山行記録帳(2008)@
〜Yamazaki's Photo Diary 2008,@〜


 【山行リスト】
 2008年最初の山〜長野市松代・皆神山  明るく爽快な里山歩き〜一重山から森将軍塚古墳
 佐久穂町・大久保山西の1,018m峰  ついでの訪問〜平林山津金寺千手院と羽黒山
 義仲出陣地に相応しく雄大な眺め〜金鳳山(依田城址)  余剰時間に〜岩谷堂観音と箱山
 どうも気になって〜箱山(箱山城址)に再訪  静かなる好峰〜佐久穂町・大久保山と1,100m峰
 偶然の訪問〜長野市・笹平の北の620m峰(日向山)  疑問解決に〜長野市・笹平の城山
 調査の過程で〜長野市・笹平の北の620m峰(野杭山)  所用のついでに〜城山(犬甘城址)
 伊豆半島の小峰巡り@〜巣雲山  伊豆半島の小峰巡りA〜下田の寝姿山


 2008年最初の山〜長野市松代・皆神山
 2008年は、前年暮れから降り続く大雪で幕を開けた。そのため、例年なら元日に「初登り」をするところ、さすがに今年はそれもかなわず、おまけに悪いことに、前年末に右足を少々痛め、完全に回復していないとあって、いきなり猛烈な山登りもできかねたことから、今年最初の山は、あまり無理をせず勝手知ったノンビリ歩きで… というわけで、1/3、長野市内の皆神山に訪問。
 この山、頂上一帯が「皆神神社」の境内やゴルフ場になっているので、頂上まで通じている車道は冬季でもしっかり除雪されているし、また頂上付近の駐車場から最高点の石祠のある地点までは、ほんの5分も歩けば達せられるとあって、手軽に山の気分を味わいに行くには格好の場所ゆえ、私も年間通じてしばしば訪れているところ。幸い今日は天気もまずまず、午後の所用のついでに、家族と共に上がってみることに。
 まずは「皆神神社」、長野県宝指定の「熊野出速雄神社」を参拝し、その一角の最高点である「富士山・二国第一」の祠へ。その裏手に回ると、樹木の間に雪化粧した飯縄山が望まれる。しばしその眺めを堪能した後、次いで一旦駐車場まで戻り、その背後の雪の斜面を「世界最大最古 皆神山ピラミット塔」(!)なる石碑経由で最高点へ。この頂上、ゴルフ場のコースの一部になっていて、普段はなかなか立ち入り難いところであるが、今日はさすがにコースも一面雪に覆われ、到底ゴルフができる状況ではないので、安心してゆっくり歩き、最高点の石祠の前へ。
 かくて、きわめて手軽な山にせよ、とにかく今年初の山の頂に立ち得て、元旦以来うずうずしていた気分を振り払えた次第。さて、これから今年一年、果たしてどのような山々が我が「山行記録帳」に記されていくことであろうか…?







 明るく爽快な里山歩き〜一重山から森将軍塚古墳
 1/6、年明け以来、最良ともいうべき快晴の日の午後、本年2度目の山歩きとして、千曲市の一重山から森将軍塚古墳までの穏やかなコースを選択。昨年末に痛めた右足も、万全とはいえないまでも大分回復したので、ここらでひとつ無理なく逆効果にならない程度の「運動」をしておこうというわけ。もっとも、いかに穏やかとはいえ、さすがに積雪のある山に幼少の子供たちを伴う家族での訪問はどうかと思われたので、今回は家族にはしばし山麓の県立歴史館近辺の公園などで遊んでいてもらうことにし、私一人、一重山の登り口で車を降りて歩き出す。
 しばらくは「一重山不動尊」「御嶽神社」「矢代神社」と寺社の続く道をノンビリ登り、日本百景に選定されているという「矢代神社」前の平地からの眺望を堪能、さらに屋代城址の明瞭な空堀や郭の遺構を目にしつつ、同城主郭址の一重山頂上へ。そこは片隅に矢竹が茂り、西の縁には石積も見られ、いかにも山城址らしい平地だが、展望は先刻の「矢代神社」前ほどには良くない。それゆえさして長居はせず、一旦有明山との鞍部に下り、そこに通じている林道をたどって、次なる目的地の森将軍塚古墳(大穴山)へ向かう。
 途中「近道」なる急な木階段道をたどったりしつつ、一汗かいた頃合、前方後円墳である森将軍塚の後円部(「大穴山」頂上)に立つ。そこからの眺めは… 眼下に拡がる善光寺平の俯瞰はもとより、その背景をなす飯縄山や、戸隠連峰最高峰の高妻山などの白銀の姿が最高! 標高的には平凡ながら、いつ来ても開放感満点の明るい雰囲気に、足の方も大丈夫そうだという安堵感も加わり、実に嬉しい山歩きの一時だった。







