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【山行リスト】
伊豆半島の小峰巡りB〜大室山
伊豆半島の小峰巡りC〜十国山(十国峠)
大雪の前に〜長野市の春日山(春日山城址)
番外編・大雪の日に〜「かまくら」造り
守田神社(旧七二會村郷社)と城ケ峰(瀬脇城址)
期待通りのクリアな展望〜池田町の大峰
家族で陽だまり里山散策〜辰野町の荒神山
春色濃き〜“松風の小径”散策(東条城址)
余剰時間の有効活用〜戸屋城址と春日山城址
「天狗の里」〜セツブンソウ群生地
小川村下末の768m峰(真那板城根小屋址)
謎解きの訪問〜小川村・外石峰(真那板城址)
小川村・大日方氏本城の古山城址
ちょっと気になって〜長野市湧池の虚空蔵山訪問
伊豆半島の小峰巡りB〜大室山
三連休の、そして家族サービス伊豆半島旅行の最終日でもある2/11は、午前中に有名な「シャボテン公園」あたりを散策してみることとしていたが、その「シャボテン公園」の背景をなす、一目で火山と判る妙に目立つ姿の山がある。「大室山」である。
この大室山、例によって頂上近くまでリフトが掛かっており、それを使えば幼少の子供を伴う家族連れでも安心して楽に歩ける山とあって、私は実は今回の伊豆旅行に際し、ここだけは当初から立ち寄ってみたいと思っていた。が… いざ現地に来てみれば、先の「カミ雪」は想像以上で、ここ大室山もまた、まるでスキー場かと見紛うほどの雪を身にまとっている有様。おかげで例年この時期に行われるはずの「山焼き」も延期されたとかで、付近に吹き抜ける風も結構冷たく… これでは幼少の子供を同伴して行くには寒すぎるかと多少躊躇したが、しかし空自体は良く晴れて明るく、さらに今日はどうやら富士山方面もすっきり見渡せそうであったことから、あえて当初の希望通り訪れてみることに。
そこで早速「大室山リフト」で火口の縁まで上がる。と… 期待通り、北の方にはかの秀麗な富士山の端正な姿! 思わず快哉を叫びつつ、我々は右回りに火口を周回。さすがに頂上近くでは身を切るような寒風が間断なく吹きぬけていたが、それでも「五智如来地蔵尊」〜三角点頂上〜「伊豆は日のしたたるところ花蜜柑」なる鷹羽狩行の句碑〜「八ヶ岳地蔵尊」とたどってリフト頂上駅まで戻った。その間、先の富士山はじめ、間近に天城山方面や、また東の海上にくっきりと浮かぶ伊豆大島など、遮るもののない展望を我々は心ゆくまで堪能することができた次第。
伊豆半島の小峰巡りC〜十国山(十国峠)
大室山への訪問後、同山麓の「シャボテン公園」を散策し終えた我々は、いささか名残惜しい気持ちと共に、いよいよ長野に向けて帰途についた。その際、三連休の最終日となれば、海岸沿いの道は必ず渋滞するに違いないと読んで、帰路も往路と同様「伊豆スカイライン」を採った。この選択は間違いなかったようで、我々は比較的スムーズに車を走らせていったが、そんな快適な進行も、意外なところから折々妨げられた。それは大抵は他ならぬ我が幼少の家族たちによる「用足し」騒ぎによるもので、「熱海峠」付近で休憩を余儀なくされたのも、その例にもれず。
ところが、たまたま付近で脇にそれた道が「東光寺」への道で、同寺前の駐車場まで入り、車を降りて付近の案内板を見ると、そこから「十国峠」まで、ほど近い所であると判明。となれば、ここに来たのも何かの縁、折角だからと家族の同意を得て、ちょっと時間をもらって寺の背後の尾根上の道を上がってみた。すると、ほどなく「箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄る見ゆ」という源実朝の歌碑があり、さらにその先の雪面の彼方には… またしても富士山の麗姿に遭遇! してやったりと我が身の幸運をかみしめつつ、展望施設のある頂上へ。
ここは通常「峠」と称されているようだが、三省堂『日本山名事典』によれば「十国山」として、あくまで「山」扱いで掲載されている。実際、その頂上からの周囲の眺めの素晴らしさたるや… 「峠」というより「山」の頂に相応しいものというべき。もっとも、そこには下の車道脇からケーブルカーが通じているせいか、頂上周辺は季節の割には意外なほど多くの人で賑わっていた。
大雪の前に〜長野市の春日山(春日山城址)
2/23、午前中に、長野市七二会にある春日山(春日山城址)に訪問。この日は天気予報によれば土曜日の午後から大雪とのことで、もとより長時間の山行は望むべくもなかったが、かといって私には前週の土日を風邪で棒にふったこともあり、少なくとも二週連続で「山」に行けずに終わるような事態だけは避けたく、たとえ午前中のみにても… とて、にわかに検討の結果、距離的に近い春日山城址を目的地に選定した次第。
