山行記録帳(2010)@
〜Yamazaki's Photo Diary 2010,@〜


 【山行リスト】
 2010年最初の山〜皆神山  浅間山の荘厳な姿を望む〜平尾富士
 上田IC近くの歴史性豊かな一角〜玄蕃山  前回夜間、今回は日中〜虚空蔵山(伊勢崎城址)
 明瞭に残る城郭遺構〜城山(矢沢城址)  早くも今年2度目の訪問〜皆神山
 厳冬下、花に逢いたく訪問〜桜山  「苔不動尊」の荘厳な雰囲気〜不動山
 下諏訪町の桜の名所の上に〜山吹小城址  小雪降る中〜塩尻市の上ノ山(上ノ山城址)
 花に誘われ〜城山(壁田城址)  善光寺平周辺の里山巡り@〜三登山
 善光寺平周辺の里山巡りA〜髻山(髻山城址)  善光寺平周辺の里山巡りB〜薬山


 2010年最初の山〜皆神山
 1/1、私にとって2010年最初の「山」への訪問は、はからずも、ここ「皆神山」となった。
 私は例年、恒例的に近所の里山で「初登り」をすることにしているが、前年暮れから降り続いた大雪は、新年の元旦になっても降り続き、残念ながら私の住む長野市近辺では、どうも良好なコンディションの下での山登りが困難な様子にみえた。そこで、長野市あたりと比べれば比較的雪の少ない上田・佐久方面に、昼頃から試みに車を走らせてみたが… そちらに行ってさえ、状況は大して変わらない模様。やむなく諦め、長野市にとって返したものの… さすがに、どこにも訪れずに終わるのは不本意で仕方がない。
 そこで、にわかに皆神山への訪問を思いつく。ここなら、「山」とはいっても頂上付近には皆神神社があって、初詣の参拝客も大勢いるし、そこに通じる車道もきれいに除雪されているだろう、と思い、早速、車を走らせてみると… 予想通り、私のFF車でも同山の上へと続く車道の通行には特に支障なく、難なく皆神神社前の駐車場まで上がることができた。
 ちなみにこの山、前年暮れの某TV番組でも「ピラミッド」としてとりあげられていた。そんな記憶も新しく、神社の境内に足を踏み入れる気分はまた妙。まずは門をくぐって正面の社殿に参拝し、その右後方の重要文化財指定の「熊野出速雄神社」、さらにその一角の最高点に祀られている「富士山・二国第一」の祠、と巡り… その裏手の雪の頂で、私は一種厳粛な気分と共に、ともあれ一応「山」への初訪問は果たすことができた安堵感をおぼえていた。







 浅間山の荘厳な姿を望む〜平尾富士
 1/3、私にとって実質的な「山」への始動は、はからずも佐久市の「平尾富士」からとなった。
 元日は大雪ゆえ、車で頂上近くまで上がれる皆神山で我慢、また2日は所用があり… せめて3日こそは「山」らしい山へ、と心に期していたが、朝起きて外を見ると、またしても長野市街地には鬱陶しい白いものが舞い落ちている始末。とはいえ、今年の年始休みは短く、今日が最終日。無駄にするのは忍びない。そこで、ともあれ降雪の少なそうな方面に車を走らせてみることとし、元日と同様、上田・佐久方面に向かう。と… 幸い、上田あたりからは降雪もなくなり、また山肌の雪も大分消えている箇所も見え始めたので、これなら行けそうだと、にわかに佐久市の「平尾富士」を目的地に選択。
 ちなみにこの日は元日と違い、次女を除く家族を同伴していたが(注:たまたま次女のみ女房の実家に滞在中)、最も幼少で足弱の次女がいなかったのは、この際むしろ好条件。私には既に幾度か訪れたことのある山だが、今回は初めてたどる「卒寿路」なるルートをとってみた。途中、結構急な登りの箇所もあったが、雪はきわめて浅く、登行には特に支障なし。上部では伐採木が一部ルートを遮っている箇所もあったが、どうにか乗り越え頂上着。
 この山の頂上から、まず第一に目を惹くのは、何といっても間近に大きく迫る活火山・浅間山の白煙たなびく姿だろうが、今回のそれは白銀の雪をまとい、それが明るい陽光に映えて、全く荘厳なまでの美しさ。その姿を拝めただけで、私は今日、この山に訪れた甲斐があったと思った。またこの一年、このように印象的な情景を、年間通じて多くの山々で目にすることのできるような年でありたいと、心から願った次第であった。