 佐久穂町・大久保山西の1,018m峰
 1/13、三連休の中日。この日はたまたま私を除く家族全員が都合で妻の実家の方に出掛けており、珍しく私一人フリーで動ける状況。されば、普段なかなか行けない山へ、と佐久方面へと車を走らせる。この時、私の念頭にあったのは、佐久穂町にある1,108m三角点峰こと「大久保山」。この山、いつも佐久市から南下していく際、左手に目につく気になる山で、今日この機会を利用して訪れてみようと思っていたのだが…
 いざ、適当に見当をつけた登り口から、雪の斜面に踏み込んでいくと、急に背後から声をかけられたので振り向くと、何とハンターらしい人が、今日はこの山で鉄砲撃ってるから危ない、目立つ服装をして行けという(!)。愕然とし、車に戻って、それまで来ていた薄い色の防寒着を脱ぎ、濃い色のジャンパーに着替えたものの、それからどうも気分が乗らなくなった。いくら山好きでも、鉄砲でズドンとやられては堪らない。
 しかし、折角出てきて、このまま登らず帰るのも残念だ。そこで… 地形図上、当初目標の「大久保山」より800mほど西にある、1,018m標高点峰に、にわかに目標変更。雰囲気的に、こちらの方ならハンターも入っていなさそうだったし、また「大久保山」の隣に結構立派な山容を見せていて、等しく登行欲をそそるものだったからである。そこで、上曽原集落の上の車道を少し上がったへんから、山稜に取り付き、ぐんぐん登って行ってみた。と… 期待通り、上部では岩稜が出てきて、結構アルペン的な爽快さと良好な眺めを楽しめる箇所があり嬉しい誤算。現時点で山名不詳の山ながら、やはり登れば登っただけのことはある。このような知られざる山を自ら発見できることこそは、まさに寂峰趣味の醍醐味というべき。もっとも頂上自体は、露岩の上にあったものの、樹林の中で展望不良の静寂な場所だった。







 ついでの訪問〜平林山津金寺千手院と羽黒山
 先に大久保山西の1,018m標高点峰に登頂後、私は往路を駐車場所まで戻ったが、まだ多少時間があるので「寄り道」していくことにする。というのは… たまたま1,018m標高点峰への訪問前に、用足しに小海線の羽黒下駅に立ち寄った際、駅前の観光案内看板に「羽黒山」の表示があるのに気がついていたからだ。私はそれまで同山の存在を知らなかったが、ここに「羽黒山」があるとすれば、その山の下の街が「羽黒下」であることがストレートに納得できるとともに、またそんな山だけに、おそらくは近隣の人々の憩いの場になっているのであろうと容易に想像されたので、時間が許せば立ち寄ってみようと元々心に決めていたのである。
 そこで、適当にその方向に車を走らせていくと、ふと、途中に由緒あり気な寺院があるのが目についたので、折角だからと、そこにまず立ち寄っていく。と… その寺は「平林山津金寺千手院」といい、その名の通り千手観音を祀っているとのこと。また現地説明板によれば、千手観音とは一切の衆生の苦しみを救済する無限の慈悲を有する菩薩様とのことゆえ、私は、これは我ながら良い所に立ち寄ることができたものだと思い(!)、堂前に一礼して境内を一巡した上で車に戻り、次いで地元の人に道を尋ねつつ羽黒山へと車を走らせていくと… 多少は歩くものかと思いきや、何とほとんど頂上まで車で上がれてしまい拍子抜け。そこは運動公園になっていて、実際「山」というよりはグランドという感じだったが、それでも片隅に石祠が祀られている一角があり、一応古くからの地元の人々のこの山への愛着めいたものを感じとることができた次第。