この山城址、『長野市誌』第12巻資料編の「第3編 城館跡・条里」の一覧表中に「春日山神社が位置する場所が主郭と思われ、神社北側に曲輪と思われる平坦がある。」旨の記載があるものだが、それ以外の文献資料中には目立った記事がみられない地味な存在。
ともあれ、実際に現地に訪れてみたら、天候の崩れは予想より大分早く、11時前後にははや周囲に雪が舞い始めた。また、上部では路上の積雪ゆえにFFの我が愛車では無理もできず、適当な所に駐車し、後は傘をさしてノンビリ歩いて登っていくことになった。と… この山、意外にも頂上付近一帯は「春日山公園」として整備されており、東屋や周辺の展望図なども設置されている。無雪期ならここまで車で上がれそうだし、かつ晴天下なら、北アルプス方面の展望はさぞかし良好であろうと思われたが、今日はさすがに周囲は乳白色のヴェールに覆われ、せいぜい小田切の吉窪城址の城山あたりが見渡せた程度。鳥居をくぐり、「春日山神社」の境内に入ると、「春日山城跡」の標柱があり、付近には宝徳元年(1449年)に領主の春日氏が寄進したという古い石造常夜灯あり。神社の社殿の周囲には『長野市誌』の記述通り郭とおぼしき人工的な削平地がみられ、付近の最高点である土塁とおぼしき盛り上がりの上には「木花開耶姫命」の石碑が安置されていた。
番外編・大雪の日に〜「かまくら」造り
春日山への訪問中に降り始めた雪は、天気予報通り大雪となり、翌2/24も長野県北部には大雪警報が出たほど朝から延々と降り続き… さすがにこんな日は、私といえども山に行こうなどとは言い出す気にもならなかったが、その代わり、やたらと家の周囲に降り溜まる雪を除けると同時に、有効活用する一石二鳥の手を思いついた。「かまくら」造りがそれだ。
私が住む長野市は日本海側の豪雪地帯からは若干外れており、おまけにこのところ、例の地球温暖化のせいか、「かまくら」を造ろうと思うほどの雪も降らないので、これまで一度も試みてみたことはなかったのだが… 今回の雪では、これならできるかも知れないと、家の片隅に除雪の雪を辛抱強く積み上げていったら、どうにか子供達が中に入れるくらいの雪が集まったので、周囲を固めて整形しながら、内部をくり抜いたら、思いがけず当初の予想より結構大きい「かまくら」が出来上がった。
これには普段、雪の日などは寒いといって外に出たがらない我が子供達も大喜びで、中にローソクを1本灯してやったら、早速菓子などを持ち込んで遊んでいた。また、私にとっても、ただ家でゴロゴロしているよりは、余程良い汗をかくことができ… その意味でも一石二鳥、全く大雪のおかげで、普段はなかなか体験することができず、かつまた、ある意味冬山技術にも通じる「雪遊び」を親子共々楽しむことができたので… 「山行記録」からは外れるのをあえて承知の上、かく「番外編」として書き記してみた次第。
守田神社(旧七二會村郷社)と城ケ峰(瀬脇城址)
3/2、長野市七二会にある戦国時代の山城址(瀬脇城址)の山に訪問。この山、例によって地形図上は山名不詳の地味な場所だが、『長野市誌』第12巻資料編の「第3編 城館跡・条里」の一覧表中の記述によれば、地元集落では「城ケ峰」と呼称されているとのこと。また、城名の方については、『長野市誌』第12巻資料編には「瀬脇城」とあるが、長野県教育委員会編『長野県の中世城館跡 分布調査報告書』には「瀬脇の城」とあり一定していない。(注:もっとも「瀬脇の城」では何だかしまりがないので、本項では「瀬脇城」の名で記載したところ。)
ともあれ、思い立ってすぐ、私は現地に車を走らせ、適当な登り口はないかと探索しているうち、たまたま「守田神社」の近くにさしかかり… 折角だからと、そこに立ち寄っていく。この神社、先日訪れた「野杭山」と関連がある(注:野杭山中の石祠がある地が旧社地という)ことから、何かの折に参考までに訪れてみようと思っていたところだが、境内には長野市指定天然記念物という立派な杉の御神木があり、見応えあり。
それから、引き続き近辺を走り回って登り口探索の末、結局「蓮」集落上部の民家の脇に車を置かせて頂き、そこから一旦下って沢を渡渉し、登り返して頂上に至るルートを選択、20分ほどで無事登頂。改めて周辺を観察すると… 結構明瞭な郭などの遺構とおぼしき地形が確認された。(注:もっとも『長野市誌』第12巻資料編には「尾根頂部とその周辺には城郭施設が確認されない。」とあるが、どうなのだろう? 私のごとき素人目には、距離的に近い小松原城址の遺構と雰囲気的に似通った構築のように見受けられたが…?)