 上田IC近くの歴史性豊かな一角〜玄蕃山
 短い年末年始も終わり、仕事始めからはや最初の週末となった1/10、例によってどこか軽い「山」の気分でも… とて、家族と共に自宅発。特に行き先も定めないままに、車は自然と雪の少ない東信方面へと向かう。上信越自動車道を長野市から南下していくと、予想通り上田あたりで大分雪が消えているのを見て、上田ICで上信越道を下りる。と… ICのすぐ左手の小高い丘の上に、何やら展望台のようなものがあるのが見える。はて、何だろう…? と思い、車を麓に走らせてみると、じき駐車場があって、「玄蕃山公園 花と緑と太陽と」と刻まれた碑があるのを見出す。やや、ここも一応「山」なのか、と少々意外に感じると共に、若干興味もそそられ、それならば、折角だからちょっと立ち寄っていってみよう… というわけで、家族と共にノンビリ遊歩道を登り出す。
 ほんの10〜15分も歩くと、難なく例の展望台のある広場に到着。そのあたりが一応「頂上」らしく、周囲には烏帽子岳や太郎山、戸石城址等がよく望まれた。また、展望台の脇に巨石の露出した盛り上がりがあり、何かと思って付近の案内看板を見ると「陣場塚古墳」とのこと。ここもまた豊かな歴史性を帯びた地であったのだ。さらに下りの途中、忠魂碑や柵をめぐらした古い石塔が立ち並ぶ一角があり、何かと思い脇の案内看板を見ると、意外にもそこは上田城主仙石家の重臣荒木玄蕃夫妻の墓所で、それが「玄蕃山」の名の由来であることもわかった。今では頂上のすぐ下まで住宅地が迫り、また頂上周辺は「公園」化しているとはいえ、往時は人気も稀な「山」であったことであろう。
 ともあれ、全く偶然の訪問ながら、またまた新たに地域のささやかな「歴史」に触れることができ、短時間ながら興味深い一時だった。






 前回夜間、今回は日中〜虚空蔵山(伊勢崎城址)
 1/10、先の「玄蕃山公園」への寄り道の後、我々はまたどこか別の「山」に訪問しようと車に乗り込んだが、この日は元々諸事情で家を出てくるのが遅かった上に、日の短い季節ゆえ、はや暗くなるまでに残された時間はさほど長くない。どこか適当な「山」はないかと、カーナビゲーションの画面をくるくる回しているうち、上信越道の「上田ローマン橋」の脇にある「虚空蔵山」の表示に目が留まった。
 この山、中世の山城址(伊勢崎城址)のある山で、私は既に平成17年の8/9に訪れたことがある所だが、その際は実は夜間の訪問で、肝心の城址の遺構は今ひとつ明瞭に確認できずに終わってしまったもの。されば今日は現地の状況を、明るい日の光の下で改めてよく見るにはちょうどいい機会だと思ったので、早速、山麓まで車を走らせ、登り口から枯葉敷く道を頂上の本郭址まで一気に駆け上がった。
 頂上に到着して、まず目についたのは「宇賀神社趾」と記した小さい石碑。伊勢崎城が廃城になった後、最近まではここに神社が祀られていたものらしい。(注:この点については興味を惹かれたので、自宅に戻ってから『長野縣町村誌 東信篇』を参照してみると、「上野村」の「古跡」「伊勢崎城址」の項に、「(前略)何人の據る事を詳にせず。一説眞田信幸曾て此に在と云ふ。
今宇賀ノ神社を鎭す。」とあるので、少なくとも昭和前半期頃までは祠の類が存在したようだ。) また、今回は期待通り、城郭の遺構もそれなりに確認できたが、郭の構築など、あまり大掛かりな造作でもなさそうなので、やはりこの城については、本格的な攻守用の城郭というよりは、戸石城の前衛としての物見あるいは狼煙台としての役割が主であったのだろうと感じた次第。






