山行記録帳(2011)A
〜Yamazaki's Photo Diary 2011,A〜


 【山行リスト】
 雅な花々が彩りを添えて〜紅葉の岩屋  間近に迫る雄大な山々のパノラマ〜権現山
 家族全員で眺望を楽しむ〜長者山  家族共々、すっかり馴染〜聖山
 蝶は見たが撮影に至らず〜萩野城櫓峯(萩野城址)  純粋に「山」を楽しむ〜虫倉山と小虫倉
 ウラジャノメと出逢うも撮影に至らず〜八子ヶ峰  これまた、すっかり馴染の山〜三峯山
 ある意味「原点」回帰?〜蝶を追い求める日々  貴重な機会を有効活用〜佐賀県の脊振山


 雅な花々が彩りを添えて〜紅葉の岩屋
 5/4、この日は、特にどこか山のてっぺんに立つことにはあえてこだわらず、自然観察中心であちこち訪れてみようというつもりで家を出た。飯綱高原から、旧戸隠村、さらに旧鬼無里村方面へと車を走らせていくうち… 荒倉山の麓にさしかかった。
 その瞬間、私の脳裡に、もうかなり以前、その荒倉山に、はるばる旧戸隠村の宝光社集落から徒歩で登りに行った際の記憶が、妙に生々しくよみがえってきた。そして… 今回は先に予定もあり、荒倉山に登っていくほどの時間は到底ないが、せめて同山の中腹にある「紅葉ノ岩屋」に立ち寄っていってみよう、と、例によって、行き当たりばったりで決意。思うやいなや、途中で道を左にそれ、まだ路傍に深く残雪の残る林道を上がり、登り口から少々歩いて、私にとっては大分久方ぶりとなる「紅葉の岩屋」の前に立った。
 と… あたりの雰囲気は、よく晴れた天候ゆえか、鬼女の棲家という割には存外明るく、足許にはアズマイチゲやフクジュソウなどの雅な花が、つつましく彩を添えていた。私はそんな情景を眺めながら… ふと、かつてここで「鬼女」と化したという紅葉も、元々は京都の高貴な女官だったとかいう伝説を、足許に咲き香る小さくも可憐な花々から連想して、思い出すとはなしに思い出していた。







 間近に迫る雄大な山々のパノラマ〜権現山
 5/7、この日もまた例によって自然観察中心の行動の途中、にわかに思い立ち、旧美麻村の「権現山」に立ち寄ってみた。
 今年もまた、世に言うゴールデンウィークなるものは、私に大した恩恵をもたらさぬまま、いつの間にか最終盤にさしかかってしまった。まあ、先立つものがないのだから、致し方もないが… しかしそうは言っても、このままただ何となくおしまいというのも惜しいような気がしていたところ… たまたまこの山の麓にさしかかった際、数年前に頂上付近から間近に眺めた北アルプスの連嶺の迫力ある情景を思い出し、折角だから、せめて山々の眺めだけでも、大型連休にふさわしく豪華なものを拝んでいってみよう、と思った次第であった。
 で… いざ上がってみると、やや曇りがちで黄砂現象による霞みはあったものの、狙い通り、鹿島槍ヶ岳や五龍岳など、雄大な北アルプス後立山連峰を中心としたパノラマが私の眼前に展開。私は一人、思わず嘆声を発しつつ、頂上に駆け上がると、そこにはキアゲハやヒオドシチョウが優雅に舞い競い、また、ちょうど今が盛りのコブシの花々が、残雪の北アルプスの山肌をバックに咲き誇る有様は、まるで一幅の名画を目にしているかのようであった。







 家族全員で眺望を楽しむ〜長者山
 5/8、久々に家族全員で、旧信州新町にある「長者山」に訪問。
 ここは一見、ごく平凡な里山ながら、晴天に恵まれさえすれば、眼前に迫る後立山連峰をはじめとした北アルプスの眺めが最高で、いつ訪れても、相当の充足感を味わうことのできる貴重な地。しかも、そんな素晴らしい景観に、家族連れでノンビリ手軽に接することができるのが嬉しいところ。
 「山の家」のある駐車場所から、スプリングエフェメラル(春先だけに出現する蝶の種類の俗称)の「コツバメ」の舞を路傍に見つつ、頂上に上がってみると… 期待に違わず、今回もまた眼前に拡がる大迫力のパノラマ! 空は若干曇りがちながら、その分、雲の間から射し込む陽光が、北アルプスの岩と雪の山肌に、光と影の絶妙なコントラストを織りなし… 私は真実、しばし目を奪われ、容易にそこを立ち去りがたい思いがした次第。
 本当に、何度訪れても良い、私にとっては「珠玉」のような山である。