期待通りのクリアな展望〜池田町の大峰
3/9、池田町の「大峰」に訪問、そこの展望スポットから早朝の北アルプス等の展望をしばし楽しむ。
たまたま前日の土曜日に親戚で慶祝の所用があり、同山の近くに宿泊していたところ、翌朝に空を見たら、なかなかの晴天であったため、これならきっと、北アルプス方面の眺めも必ずや良好であろうと期待して、路上の積雪に気をつけながら、同山中に一箇所ある北アルプス展望スポットまで車を走らせてみたところ… まさに狙い通り、北アルプスの錚々たる面々の雄姿を、実にクリアに望むことができたのだ。
この「大峰」、南北に長くなだらかな頂上部を車道が縦断していて、付近一帯はマレットゴルフ場等として開発されてしまっている上に、紛らわしい起伏がいくつもあって、どこが真の頂上やらよくわからないなど、「山」としては多分に物足りない存在ながら… それでも、そこから望める周囲の眺めだけは、今も昔もほとんど変わりがないはず。特に長野市在住の私にとって、早朝の、それも晴天下に北アルプスの好展望を得られるスポットに訪問できる機会は、ありそうで存外ないもので、今回はまさにそんな数少ない機会を首尾よくとらえることができた次第。
家族で陽だまり里山散策〜辰野町の荒神山
3/9、先に池田町の大峰への訪問後、我々は折角の好天気でもあり、かつまた早い時間から中信あたりにいるのを幸い、この際、普段なかなか行く機会のない南信あたりの軽い山でも久々に家族で歩いてみようと企て、とにかく南へと車を走らせていった。無論、北より南の方が積雪が少ないであろうと漠然と期待してのことであったが… いざ行ってみれば、何と、南に行けば行くほど雪が多くなるではないか(!)。そう、今年は例年にない「カミ雪」なのを忘れていた。これでは、ちょっと幼少の子供同伴で歩くという雰囲気ではない。
不覚を悟った時には既に遅く、はや車は辰野町あたりにさしかかっていた。が… ふと路傍に目についた標識の「荒神山公園」の文字に、私は瞬間、そちらに車を向けた。というのは、ここなら山上には美術館やホテルが建つなど開発されているので、家族を適当に遊ばせることもできるだろうし、また、私も以前一度立ち寄ってみたことがあるものの、この山の厳密な意味での「頂上」にはまだ訪れてみたことがなかったからだ。
そこで… 早速山上の溜池「たつの海」の脇の駐車場に車を置き、まずは溜池の周辺を散策。と、折しも池の土手には辰野町の町花フクジュソウが可憐に開花しており、しかもそこには蜜蜂の姿も見られ… 雪の深さとは裏腹に、春の近いことを実感。次いで近くの「世界昆虫館」で、冬でも元気なカブトムシやクワガタムシにしばし童心に返って目を奪われた後、家族は近くで遊ばせておいて私のみ頂上付近の「荒神社」へ。そこは辰野町保存樹林の社叢の中で、周囲の公園とは一線を画した雰囲気。最高点の頂上は同神社の裏手の高みの樹林の中にあった。
春色濃き〜“松風の小径”散策(東条城址)
3/15、家族で旧本城村(現:筑北村)にある、戦国時代の山城址(東条城址)に訪問。
実は、ここへの訪問は、きわめて偶然で… この日は特に目的地も明瞭に定めず、何となく筑北村あたりまで車を走らせてきたら… たまたま「関昌寺」という寺の前で案内看板が目につき、見ると「曼荼羅の里 松風の小径」として、「東条城址」あたりを中心に、その山麓の「花顔寺」や、百番霊場の石碑、四阿屋神社の里宮という「白山神社」などを順次巡れる散策路として整備されているとのこと。これなら家族連れでの訪問にも適当そうだし、また私はそれまで、このような散策路の存在自体を知らなかったこともあり、その場でこれへの訪問を決意した次第。