 明瞭に残る城郭遺構〜城山(矢沢城址)
 1/10、既に玄蕃山、虚空蔵山(伊勢崎城址)、と訪問し、さすがに西の方に陽も傾いてきたが、なお若干時間あり… 折角出てきたのだからと、ついでにもう1箇所、中世の山城址(矢沢城址)の山に訪問していくことにする。この山、先に訪れた玄蕃山と同様「公園」として整備され、一般には「矢沢公園」の名で近隣住民に親しまれている地だが、私は以前、この城址の近くの「殿城山」に訪問した頃から、その存在には気付いており、いつか訪問してみたいと思っていたところ。今日はまさにその良い機会… というわけで、早速、山麓に車を走らせ、登り口から一気に駆け上がってみた。
 と… 明瞭な郭や空堀、石積等の遺構あり、いかにも山城址らしい場所。ちなみにこの城址、登り口にある案内看板によれば、難攻不落の戸石城を謀略で陥落させた智将として知られる真田幸隆の弟、矢沢綱頼の居城で、天正13年(1585)の上田(神川)合戦の際には、綱頼の子三十郎頼定が800の守兵で依田源七郎ら1,500の軍勢を退けたとあり、なかなかどうして、武名高い城の一つであったといえる。もっとも頂上の本郭址は松の木が数本生えているだけの草付きで、存外地味な場所だったが、一段下の郭には神社が祀られており、また北側の郭には「城山遊園記」と記された碑がある(注:これにより、この地が「城山」と称されていることを確認)など、随所に地域の人々の古くからのこの地への愛着がうかがえたのが良かった。
 (追伸:なお、帰宅後『長野縣町村誌 東信篇』を参照してみると、「殿城村」の「古跡」の項中「矢澤氏城跡」には「本村矢澤組より辰の方三町にあり。石壘存す。二の郭方十間、西北又郭の跡ありて、回字形なり。該地一丘高く基を異にす。南に大澤あり、左口澤と云ふ。北に堀切一條、四面より登りて要地なり。これ矢澤薩摩守綱ョ、天文中築く所にして、其子但馬守ョ幸までの居城なり。平常の居館は今の村中に在しと云。本郭に神明社あり。」とある。またこの文中にある本郭の「神明社」については、同書中「社」の項には「皇大神社」とあり、祭神は大日靈命、創建年月不詳とあった。折角なのでこの際付記しておく。)






 早くも今年2度目の訪問〜皆神山
 1/11、家族と共に、長野市内の皆神山に訪問。この山、私としては今年の元日に「新年初の山」として訪れたばかりなのだが… たまたま前年末近くに、某TV局の番組で、この山を「ピラミッド」とか「謎の発光現象」とか「UFO目撃多発地帯」とか紹介していたのを子供達も見ていて、「行ってみたい」と騒いだことにより(注:実は既に何度も訪れているのだが、忘れてしまっている…)、はからずも私にとっては早くも今年2度目の訪問と相なった次第。折しも私、前夜から風邪気味で具合があまり良くなく、あまり気がすすまなかったのだが… TVの話が本当なら、何せ発光現象まであるという山のこと、あるいは訪れたら何とかいうパワーが効き、具合が良くなるかも知れない、などと淡い期待を抱き、子供達の希望を容れて訪れてみることに。(注:結果的には、この考え、大分甘かった…)
 ともあれ、まずはTVで「皆神山ピラミッドの入口」と紹介されていた、同山中腹にある「岩戸神社」に立ち寄る。(注:私の眼には、どう見ても横穴式の古墳にしか見えないが…) 巨石が組まれた薄暗い洞穴の中に入ると、事の真偽はともかく、何とはなしに往古の昔に想いをはせてしまうのは事実。
 次いで頂上の「皆神神社」に参拝し、頂上一帯を散策。と… 当然のごとく「UFO」の姿などは見当たらなかったが、その代わり今日は元日とはうって変わって晴天で、頂上付近の樹間からは青空の下に飯縄山や、また遠く北アルプスの連嶺などが望まれ、訪れた甲斐は十分あった。






