもの。単に予算を切りさえすれば、それで問題は解決すると決め付け、ハイ万々歳、というがごときは、とんでもない短絡的な発想としか思えないのだが…
 もっとも、例えば将来的にこの建物を解体処分し、この地を本来の山城址のように新整備するとか、今後の建設的な指針が検討されているならば、それに越したことはないのだが… それにしても最近の世の中は、やたらと経費削減ありきの「見直し」ばかりを強調するあまり、「人間」としてより大切なことを物心両面で失いつつあるのではないか… 何か、そんなふうに感じられてならない、今日この頃である。






 気分直しに〜戸屋城址と春日山城址
 6/7、この日は純然たる「歴史探訪」のつもりで、長野市七二会に分布する山城にいくつか訪れてみることに。昨日、つい思い立って大峰城に訪れた結果、何やら心中に「もやもや」したものがわだかまっており… そんな気分を払拭する意味も兼ねてのことだったが、結果は狙い通り、まあまあ心身をリフレッシュすることができた次第。
 今回、訪問地に選択したのは、延徳元年(1489年)に越後の春日山から現在の七二会の地に来訪し、中世から戦国期にかけてこの地を拠点としたという春日氏関係の山城址だ。まず訪れた「戸屋城」は、その春日氏の居城が置かれていたとされる地で、いかにも山城址らしい段郭状の地形をなす頂上の本郭址には簡単な東屋があり、南東方に善光寺平方面の展望が開け、山里の中の城址の割には、結構明るい雰囲気。もっとも、宮坂武男氏著『縄張図・断面図・鳥瞰図で見る 信濃の山城と館 第2巻 更埴・長野編』(戎光祥出版刊)によれば、この地では戦後一時期牛が放牧されており、地表面が相当変わっている上、城址の段差も耕作によるものが多く、更に弘化四年(1847年)の善光寺地震の被害による改変も考えられるとのことだが、それでもなお、全体的な雰囲気としては、いかにも山城に似つかわしい地であり、往時に想いをはせるには十分といえる。
 次に春日山城址へ。こちらは、その名がそのまま、春日氏ゆかりの地であることを示しているが、「山」の名としては「春日山」という他、「御射山(みさやま)」という別称もあるらしい。現在頂上には「春日山神社」が祀られ、その境内となっているが、古記録によれば、ここもまた山城址であるとされる。前述の宮坂氏の著書によれば、一説には春日氏が来訪して最初に住んだ地ともいい、立地的に、ある時期に物見等に利用されたことが考えられるが、詳細不明とのこと。実際、素人の私には、この地を見ても、果たして山城だったのかどうか、何とも判断をつけ難いが、少なくとも防御上有利な地であるとは思えず、あったとしても実戦用の城郭ではなく、館の類にとどまるものであろう。
 ちなみに春日氏、後に村上義清に従い甲斐の武田信玄と上田原で戦って敗れ、武田氏に降ったが、武田氏衰亡後は織田氏、さらに織田氏滅亡後は上杉氏に属したという。これ正しく、信州の多くの弱小豪族の運命の典型といえよう。それにしても、これら二つの山城址、私が訪れた際、他にその場で出会った人もなく、また目立った観光宣伝や案内等の施設が設けられていたわけでもないが、それで全く違和感もなく、実に落ち着いた雰囲気を保っていた。往時をしのぶ「遺跡」としては、こんなあり方も一つの「姿」ではないか。この点、昨日訪れた大峰城の今後の方向性にも、一つの示唆となりうるのではないかと思われる。






 前週に引き続き山城址訪問〜陣場平山(葭雰神社砦址)
 6/13、この日もまた、このところ続いている「歴史探訪」の一環としての山城址訪問シリーズとして、長野市七二会の陣場平山の一角にある「葭雰神社砦址」に訪問。
 ここは、近年、私が陣場平山に訪れる際は、しばしば頂上とみなして訪れる場所となっている。厳密に言えば、地形図上での陣場平山頂上(最高点)は三角点地点の方なのであるが、そこは樹林に囲まれ展望もなく、ただ三角点標石があるだけで「頂上」としては面白味に欠け、そうそう何度も訪れる気になる場所ではない。それに反し、そこよりやや東の稜線上に位置する「葭雰神社」のピークは、いかにも「歴史」の重みが感じられる地であって、特に鳥居をくぐるあたりからの一種幽玄な雰囲気たるや、最近はやりの「パワースポット」的雰囲気までおぼえるほどで、訪問時の充実度には先の三角点地点とは雲泥ほどの差があるのだ。
 むろん、今回も期待にたがわず… 例の鳥居あたりから、自身の心身に何やら「厳粛」なものが迫るのが、われながら実感され… 到着した頂上のお稲荷様を祀る「葭雰神社」内部には、往時からこめられてきた、この地域の人々の「思い」が凝縮しているようで、全く、おいそれと近づき難いものが感じられる。さらにこの日は比較的空模様も良く、樹間から北西方を見渡せば、そこには戸隠連峰高妻山の、鋭利な麗姿が望見され… やはり、いつ来ても、相応に満足感が得られる、得がたい場所だと改めて実感させられた。
 ちなみに「葭雰神社砦」という呼称は『長野市誌』によるものだが、宮坂武男氏著『縄張図・断面図・鳥瞰図で見る 信濃の山城と館 第2巻 更埴・長野編』(戎光祥出版刊)では、古来からの神社地を利用した物見で、緊張状態が高まった時期に臨時に使用された程度のものと想像されるとして、名称を「葭雰神社物見」と仮称している。確かに、特段山城址として顕著な遺構が見られるわけではないので、宮坂氏の仮称がより適当と思われるが、かといって現地の比較的険しい地形を見れば、あえて「砦」と呼びたくもあり… どちらがよいかは人により判断が分かれるところであろう。