そこで… 案内板の地図を参照の上、効率よく巡れそうな「花顔寺」からのルートを選択、同寺の前に駐車し、寺前の路傍に咲く可憐なフクジュソウの花々を愛でつつ歩き出す。しばし百番霊場の石碑に目礼しつつ進み、尾根上に出たところで標識に従って左折、ノンビリ歩いていくと、道は次第に明るい砂礫の山稜を行くようになり、途中、北アルプス方面の展望がひらけた一角あり。と… ここで我々の眼前を素早い飛翔で横切ったのは、「春の使者」こと越冬ヒオドシチョウ! 今年初の可憐な蝶の舞との出逢いに、いよいよ本格的な春の訪れだとの感を強くする。さらにしばし進むと、また分岐あり、目指す東条城址は右に岩稜を少々下り気味に進んだへんの尾根上にあった。その場に建ち並ぶ石祠に一礼した上、我々は分岐に戻って、今度は左に下り「白山神社」の岩壁を背にした立派な社殿を拝観、心地好い汗と共に「花顔寺」前の駐車場所に戻った。
余剰時間の有効活用〜戸屋城址と春日山城址
3/16の日曜日は好天気だったが、例によって朝から子供の幼稚園の所用等があり、午後まで身動きが取れず、15時過ぎになってようやく時間が空いた。時間的には大分遅いので、どうしようか迷ったが… しかし日も結構長くなってきている中、近郊のちょっとした山城址くらいなら十分行って来れようと思い、にわかにその時点で未訪であった長野市七二会の「戸屋城址」への訪問を決意、一人であわただしく家を飛び出す。
この城址、去る2/23に訪れた春日山城址に距離的に近く、春日山に向かう途中の車中からも、尾根の先端部が小高く盛り上がった上に東屋がある一角が見えたことから、おそらくはそのあたりであろうと想定し、地元の人に道を聞きながら車を走らせていったら… 多少は登るものかと思いきや、案外、頂上直下まで車で入れてしまった。しかも、その直下のへんまで人家が迫っているので、山城址としてはともかく「山」としては多少拍子抜け。それでも頂上の本郭址とおぼしきあたりに歩いていってみると、そこには意外にもつい最近立てられたばかりの「戸屋城跡」の石標あり。私はそれを見て、普通あまり注目されないローカルな城址でも、地元の人々にとっては大切な憩いの場なのだなと、今更ながら実感。東屋の脇には素朴な小祠が祀られ、さらに足元には春の使者フクジュソウの可憐な蕾がいくつも見られて嬉しかった。
なお、存外楽な訪問で多少時間が余ったので、ついでに折角だからと先日訪れたばかりの春日山城址にも再訪してみた。先日は大雪直前で視界不良だったため、改めて同城址からの北アルプス方面の展望を自身の目で確かめてみたかったからだが… 今回は春霞の彼方にうっすらとではあるが、どうにか常念岳や餓鬼岳方面の山稜を望むことができ、来た甲斐があったという安堵感とともに帰途についた。
「天狗の里」〜セツブンソウ群生地
3/18、この日は平日だったが、たまたま前夜が宿直当番に当たっていたことから、午後に休暇を取得。当初は家で昼寝でもするつもりだったが… あまり天気が良かった上に、ちょうど春休みに入って子供たちも在宅していたので、にわかに思い立ち、家族全員で家を飛び出した。
目的地は千曲市戸倉にある「天狗の里」。たまたま数日前の地元新聞に、同地のセツブンソウが満開との記事が載っていたことから、是非近日中に見に行ってみたいと思っていたところ。「戸倉宿キティパーク」の駐車場に車を置き、案内板に従って林道を20分ほど歩くと、そのうち周囲を竹の柵で囲われた斜面がある一角に出たが、その柵の中を覗き込んだ瞬間… 驚いた。何と、事前の予想以上の群生なのだ!