 厳冬下、花に逢いたく訪問〜桜山
 先の皆神山訪問後、私は情けなくも風邪でダウンし、その翌週を完全に棒にふってしまったが… さらに翌週には大分体調も元に戻ったので、この際、気分転換に「花」でも眺めたいと考え、1/23の朝、家族と共に自宅発、群馬県藤岡市にある「桜山」へと向かった。
 この山、その名の通り、桜の名所として知られる山だが、その「桜」とはただの桜ならぬ「冬桜」、本来なら12月が盛りらしいが、1月にもまだ若干の残り花が見られるものである。実際、我々は昨年のほぼ同時期にもここに訪れ、冬の最中に思いがけず桜の花に出逢えて大いに感激したものであり… 今回の訪問も、何をかくそう、その際の記憶がふと脳裡によみがえり、折しも例年になく厳しい寒さの中、無性に「花」を見たいという衝動にかられたがためであった。
 そして… その期待に違わず、現地ではまた前年同様、盛りを過ぎたとはいえ、まだちらほらと残る冬の桜を目にすることができた。空模様はいささか曇天ながら、上州名物の「からっ風」もなく、ノンビリ歩いていても、うっすらと汗ばむほどの気候の下… 私は冬桜の樹枝の上に間近く鎮座する御荷鉾山方面などを眺めながら、頂上へ続く山稜をたどりつつ、ふと何とはなしに、雪が少なく温暖なこの地方の人々が羨ましく感じられた次第。







 「苔不動尊」の荘厳な雰囲気〜不動山
 1/23、先の「桜山」訪問後、まだ若干時間があるので、折角遠出してきていることでもあり、帰る途中でどこかもう一箇所、軽い山に訪れていきたいと思い、カーナビゲーションの画面をくるくる回しているうち「不動山」という名の山の表示が目にとまった。全く事前知識のない山だが、やにわにそこをカーナビゲーションの目的地に設定し、指示通りに車を走らせていくと、そのうち「間瀬峠」のすぐ先で左へ「陣見山林道」という林道に入った。しばらく進むと、やがて道は右に急カーブしながら稜線上に飛び出たが、ちょうどその地点で、左の稜線伝いに小道が延びているのを見出したので、その付近の道脇に駐車。
 そこで、もうあまり時間もないので、家族は車に待たせておき、私一人のみにて件の小道を一気に頂上まで駆け上がると… そこには三角点標石と朽ちかけた道標、そして木の伐株に取り付けられた修験者奉納の木札が私を出迎えてくれた。樹林に囲まれ展望のない地味な頂上だったが、それでも元来た道を駐車場所付近まで戻ると、意外や、はるか北西方向に白煙たなびく浅間山の雪化粧した姿が望まれた。
 なお、駐車場所近くに案内看板があり、それによると、今回上がってきた林道は「長瀞八景」の一つで「間瀬峠と陣見山のビューライン」と名付けられているとのこと。また、その看板の右に「苔不動尊入口」という標識もあり、あるいはこれが「不動山」の名の所以かと思い、ついでにそこも拝んでいくことに。急な道をロープ伝いにわずか下りると、ほどなく断崖に囲まれた一角に「苔不動尊」が安置されているのを見出した。時間的に既に陽が沈みかけている頃合だったせいもあってか、そのたたずまいはなかなか荘厳な雰囲気で、私はその前に一礼しながら、思わず心身が引き締まるような思いであった。