 家族共々、すっかり馴染〜聖山
 ここ数年、主に自然観察の関係で、すっかり馴染になった聖山に、5/7、5/8と、2日連続で訪問。
 5/7は、上記の権現山に訪れた帰り、時間に余裕があったので、自然観察ついでに、たまたま訪れてみたもので、翌5/8は、これまた上記の長者山に訪れた帰り、またしても自然観察ついでに訪れてみたもの。
 両日とも、天候状況はやや曇り加減で、冠着山など近隣の里山の眺めが良かったものの、最も期待した北アルプスの連嶺の眺めは今ひとつだった。この山、故・清水栄一氏の『我が遍歴の信州百名山』には、北アルプスの展望台として最高であると記されているものだが、その割に私が訪問する際は、何故か晴天に恵まれた例があまりない。どうせ、私自身の日頃の行いが良くないせいなのだろうが…!?






 蝶は見たが撮影に至らず〜萩野城櫓峯(萩野城址)
 5月も半ばとなり、標高1,000mを超すような高所においても、すっかり春一色の感が強い時季となった。そこで5/14、例によって自然観察を兼ね、陣場平山の西にある萩野城櫓峯(萩野城址)に訪れてみることに。
 キジムシロやスミレ類の花々が咲き競う道に入り、物見山の頂上直下を右手から巻いて進み、やや下ってから登り返すと、そこが萩野城址。ここは山城址としては、他にあまり例を見ない高所にある城として有名なものだが、今回の場合、私の興味はそれよりも、同城本郭址付近には、どのような蝶が舞っているかということだった。
 と… 期待に違わず、越冬から覚めたタテハ類をはじめ、ミヤマカラスアゲハ、キアゲハ、スプリングエフェメラルのミヤマセセリなどが、時折付近を舞う姿を見ることができたが、今日の場合、気温が割と暖かだったせいか、それらは待てども待てども静止してくれず、画像撮影のチャンスすら得られず。
 それで結局、折角の休日でもあり、このまま粘っても時間の無駄だと諦め、次なる目的地に向かうこととした。






 純粋に「山」を楽しむ〜虫倉山と小虫倉
 先の萩野城櫓峯(萩野城址)への訪問後、私は久々に旧中条村の「虫倉山」に訪れてみることに。
 この山には私は既に2度訪れているが、前回の訪問が2004年の9月中旬であるので、それからもう7年近くの月日が経っていることになる。ついこの間訪れたばかりのような気がしていたのに、時の経つのは意外と早いものだ。
 それはともかく、登行ルートは、今回もまた過去の2回と同様、岩井堂口の登山道からの道を選択。それは、先に訪れた萩野城址から登り口まで距離的に近かったのと、途中「小虫倉」という小ピークを経由して行けることが主な理由であり、特に「小虫倉」については、以前の訪問時には全く気が付かなかったが、実は中世の山城の遺構が残されているとのことゆえ、近年、山城址に興味を抱いている私としては、是非一度、訪れてみたいと思っていた所であった。
 そこで、早速、登り口に車で乗りつけ、まずはその「小虫倉」へと上がる。と… 確かに、そこに祀られている「大姥神社」の祠の背後に、郭らしきものが見てとれる。もっとも、本格的な防御用城郭といったふうでもなく、見張警戒所ないし狼煙台の類と見た。
 そこから若干下り、さらに進むと、いよいよこのルートの核心部、鎖場が連続する岩稜を通過。「年」のせいか、以前の訪問時よりも結構な緊張感を強いられつつも、無事、狭い頂上に到着。冷汗混じりの額を拭いつつ、周囲を見渡すと… 北アルプスは雲がかかって今ひとつだったものの、戸隠連峰、飯縄山、鬼無里の秘峰・東山など、この近辺のおもだった山々が良好に望まれ… 久々に「蝶の観察」中心でない、純然たる「山」を楽しめたような気がした次第。