 義仲出陣地に相応しく雄大な眺め〜金鳳山(依田城址)
 1/14、三連休の最終日。幸か不幸か、この日もまた私を除く家族全員は都合で妻の実家の方に出掛けており、私一人で動ける状況。しかも天候はまずまずときている。で、またしても、これまで案外訪れる機会が得られなかった山への訪問を企てる。
 そこで、今日の当面の目的地に定めたのが、旧丸子町(現:上田市)の金鳳山。この山、木曽義仲が一時拠ったという「依田城址」がある山で、山麓には義仲が戦勝祈願をしたという「岩谷堂観音」があるなど、単なる里山にとどまらない豊かな歴史性を有する。最近の私自身の経験上、このような山は、標高の如何にかかわらず、存外良い雰囲気の場合が多いので、大いに期待しつつ、「宗龍寺」付近の登り口へ。
 「宗龍寺」手前のスペースに駐車、道標に従い、寺の左手に上がる沢筋の道を行くと、やがて登りが一段落したへんで道は右に曲がっていき、少し行くとまた「依田城跡登山口」なる道標があって、そこで右手の尾根に取り付く。後は頂上まで結構急な登りで、上部では若干岩場も出てきて多少緊張したが、幸い陽だまりの積雪は既に大分消えていて、軽アイゼンを使うほどのこともなし。そして一汗かいた頃合、待望の頂上に躍り出ると… 何と、そこで事前の想像をはるかに超えた、実に素晴らしい景観が私の周囲に展開されたのだ!
 いかにも岩峰らしい明るい雪面の狭い頂上から、主として東の方にひらけた眺めは… 眼下に拡がる依田川流域の俯瞰はもとより、その背景に美しく雪化粧して連なる、四阿山、烏帽子岳、籠ノ登山、浅間山、といった上信国境のおもだった山々! 当初の期待通り、山城址としてのみならず「山」として一級品の場面に際会し、私は義仲ならずとも、実に雄大な気分をもって頂上での憩いの一時を過ごすことができた。
 (追記:本山行記録中で山名として採用した「金鳳山」の名は、南原公平氏著『信州の城と古戦場』(令文社刊)の記事によるものであるが、長野県教育委員会編『長野県の中世城館跡 分布調査報告書』の城館跡一覧表の依田城の項の備考欄には「呼称―城山」とある。然るにいずれの山名も、なぜか『長野縣町村誌 東信篇』中「御嶽堂村」の項には記述がなく、裏付けが取れない。殊に「金鳳山」などという立派な山名であれば、多少記述がありそうなものなのだが… しかしその後『角川日本地名大辞典 20 長野県』(角川書店刊)の小県郡丸子町の「現行行政地名」の項中「御岳堂」の項を参照したら「御嶽山山頂に木曽義仲挙兵の根拠地となった依田城があり、そのふもとに居館跡推定地がある。」との記述を見出した。これなら少なくとも麓の集落の名と合致するという点で、私のごとき素人目にも信憑性が高いので、今後ここを「山」として紹介する場合は、現時点でこの「御嶽(みたけ)山」によるのが最も無難と判断するに至ったので、本山行記録を御覧頂いた方には、以上の事情について御了解・御留意の程をお願いしたいと思う。)







 余剰時間に〜岩谷堂観音と箱山
 先の金鳳山(依田城址)への訪問後、私は同山の麓にある、木曽義仲ゆかりの「岩谷堂観音」に立ち寄ってみた。ここは正式には「宝蔵寺」といい、同寺の案内看板によれば、木曽義仲が北陸方面に向けて出陣するに際し、戦勝祈願をした地とのことゆえ、依田城址に訪れたなら、こちらも是非併せて参詣して行きたいところ。そして実際に訪れてみたら、ここは木曽義仲だけでなく、平家の猛将・悪七兵衛平景清及びその寵妃「楓の前」のゆかりの地でもあるということなどが知れ、これまた先の依田城址と同様、当初の期待に違わず豊かな歴史性を有する地であった。
 さて、そんな「岩谷堂観音」の上部にある展望の良い東屋から、私は何とはなしに南の方を眺めているうち、まだ時間もあるし、ついでにもうひとつ、近所にある山城址に訪問してみようと思い立った。それが「箱山城址」。車内に携行してきた長野県教育委員会編『長野県の中世城館跡 分布調査報告書』の分布図を見たら、この山城址、立科町との境の峠付近にある「箱畳公園」にほど近い772m標高点峰一帯に表示があったので(注:同書の城館跡一覧表によれば、所在地は「字箱山・城窪」とあり、山名は「箱山」で間違いあるまい)、早速、中丸子あたりから「箱畳公園」への車道を駆け上がり、「箱畳池」の近くから徒歩で登っていってみた。と、上部では薮がちな踏跡程度の道になったものの、とにかく達した頂上部には、どうも物見櫓でも建てた土台とおぼしき比較的顕著な土塁がみられ、その上が最高点であった。ただ、それ以外にはさほど山城址らしき遺構もみられず、多少拍子抜けした気分のまま「箱畳池」の畔に戻ったが、後でよく調べたら、どうもこの城址の核心部は、箱山頂上より西にやや下がった稜線上にあるものらしく、この日はそちらを見ぬまま下ってしまった次第。また近日中に是非訪れてみたいものである。