 下諏訪町の桜の名所の上に〜山吹小城址
 1/30、相変わらず寒い日々が続く中、私はたまたま所用で家族と共に諏訪方面に訪れた際、折角だから、どこか山城址にでも立ち寄っていこうと考え、持参の長野県教育委員会編『長野県の中世城館跡 分布調査報告書』を参照すると、下諏訪町に「山吹城」という名の城が目についた。桜の名所として知られる「水月園」のすぐ上にある山城址で、ちょっと立ち寄っていくのに適当そうに思えたので… 早速、その方向に車を走らせる。
 まずは明るい「水月園」から歩き出す。数多く設置された歌碑などを見つつ、園最上部の「天満天神」の石祠を過ぎると、その先は一転して薄暗い樹林の中の道に。送電線巡視路を兼ねているらしく、よく整備された道を尾根伝いにしばし上がると、そのうち切岸の遺構とおぼしき地形が現れたので、それを右手から巻いて上部に出ると、そこはどうやら郭の遺構らしく、片隅には井戸の遺構とおぼしき窪みあり。またその背後に空堀の遺構を見出し… 事前の予想に反して案内看板の類はなかったものの、そこが確かに山城の址であることを確認。さらにその先で、そのあたりの主郭部とおぼしき郭の遺構に達したが、それから先は遺構らしきものは途絶えたので、今日のところはそこで元来た道を引き返す。
 ところが… 車に戻り、再度『長野県の中世城館跡 分布調査報告書』を参照してみると、どうも同書に示されている「山吹城」の位置と、先刻私が訪れた山城址の位置とが微妙にずれているのに気付き、気になって仕方がないので、帰るついでに諏訪市の教育博物館に立ち寄り、宮坂武男氏著『図解 山城探訪 第1集 諏訪資料編』(非売品/長野日報社刊)を参照させていただいたところ、何と「山吹城」には「大城」と「小城」があり、私が訪れたのは「小城」の方であることが判明(!)。しまったと思ったが、時既に遅く夕刻、時間切れ… かくなる上は、是非近日中に「大城」の方にも訪れてみたいと心に期しつつ、帰途についた。







 小雪降る中〜塩尻市の上ノ山(上ノ山城址)
 今年の冬は例年になく雪が多く、1/30に山吹小城址に訪れた後にも、またまた思いの外のドカ雪に見舞われ… かくてその週末は山どころでなく、さらに翌週末の2/13になって、ようやく多少山を歩いてみたい気分になった。とはいえ、こんな雪の深い折に、わざわざ高い山に行く気にもならず… とどのつまりは、どこか手っ取り早く訪れられそうな山城址の山でも物色するといった話になる。結果… 今回は塩尻市の上ノ山(上ノ山城址)に訪れてみることにした次第。
 そこで、とにかく山麓へ車を走らせ、まず「西福寺」に訪れてみたが、どうもその近辺に道らしきものは見当たらず。それで車を南に回し、近所の人に尋ねると、すぐ近くに登り口があると教えてくれたが、頂上にTVの中継施設があるので、無雪期なら車でも上がれてしまうという(!)。いささか拍子抜けしたが… それでもあまり運動不足になってもいけないので、今回はあえて下から歩いて登ることとし、「上ノ山展望広場登り口」の標柱のある所から登り出す。
 雪は事前の想像ほどでもなく、歩行に全く支障なし。意外と明るい尾根通しの道を、白い息を吐きながら上がっていくと、そのうち周囲に何やら動物の気配。耳をすましながら行くと、果たして右下方に狸か狐らしきものが走り去った。ほどなく傾斜が緩み、話に聞いた車道に合流すると、その付近に不動明王の石像などが祀られている場所があり、脇に素人目にも判る深い空堀あり。本郭址の頂上は、そのすぐ先にあり、鳥居をくぐって登頂すると、そこに秋葉神社の祠が祀られていた。その頃、周囲には小雪が舞い出し… 残念ながら「展望広場」の名ほどには眺望はきかなかったが、その分、頂上周辺に巡らされた低い土塁の遺構が興味深く、私はしばしその土塁の上を歩き回りながら、ここに実際に城が設けられていた当時の模様に想いを巡らせた。







 花に誘われ〜城山(壁田城址)
 4/24、家族で中野市の城山(壁田城址)に訪問。
 この山、昨年の10/25にも家族で訪れたものだが、その際は秋の風趣あふれる中、短時間ながら良い雰囲気を味わえたものであった。そこで今回は、春の長閑な雰囲気を楽しもうというわけであったが… 狙い通り、現地では桜がほどほどに開花しており、昨年とはまた違った快活な気分を家族共々味わえた。
 特に私には、数年前から蝶をはじめとする自然観察中心の山歩きを楽しむようになってから、この季節は一年の中でも最もワクワクする季節となったものであるが… 今年の春は昨年と比べると寒冷なせいか、実際これまで蝶らしい蝶に出逢えていなかっただけに、この日、頂上近くの桜の樹上に、冬の間の眠りから覚めたタテハチョウ類の可憐な舞を目にした時は、何かほっとしたような感慨をおぼえるとともに、ようやく到来した待望のシーズンを実感できた次第。