 ウラジャノメと出逢うも撮影に至らず〜八子ヶ峰
 6月以降、私の山歩きは、以前にもまして、蝶をはじめとした自然観察中心のものとなり、山には訪れても、蝶を追い求めてばかりいた結果、ピークに達することなく帰途につく、という繰り返しの日々が続いたが… そうはいっても、たまには一定の「頂上」を伴う山にも訪れてみたいものだというわけで、「頂上」と「自然観察」を両立できそうな格好の山はないか… とて、検討の結果、白樺湖の近くにある「八子ヶ峰」に白羽の矢を立て、7/10に家族全員にて訪問。
 ここを目的地に選定した理由は、無論、家族連れでも安全で手軽に訪れられるということもあるが、それ以上に、私としては、北信地域ではあまり見られないジャノメチョウの一種「ウラジャノメ」にお目にかかることが狙いであった。
 で… いざ訪れてみると、期待に違わず、目当てのウラジャノメは行くみちみち、脇の薮から次々と飛び出てきてくれた上、頂上の「ヒュッテアルビレオ」周辺にも、数頭が優雅に舞い競い、おまけに「ヒュッテアルビレオ」の床下には蛹までぶら下がっているという賑やかさ! これが北信地域ではめったに出逢えない、その同じ蝶だとはまるで思えないほどで… 全く、いる所にはいるものだと思った次第。
 もっとも、画像撮影の方は、相手方がまるで被写体になってくれず、残念ながらシャッターチャンスすら得られないまま時間が経過し… 家族同伴でもあり、相応な所で諦めて下山せざるを得なかったのが大いに心残りであった。いずれ、折を見て再訪してみたいものだ。






 これまた、すっかり馴染の山〜三峯山
 7月の八子ヶ峰への訪問以降、私の山歩きは、相変わらず蝶を中心とした自然観察主体の日々が続き… なかなか「頂上」まで至らないという状態が続くことになった。このようなことは、私にとって山に行き始めて以来、初めてのことであり、我ながら戸惑いに似た気分をおぼえつつも、これもまた、ひとつの「山」の楽しみ方なのだと、自分で自分に言い聞かせつつ、当面は現時点で最も自身の興味を惹かれることに取り組むこととした次第。
 そんな日々の中、8/6、たまたま「頂上」を伴う「三峯山」に訪れることになったが… 実際、これもまた自然観察の一環として訪れたもので、特別そこへの登頂を求めてのことではなかった。もっとも、この山、私には前掲の聖山と共に、ここ数年、すっかり馴染になった山だけに、あえて頂上到達を求めて訪れるほどの必要もなかったのではあったが… とはいえ、考えようによっては、こんなふうに、特に必死になって登頂目指して奮闘する必要もない、至極気楽に訪れられる場所=「山」があるということは、何かと世相喧騒な昨今、ある意味で大変幸せなことなのかも知れないとも思う。






 ある意味「原点」回帰?〜蝶を追い求める日々
 これまで上掲の山行記録の中にも度々触れてきた通り、私の最近の山歩きは、以前ほど「ピーク」にこだわらなくなってきている。
 そのことは、何年か前の私であったら、とても考えられないくらい、我ながら意外なほどの価値観の変貌である。それも、若干の戸惑いはあるものの、特に抵抗もなく、自身の興味のおもむくまま、とにかく今も(頂上には立たないまでも…)山に通い続けている。
 何故なのだろう…? 蝶とは、山への登頂欲求を薄れさせるくらい、魅力的なものなのか…? と、私は時折、自問自答してきたが、最近、はたと思い当たったことがある。それは… 今の私の山歩きのスタイルは、実は少年時代、自然への漠然とした興味を抱きつつ、野山を駆け歩いた時の、あのワクワクするような気分と、かなりな部分で重なり合っているということだ。
 そういえば、以前、私の敬愛する登山家の丸山晴弘氏が何かの本に「人が山に登る理由は簡単、それは人間本来の探究心を充足させられるから」というような意味のことを書かれていたのを記憶しているが、私自身の今の山歩きスタイルこそは、まさしく「探究心」の塊のようなものであり… それは実際、目にするものの多くがきわめて新鮮だった、少年時代の野山遊びの頃の気分そのものといって少しも過言ではないように思う。
 してみると、私の今のスタイルは、別に特別、私自身の性格や嗜好が変わったわけでも何でもなく、ある意味、単に「原点」に帰ったに過ぎないことになるわけで、そう考えれば、上述した「我ながら意外なほどの価値観の変貌」に際し、特に抵抗もなく素直に行動できる理由が理解できる気がする。
 そもそも、私がピークを追い始めたきっかけは、深田久弥氏の『日本百名山』や、清水栄一氏の『我が遍歴の信州百名山』の影響が多分にあり… それはあくまで、我が人生の途中において付加された価値観に過ぎなかった。しかもその結果、一時期は目の色を変えてピークのみ追い求め、折角山に行っても、途中の自然の姿になど、ろくに目もくれず、ただ頂上にのみ登って帰る、といった、一種無味乾燥な山行ばかり続けてきてしまった。結果として、興味を抱いて観てさえいれば、あるいは多くの発見を得られたかも知れない貴重な機会を、何とも無駄にしてきてしまったものだと、今にして後悔している次第である。
 蝶とは、そんな私に〜あるいは他の多くの人々にも〜「原点」への回帰を気付かせてくれる、いわば(過去からの?)「メッセンジャー」であるような気がしてならない。昔の人は、蝶を人の魂の化身と考えていたとかいう話を聞いたことがあるが、そう考えるに至った理由も何となく判るような気がする… などと言えば、それは多分にこじつけじみた、私の勝手な思い込みに過ぎないことであろうが、それでもなお、あえてそう思いたいというのが、最近の私の心境である。
 ともあれ、下掲の画像は、2011年中に出逢えた、それら「メッセンジャー」の一部であるが… 必死の捜索にもかかわらず、ついに目撃すらできなかった種もかなりあったので… 2012年も引き続き、決して諦めることなく、それらの姿を追い求めてみたいものである。