この花、この季節の山では、ごく稀に見かけることがあるので、特に珍しくもない草なのだろうと、それまで別段気にもとめずにいたのだが… 実は「レッドデータブック」の絶滅危惧U類に入っている種だということを、私は先の新聞記事で初めて知った。それゆえ、ここ千曲市のそれも、同市の天然記念物に指定されているとのことであり、またそれだけに、実際、かくも群生しているとは思ってもみなかった。
思うにこれは、地元の方々の地道な環境保全活動が、見事に実を結んでいる一つの貴重な事例であろう。現地で配布されているパンフレットの地元への愛着にあふれた丁寧な解説や、素朴な手書きのルートマップにも非常に好感が持てた。このように、近隣に住む多くの人々が心を一つにして取り組める「課題」を有する地域は、近年のような社会状況の下では、ある意味非常に幸せであるといえよう。
小川村下末の768m峰(真那板城根小屋址)
3/22、この日は朝から絶好の晴天だったが… いつものごとく野暮用のため、折角の山行日和を半ばフイにしてしまった。しかし午後の時間は残っているので、にわかに検討の結果、小川村の「真那板城址」を目的地に選定。この城址、長野県教育委員会編『長野県の中世城館跡 分布調査報告書』の分布図によれば、小川村の下末集落と駒越集落の間に南北に横たわる、地形図上768m標高点のある峰一帯に城址範囲の表示があるので、とりあえず下末集落上部まで車で入り、その先に通じる山林作業道とおぼしき道をたどって行ってみることにする。
杉林の中をしばし登ると、じきに明らかに人工的に整形されている郭のような平地や、切岸のような斜面、また虎口のような土塁などが目につくようになったが、付近には例によって標識一つないため、素人の私には、それが城址の遺構なのか、はたまた後世の畑か何かの跡地なのか、どうも判断をつけ難かった。ともあれ地形図上2つに分かれている峰の双方の頂上に立った上、私は一抹の疑念と共に駐車場所に戻った。
然るに帰宅後、『長野縣町村誌 北信篇』の「高府村」の「古跡」の項中「眞那板城墟」を参照してみたら、「本村北の方山の中段にあり。北は嶮岨にして東西二百餘間の中に、中の城天神城と云あり、嶺續き長き城なり。北東に當つて五町有餘、谷川を隔て根小屋あり、地名下垂と云、又霜末。」という記述を見出し、愕然とした。これによれば、今日私が訪れたのは「根小屋」の方で、戦闘・防禦用の城址は「谷川」(注:地形図上「薬師沢」)を隔てた南西の山稜上に別にあることになる(!)。これすなわち事前調査不足の弊。また近日「謎解き」に出直さねばなるまい…
謎解きの訪問〜小川村・外石峰(真那板城址)
3/23、昨日に引き続き、私は小川村の高府方面へと車を走らせた。というのは… 昨日「真那板城址」に訪れるつもりで、下末集落から768m標高点峰あたりを歩いてみた後、帰宅して調べたら、そこは実は「根小屋」(平時の居館)で、戦闘・防禦用の城址は外石集落あたりから西に延びる山稜一帯に別にあるらしいことが判明し、そちらも是非この目で確かめてみたくなったからである。しかも南原公平氏著『信州の城と古戦場』(令文社刊)を参照すると、そちらには「外石峰」という山名もある模様。となると、私にとっては「城址」としてのみならず「山」としても興味津々だ。
このあたり、地形図上で目立つ峰は最高点の760m等高線の峰と、そのすぐ東に750m等高線の峰の2峰あるが、地元の人の話によれば、すぐ下に「馬事公苑」があって、その上に馬道が開かれているので、それをたどれば難なく登れるとのこと。もっともいざ行ってみたら、馬事公苑の案内標識は特に見当たらず、一旦中村集落付近まで行き過ぎてしまったが… おかげで思いがけず北アルプス後立山連峰の面々の展望に遭遇! しばしそれを眺めた上で、元来た道を少々戻り、左に上がる細道を上がったら、首尾良く馬事公苑の上方に出て、そこから確かに馬道とおぼしきものが上方に延びていたので、早速車を付近の道脇に駐め、以後は徒歩で、まず東の750m等高線峰、次いで西の760m等高線峰に順次訪問。と… 道は確かに地元の人の話通り、ちゃんと付けられていたものの、ここもまた昨日と同様、城址を示す何の標識もなく、ただ、中途にみられる土塁や切岸の遺構とおぼしき地形から、確かに往時そこが城址であったのだろうと想像できた程度。最高点の頂上も植林の中で展望もなく、冬の眠りから覚めたヒオドシチョウが長閑に舞っているだけの存外静かな場所であった。