 どうも気になって〜箱山(箱山城址)に再訪
 去る1/14に訪れた箱山(箱山城址)について、訪問後によく調べた結果、本来この山城址の核心部は、箱山頂上より西にやや下がった稜線上にあることが判明したが、1/14の訪問時には私はその事実を知らず、結果としてそちらには訪れないまま下山してしまったとは、先の山行記録に記した通り。が… そのことを知って以来、どうも気になって仕方がなく、気になるものは解決せぬまま放っておくほど精神衛生上よろしくないというわけで… 約一週間後の1/20、早くも問題解決のための再訪を企てた次第。
 箱山頂上までは1/14と同様にたどり、例の頂上の土塁を再度確認した上で、いよいよ核心部に迫るべく、北側に延びる稜線を下り始めた。が、この山の北側には紛らわしい尾根がいくつも派生していて、私は最初別の尾根を下ってしまい、途中で気付いて一旦箱山頂上まで舞い戻り、改めて正しい尾根を下り、ようやく山城址核心部に達するという失態を演じてしまった。
 しかし… そんなこんなで、ようやく目にし得た空堀や郭などの遺構群は、思わぬ苦労を味わったせいか、きわめて顕著なものとして私の眼に映じた。また、城址遺構群の前後の伐採地から、美ヶ原や間近に聳える依田城址の峰(御嶽山)などの眺めが良かったのも嬉しかった。さらに、注意して見ていたら、頂上近くにも、目立たぬながら多くの郭とおぼしき削平地が目につくとともに、尾根の中途には小規模ながら石積もみられ、それらはいずれも、箱山城の後詰の役割を担った砦の遺構であろうと想像されるなど… なかなか興味深い山城址探訪の一時だった。







 静かなる好峰〜佐久穂町・大久保山と1,100m峰
 1/21、この日は平日ながら、私には1/19の土曜日が休日出勤だったため、その振替休み。また外を見ると天候も比較的良好ゆえ、例によって、にわかに山行を思いつく。それは、去る1/13、鉄砲を撃っていると脅かされて訪問断念した、佐久市・佐久穂町境にある1,108m三角点峰こと「大久保山」。(注:この山名は佐久穂町商工会ホームページで紹介していたコース案内によった。) 先日は日曜日だったが、今回は月曜日。平日なら、さすがにハンターもそう山には入るまいと予測して、先日来の無念を晴らすべく自宅発、まずは「曽原の湯」付近の登り口へ。
 その脇の林道ゲートから徒歩で、カタクリの花が描かれた道標に導かれて歩を進める(注:この山の山腹はカタクリ群生地として有名)。少し行くと林道は尽き、鹿の防護ネットを抜けて、カタクリ群生地の中を通過。シーズン中の美しさを想像しつつ、群生地最上部に至り、そこでまた鹿防護ネットを這い抜け、伐採地の倒木を乗り越えつつ登行。すぐ上の峠から左(北)へ200mほど稜線をたどり、地形図上1,100mの等高線がある峰へ。そこは山名不詳の峰ながら、頂上脇の露岩上の高度感十分、眼前には茂来山が大きく迫り、雰囲気良好で好感の持てるピークだ。
 そこから目指す「大久保山」には、さらに300mほど北に稜線をたどって難なく達す。頂上には三角点標石と木花開耶姫命とおぼしき石像を祀った素朴な石祠があり、また周囲の展望たるや、眼下に佐久市や小海町方面、さらにその背景をなす上信国境の山々や八ヶ岳連峰など実に雄大。事前の予想をはるかに超えた雰囲気良好の峰に立ち得て、私は今日、あえてはるばる出てきただけの甲斐があったと、心底嬉しく思った。