 またまた山城址へ〜吉窪城址
 6/28、今回もまた「歴史探訪」の一環としての山城址訪問シリーズとして、長野市小田切の東に位置する城山(吉窪城址)に訪問。
 この山、長野市内を流れる犀川の左岸、「小田切ダム」のすぐ北側に聳える、結構急峻で小さいながら目立つ峰で、見るからに要害の地といった感じがするが、宮坂武男氏著『縄張図・断面図・鳥瞰図で見る 信濃の山城と館 第2巻 更埴・長野編』(戎光祥出版刊)によれば、佐久市小田切から出た小田切氏に関係する城であるらしい。小田切氏は、戦国時代の弘治三年(1557年)に甲斐の武田氏が上杉方の葛山城を攻めた際、上杉方について抵抗したが、落合備中守と共に同城に籠って戦った小田切駿河守は討死、その子の民部少輔は「小市城」に籠った後、同城を放棄し行方不明になったとのこと。一説には吉窪城こそ、この「小市城」であるともいうが定かでない。
 この山、急峻そうな割には案外手軽で… 山麓の吉窪集落から細い車道をたどり、駐車場所からほんの20分ほども歩いて難なく登頂。そこは周囲を樹林に囲まれて展望不良、「山」としては少なからず物足りない場所ではあるが、山城址の遺構の保存状態は比較的良く、頂上近くには結構明瞭な虎口の遺構が見られるし、本郭址には土塁の他、小規模ながら石積の遺構も見られる。また、そのあたりには飯縄稲荷社などの小祠がいくつも祀られていて、そこが山城址であるというのみならず、この地域の人々の間に連綿と受け継がれてきた信仰の地でもあることをも実感できる。というわけで… 「歴史探訪」としては、それなりに充実した一時を過ごすことができた次第。






 もう一つ山城址〜富士ノ塔山(富士ノ塔砦址)
 7/12、長野市街地の西、旭山の南にある「富士ノ塔山」に訪問。
 この山、またしても山城址(富士ノ塔砦址)であり… さすがの私も正直なところ、この手の「山」は最近いささか食傷気味になりつつあるのだが、前回(6/28)の吉窪城址が、「歴史探訪」としては相応の充実度のある地だったものの、頂上からの展望が不良で、今一つすっきりしない感が残ったことから、今回は、展望もしっかり楽しめる山城址に訪れてみよう… というわけで、ここ数年訪れていない富士ノ塔山をあえて選択したところ。
 もっともこの山、頂上直下まで車で行けるので、訪問自体は大変手軽。駐車場所から一気に頂上まで駆け上がり、そこに祀られている「浅間社」に一礼した上、現地に最近設置された展望デッキから周囲を見渡すと… 狙い通り、見える見える。空模様はまずまずで、眼下に雄大に見渡せる善光寺平の俯瞰はもとより、その背景の山々までも容易に指呼できる。比較的間近な飯縄山や戸隠連峰は言うに及ばず、菅平や冠着山、さらには遠く浅間山方面まで…
 かくて、所期の目的を十分果たし得て… 私はしばし展望を楽しんだ後、至極軽い気持ちでその場を後にした。







 今度は「自然観察」〜三峯山
 8/15、「盆」の多忙の合間をぬって、聖高原にある手軽な展望の山「三峰山」に訪問。
 このところ「歴史探訪」の山が続いたが、今回は久々に「山」としての展望と、また蝶などの「自然観察」を目的に訪れてみたところ。と、その結果は… まず「山」の方では狙い通り、明るく開放的な頂上からは間近に聖山や冠着山、また遠く飯縄山や黒姫山などの展望が得られたが、もう一つ「自然観察」の方では… 思ったほどには見られた蝶の種類も多くなく、いささか拍子抜けといった感があった。それでも、頂上直下のイヌザンショウの葉の上には、ちらほらとクロアゲハの幼虫が見られたし、また樹上はるかに高いところでは、各種のアゲハ類やスミナガシなどの「空中戦」が若干見られたが、そちらは残念ながら写真撮影には距離が遠すぎ、シャッターを切っても全くものにならなかった。
 それでもこの山、いつ訪れても、その時々に応じた「顔」を見せてくれる。今回も、期待したほどではなかったものの、多忙の合間の「気晴らし」には十分すぎるほど有効な一時をすごすことができた。この点、少なくとも私には、末永く大切にしていきたい、得難い山である。