小川村・大日方氏本城の古山城址
3/23、先の外石峰(真那板城址)への訪問後、我々は一旦小川村の街中に下り(注:今日は昨日と違い家族同伴であった)、昼食を摂った後、まだ時間があるので、付近にある、もう一つ別の戦国時代の山城址に訪れてみることにする。それが「古山城址」。昨日から訪ね歩いてきた真那板城址と同様、大日方氏が城主であったという城であるのみならず、南原公平氏著『信州の城と古戦場』(令文社刊)によれば、先の真那板城址は「小川古山城の支城か」とのことゆえ、どうせ支城を歩いたなら、やはり参考までに本城の方にも訪れてみたいもの。ちなみに『長野縣町村誌 北信篇』によれば、この地方は小川氏(注:大日方氏の前の古山城主)が代々領していたが、応仁2年(1468年)に村上顯國に攻められ滅亡したため、以後、顯國の幕下であった大日方弾正忠長政が領するようになったとある。また、長政の後は直政、直忠と続いたが、その後甲斐の武田氏の信濃侵攻が始まり、直忠の男子5人により対応評議の際、長男の直經のみ自立を唱えて武田に従わなかったため、弟らが直經を殺害したところ、祟りがあったため、一族で申し合せて古山城址に「金吾大善神」の祠を祀るとともに、「明松寺」を開基し、直經の霊を弔ったという。この「明松寺」、実は先刻訪れた外石峰登り口の馬事公苑に隣接している寺であり、また古山城址の北麓には「信州の猫寺」として名高い法蔵寺があるが、ここは古山城主であった小川氏と大日方氏の菩提寺であるなど… この一帯の旧跡等の多くが特に大日方氏を中心に相互に関連していて興味深い。
で… 実際に訪れてみると、先刻の真那板城址とは違い、こちらはしっかり史跡指定されていて、「古山神社」経由で道もあり、本郭址にもちゃんと標柱あり。特に上部の相当急峻な切岸や、明瞭に残る郭や空堀の遺構の様相は、さすが「本城」らしく豪壮な造りで見応え十分だった。
ちょっと気になって〜長野市湧池の虚空蔵山訪問
3/30、この日は天気予報によれば、どうも午後には天気が崩れ、雨模様になるとの旨。最近の天気予報は当たるので、「山」に関して折角の週末を無駄にしないためには、極力午前中のうちに、どこか近隣で手っ取り早く訪れられそうなところを目的地とせざるを得ず… にわかに検討の上、思いついたのは長野市内の信里あたりにある戦国時代の山城址「新山城址」。で… 私は早速その方面へと向けて車を走らせていったが、途中、たまたま昨年末近くの12/29に訪れたばかりの「虚空蔵山」が近くにあるので、ちょっと立ち寄っていくことにする。
時間的にさほど余裕のない中、なぜ、あえて立ち寄っていく気になったかといえば、去る12/29に同山に訪れた際には周囲が霧に覆われ、頂上からの眺望がどの程度のものか、確かめられないまま終わってしまったからで… そんなことを思い出したが最後、気になって仕方がないから、とどのつまりは立ち寄っていくより他になかったのだ。もっとも、実際ほとんど頂上まで車道が通じている山ゆえ、所要時間的にはさしたる影響はなく、いざ頂上のマレットゴルフ場の中に立ってみると… 四阿山、根子岳、飯縄山、富士ノ塔山などの眺望がどうにか得られたものの、最も期待した北アルプス方面の眺めは樹木が邪魔をして不可。この点、いささか残念ではあったが、それでも自身のちょっとした懸案を一つ解決はできたので… 私はほっとした気分と共に、儀礼的に頂上の三角点標石を拝んだ上、本来の目標の「新山城址」に向かった。