 偶然の訪問〜長野市・笹平の北の620m峰(日向山)
 1/26、土曜日。この日は前週の土曜日に引き続き、私には休日出勤であり、午後1時過ぎになって勤務が終わったものの、後には中途半端な時間だけが残った。となると、いつもならすぐ折角の時間の有効活用を… となるところだが、しかしあまりその調子で私一人で山、山と騒いで、そのうち家族に愛想を尽かされても困るので、今日は一旦は山のことを忘れることにし、家族と共に近隣の温泉に入浴に行くことに。
 が、その帰り、まだ周囲に明るさが残っていたことから、ついまた例の因果の虫がうずき出し… ちょっと時間をくれとて、国道19号線の笹平トンネル東出口のあたりから上方へ車を走らせた。その際、私の念頭にあったのは、確かそのあたりに「笹平城」という中世の城址があったはずだとの不確実な記憶で、とにかくこの近辺の目ぼしい山上に上がってみれば、何がしか発見があるだろうと期待し、適当に目をつけた峰の直下に家族を待たせておき、一人で登り出す。尾根上に出ると一応踏跡があり、それをたどりつつ、しばし尾根を登ると、一旦平坦な場所に出たが、そのあたり、見ようによっては郭の遺構のようにも見え、さらにすぐ先には空堀の遺構とおぼしきものもある。またその先の斜面を登りつめて頂上らしき所に達すると、そこはきれいな平地となっていて、周囲にはやはり郭とおぼしきものがある。やはり城址かと思いつつ下山したが、後で家に戻って資料を見たら、そこは笹平城どころか、何と城址の印すらなく、無論地形図上に山名の表示もない地点であった。(注:翌日、地元の人に尋ねたら、俗に「日向山」と呼称していると判明。) では、あの郭や空堀らしきものは何だったのだろう。先入観でそう見えただけに過ぎないのか…?






 疑問解決に〜長野市・笹平の城山
 1/26には事前調査不足のおかげで、漠然と笹平城址に訪れるつもりで全く別の地点に登ってしまったが、後で『長野市誌』第12巻資料編等でよく調べてみると、笹平城址というのは山の上ではなくて山麓の台地上にあり、その上に「笹平の城山」という別の城址があると判明。地元伝承によれば笹平城の詰の城とのことであり、今度は位置も明確になったので、1/27、前日のモヤモヤした気分を払拭すべく、家を飛び出す。
 この城址、国道19号線の笹平トンネルのちょうど上の尾根上にあたり、麓からもよく目立つ東屋や「東谷・白山神社」「歓喜天神社」が祀られている一帯にある。実は私もそれまで付近を車で通過する度に、あそこに何かあるなと思いつつ、ついつい訪れることもなく今日まできてしまった所であった。東屋があるくらいだから、近隣の人々の憩いの場所になっているであろうことは想像に難くなかったが、今日の場合、さすがに道には雪があり、FFの我が愛車では最上部までの進入に不安があったので、適当な所に駐車の上、滑り止めのスパイクのみ着用して、通常とは逆のルートから登っていってみた。まずは上方の尾根上に這い上がり、次いで右へ尾根をたどると、そのうち明瞭な空堀の遺構があり、山の神とおぼしき朽ちた小祠や、NHKの無線施設がある地点を経て、ほどなく「御神木」の杉の下に前述の神社が祀られている一角に到着。そこは犀川沿いの谷筋の眺めが良い場所で、山城としては多少高さが足りないようながら、少なくとも物見の砦を設けるには適当な地であることが理解された。