 可憐な野草の花々〜高ボッチ山
 8/23、たまたま所用で松本・塩尻方面に訪れたついでに、時間を有効活用しようというわけで、久々に松本平の東に横たわる優しい山「高ボッチ山」に訪問。
 今回、にわかにこの山への訪問を思い立ったわけは… 私の気のせいなのかどうか、今年はどうも例年より目につく蝶の種類が少ないように感じられてならず、その傾向が確かなのかどうか、参考までに各所で確かめてみたいと思っており… いつもなら訪れる度に多くの蝶が可憐な舞を見せてくれる「高ボッチ山」も、その一つの確認場所として適当であろうと常々思っていたところ、今回、ようやくその機会を得たというわけ。
 そこで… 早速塩尻市側から林道を頂上付近の駐車場まで車で駆け上がり、そこから頂上を往復してみたが… 案の定というか、やはり目につく蝶の姿は異常に少ないように感じた。もっとも、天候がいささか曇り加減であることや、また時期的に蝶の発生時期の谷間にあたっているせいもあったろうが、それにしても… 何やら今年は妙な年だ。
 というわけで、今回、私の目を楽しませてくれたのは、蝶にあらず、路傍にちらほらと咲く可憐な花々の方であった。中でもツリガネニンジンの白花品が珍しく目を惹かれたが、それよりむしろ、アキノキリンソウが見られたことに、ああ、もう秋になるのだなと、奇妙な感慨とともに強く実感されたことであった。







 蝶の観察2015〜コヒオドシなど
 前の「高ボッチ山」の項にも記したとおり、今年はふと気がつくと、蝶の姿が少ない年だったなという感が強い。
 無論、我が家では例年、何種類かの蝶の飼育を行っており、それらは当然、野外で捕食されたりする危険もなく、個体数を減らすことがないから、今年も何やら多くの蝶に出逢えているかのような「錯覚」に陥っていたが… 年の半ばから、そういえば今年は、どうも野外で目にする蝶の姿が例年より少ないのではないか、と思い始めた。
 特に妙だと思ったのが、ゼフィルス、特に例年なら腐るほど見られるメスアカミドリシジミとミズイロオナガシジミ。オオミドリやハヤシミドリなど、他の種類は今年もそれなりに見られたのに、何故か今年に限り、私のいつもの観察スポットではメスアカミドリとミズイロオナガが全く目につかなかったのだ。
 そういえば、昨年あれほど大発生して大騒ぎになっていたマイマイガが、今年も春先には昨年同様に幼虫がそこかしこで発生し、一時期は一部マスコミによる感情的な行政非難まで繰り広げられていた割には、しばらくすると尻すぼみになり、成虫発生時期には不思議なくらい姿を現さなかったが… あるいはこれも先のメスアカミドリやミズイロオナガとどこかで「連動」していたのであろうか? ちなみに昨年は、我が家の周囲で、例年なら春先にしか聞こえないウグイスの声が、8月の初めまでも聞こえていたものだが… 今年は例年同様に春先のみで姿を消していた。これも、あるいは市街地に餌が少なかったためであろうか?
 しかも、長野県だけにとどまらず… 今年の夏に子供と共に訪れた北海道でも、過去の訪問時よりゼフが少ない気がしたのには驚いた。何と、北海道まで… もちろん、年度による個体数変動もある程度はあるのであろうが、それにしても、妙な偶然ではある。
 かくなる上は、ゼフの産卵数などを観察し、より詳細な傾向把握に努めてみよう… と思っていた矢先、思いがけず自宅での「事故」で右足小指を骨折してしまい、「山」どころか自然観察までもできない状態になってしまった。これぞ実に一生の不覚…(!) はからずも今年の活動は残念ながら断念を余儀なくされてしまったが、一日も早く足を治し、来年の仕切り直しを… と心に期している次第である。とはいえ、私にとって来年も公私共に多忙な状況が続くことは必定、そう思い通りにいくかどうか… いやいや、たとえどんな状況でも、希望は失いたくないもの。「運」とは自ら運ぶから「運」の字をあてるのだと、誰かも言っていたし…(!?) まあ先のことは、いざフタをあけてみなければわからぬ。今から取り越し苦労しても始るまい。要は「心機一転」に如かずということか。