 貴重な機会を有効活用〜佐賀県の脊振山
 私にとって今年の「山」は、このまま蝶の観察中心で終わるかと思われたが… 10月下旬、思いがけなくも幸運かつ貴重な機会が巡ってきた。というのは、たまたま所用で福岡県福岡市に訪れることとなったのだが、長野県在住の私にとって、九州に訪れる機会など、そうそうあるものではない。しかも行程的に、当日中には長野に戻れないから、どうしても福岡市内に1泊せざるを得ないが、新幹線等の乗り継ぎ時間を検討すると、1泊した翌早朝に、わずかながら時間があるので、どこか行けそうな山はないかと検討した結果、何と日本山岳会選定「日本300名山」の1峰「脊振山(せぶりやま)」に行けそうだと判明(!)。これは、是非とも行かねばならぬ、と密かに決意。
 で… 10/22、福岡駅近くのレンタカーで早朝出発、一路登り口の「脊振山野営場」の駐車場へ。位置的には福岡県を越境し、隣の佐賀県神埼市内に入るのだが、この山、幸か不幸か自衛隊(脊振山航空自衛隊警戒群)の施設に隣接しているせいか、道の整備状態はいい。迷うことなく駐車場着、そこからは、途中自衛隊の正門近くを通過する道を徒歩で頂上までたどった。その間、周囲は終始霧に包まれ、展望が得られず残念だったが、反面、自衛隊施設も霧で薄れてくれた分、行くみちみち路傍に現れる石碑や石仏に、この山の「歴史」を一層強く感じることができたように思う。なお、この山の歴史を端的に把握するには、余所者の私の聞きかじりの論評よりは、地元自らによる解説に限る。というわけで… 以下、山中にあった案内看板の文言を、備忘の意味も含めてそのまま引用掲載しておきたい。
 「脊振山と山岳信仰遺跡 脊振山は、上宮ケ岳・弁財天岳・脊布利山・世布利山・茶降山・千振山・ソホル山などとも呼ばれていました。山名の由来は、『肥前古蹟縁起』には、「脊振山極楽寺東門寺、乙護法善神は天竺国の主、徳善大王十五番の王子也、神通自在の人に在し、竜馬に乗り虚空をかけり東方に去り給ひ、此国の鬼門当山に飛付給ふ。時に彼竜馬背振て空に向ていななく事三度、此瑞相を本として、即山の名を脊振山と申すとかや。」記されています。また、『王林苑脊振山霊験記』には、「肥前の国に霊峰あり、国鎮岳と号す・絶頂に霊穴あり、二竜出現して脊を振う時に、山動き地震う。故に脊振山と号す」とあります。古くより聖山として信仰の対象となり、盛期には脊振千坊と呼ばれ、山岳信仰の拠点となっていました。空海・最澄・円仁・円珍・性空などの僧も脊振山で修行を行ったと伝えられています。山頂には、弁財天が祀られ、現在の航空自衛隊基地内に東門寺が置かれていました。背振山岳信仰の中心は吉野ケ里町に所在する中宮霊仙寺で、乙天護法堂は和銅二年元明天皇の勅を奉じて湛誉上人が創建し、九州第一の大伽藍でした。脊振山岳信仰遺跡は、現在まで詳細な調査が行われておらず、明確ではありませんが、山中には数多くの僧坊跡や修行場が分布しています。神埼市教育委員会」
 つまるところ、多くの「名山」がそうであるように、ここもまた、往時の深い信仰の対象であったわけだ。また私にとっては、これが九州初の「山」ということもあり… 余剰時間を利用した慌しい中での訪問ではあったが、またいつもの山とは違った新鮮な感慨をおぼえた一時であった。