 善光寺平周辺の里山巡り@〜三登山
 今年もはや5月に入り、昨年に比べるとずっと寒冷な日々が続いてきた中にも、ようやく春らしさがしっかりと感じられるようになった。そこで5/4、私は家族に「山でも行かないか」と提案してみたが… どうも反応が芳しくなく、ただ一人、次男のみが手を挙げたのみ。あまり山ばかり連れて歩いたのが災いしたのか、さすがに最近家族も山に飽きてきたらしい。それで、今日はやむなく次男と二人で自宅発。
 今日の最大目的は、むろん春の野山に、美しき「春の使者」たちに出逢うことではあったが、どうせなら普段、この季節に訪れたことのない山の様子を知りたく… まずは三登山への訪問を選択。この山、私にとっては比較的身近にありながら、案外夏場の訪問が中心だった。
 と… まず歩き出しての第一印象は「明るい」こと。夏場なら鬱蒼とした頂稜部の樹林も、今はすっかり葉を落としていて、樹間から射し込む陽光が、我々の行く手に心地好い陽だまりを創り出している。そして、その中から時折、越冬から目を覚ましたヒオドシチョウやルリタテハなどが優雅に舞い立つ…
 そんな長閑な雰囲気の中を散策しているうち、思いがけず途中で同業者の家族パーティーと出くわすなど、割と興味深い里山歩きの機会であった。






 善光寺平周辺の里山巡りA〜髻山
 5/4、三登山への訪問後、私と次男は一旦、麓へと下りたが… 三登山では、一応冬の眠りから覚めたタテハチョウ類などとの遭遇は果たせたものの、「花」に今ひとつ乏しく、何やら物足りないので、今度はその「花」の方も堪能しようと、三登山のすぐ北東に位置する「髻山」に訪れてみることに。
 この山、頂上直下には、ちょっとしたカタクリの群落がある。それまでに私が善光寺平近辺の他所で目にしたカタクリの開花状況から察するに、髻山は比較的標高が高いから、丁度今頃が花盛りだろう、と見当をつけての訪問だったが… いざ訪れてみると、意外にも花は既にややピークを過ぎつつあり、何とか間に合ったという感じ。この様子だと、むしろ前週あたりがピークだったらしい。
 そんな中、「春の使者」ツマキチョウなどの可憐な姿に出逢えたが、嬉しかったのは、頂上の山城址で折しも開花していた桜の花の中に、今年初めて目にするキアゲハやミヤマカラスアゲハの舞が見られたことだった。今年の春は寒冷だったせいか、麓ですら、まだお目にかかれていなかったのに…






 善光寺平周辺の里山巡りB〜薬山
 5/4、三登山と髻山を歩き、心地好い汗をかいた後も、なお時間に余裕あり… こうなったら、本日3箇所目の里山を、とて、一般には「ブランド薬師」の名で親しまれている「薬山」に訪問してみることにする。
 この山、浅川真光寺に「ループライン」ができてから、それまで以上に目立つようになったせいか、私にとっては、ループラインを車で通行するたび、いつも何となく気になる存在の山となっているものである。もっとも、その都度訪れていては飽きてしまうので、ある程度間をおきながら訪れるよう心がけているが…
 普通この山は、十三仏参拝路の七番目のお堂がメインポイントで、(注:崖に張り出すように造られており、昔はブラブラ揺れたので「ブランド薬師」と呼ばれるようになったという。) 実際、そこまでしか登らずに下山してしまう向きが多いようだが、私にはどうも「山」と名が付く以上、それなりに「頂上」らしいところに立たないと気がすまないので、今回も最高点である十三仏の10番目「阿弥陀如来」の石像のあるあたりを律儀に踏んだ上で下山。