 調査の過程で〜長野市・笹平の北の620m峰(野杭山)
 1/27、先の笹平の城山への訪問後、私は前日偶然登ってしまった山の名等について調べるべく、また国道19号線の笹平トンネル東出口のあたりから上方へと車を走らせ、「塩」という名の集落付近の峠に出た。地形図上で見る限り、昨日登った峰はその南に位置しているが、一帯には昨日登った峰と同じ620m等高線の峰がさらに2つほどあるので、折角だからそれらにも訪れてみようと考え、峠の脇にある半鐘の櫓のへんから登り出す。ほどなく最初の620m峰の頂上部に出て見回すと、すぐ先が小広い雪原になっており、その周りを囲むように丘状の峰がある。向かって右がもう一つの620m峰で、私は次いでそちらに登頂し、改めて下方の雪原をよく見ると、何と平地の縁が明らかに人工的に四角く整形されているのに気付いて驚いた。昨日登った峰の山城の遺構とおぼしき地形といい、また今日のこの整形地といい、一体何なのか? 疑問を覚えつつ、さらに周回するように歩を進めると、そのうち石祠のある一角にも出て… これは明らかに何らかのいわれのある地だと確信し、峠に戻った。
 それから、私は峠のすぐ近くの地元の方を訪問し、諸々尋ねてみたところ、次のようなことが判明。まず、先刻の整形された平地は、数十年前まで畑で、桑などを栽培していた場所であり、そのあたりの山は俗にノクイヤマ(野杭山=野に杭が立っている山という意)と呼ばれているとのこと。また、その山より奥の峰(注:昨日私が登った峰)は俗にヒナタヤマ(日向山=日向にある山との意)と呼ばれていること。さらに、先刻私が見た石祠は「守田神社」旧社地の祠で、一帯はジンデン(神田=神の田の意)とも呼ばれていること… 他にも、「塩」という集落名は昔、岩塩を採ったことに由来するとか、峠のあたりは大芝原(オオシバラ)という地名であること等、思いがけず、実に多くのことを親切に教えて頂き、感激した次第。
 以上により、少なくとも今日見た整形地の方は城址の遺構ではないらしいことが判った。もっとも昨日の峰の方はまだ疑問は残るが… それよりも、今日お聞きしたような地元の方の話は、どこかで記録しておかなければ、いつか忘れ去られ、消え去ってしまう。今後とも折にふれて知り得た興味深い事実は、できる限り克明に書き留めておきたいものだと、改めて思った次第であった。






 所用のついでに〜城山(犬甘城址)
 2/2、土曜日。たまたま所用で松本市に訪れた帰り、多少時間があったので、折角だからと「城山公園」へ車で駆け上がる。
 今は隣接する「アルプス公園」と共に、松本市民の憩いの場となっている地で、頂上付近には遊園地施設もあるなど、通常「山」としては認識され得ない地ながら、それでも今回のように慌しく時間もない中で、ちょっと「山」の雰囲気を味わいたい場合には手頃な地。また、ここは天文19年(1550年)、甲斐の武田氏の侵攻に小笠原氏側の諸城が相次いで自落した後も、なおしばらくの間もちこたえて意地を見せた犬甘大炊助の居城址で、現在でも明瞭に残る空堀や郭の遺構を手軽に見学できる地でもある。
 そんな地ゆえに、特に家族連れで訪れる場合などには好都合な場所といえるが、今回の場合、積雪があったので、家族は遊園地あたりで遊ばせておき、私一人、城址から展望台までしばし歩き回ってみた次第。空は高曇り加減で、どうも天候は下り坂のようだったが、それでも展望台に上がってみると、北アルプスの稜線はまだその輪郭線を見せてくれており、さらに鉢盛山、鉢伏山、美ヶ原、戸谷峰など、周辺のおもだった山々の姿や、眼下に意外と近く見下ろせる松本城の天守閣など、にわか思い付きの訪問ながら、期待以上の眺望を楽しむことができた。







 伊豆半島の小峰巡り@〜巣雲山
 2/9〜11の三連休は、本来なら絶好の山行の機会としたいところ、例によってそうもいかず、はからずも家族サービスで伊豆半島に旅行に訪れることとなり、相当程度の山行は望むべくもなくなったが… そうは言っても、車のハンドルを握る道すがら、半ば無意識的に、どこか手っ取り早く訪れられそうな山があれば、どんな簡単で小さい所でもいいから… などと考え続けているのが、どうも最近の私の悪い癖だ。
 三連休初日の2/9も、海岸沿いの道は必ず渋滞するからとて「伊豆スカイライン」に車を走らせたのは、実は半ばそんな下心があったからで… 果たして車が熱海付近を過ぎて伊東あたりにさしかかった時、ふと、道脇に何か標識が目についたので反射的に停車し、見ると「巣雲山園地 標高519m」とあり、さらにその左に「巣雲山登山口 標高580m頂上 徒歩8分」とあるではないか。私は実際、それまで巣雲山という名の山は全く知らなかったのだが、徒歩8分程度となれば、家族を多少待たせても大して文句は言うまいし、まさしくこれ幸い、今回のような状況下では格好の訪問対象ゆえ、私は家族の了解を得るなり、車中に常備している防寒長靴を着用して、早速訪れてみることに。と… どうも先日の「カミ雪」の名残か、この地方にしては意外と深い積雪で多少歩きにくかったが、それでも10分もしたら展望台のある頂上へ。そして展望台の上に立ち、周囲を見回すと… 熱海から伊東にかけての太平洋、また天城山方面の山並みなどの眺めが良好。偶然訪れた山にしては、予想以上の眺望と明るい雰囲気に、私は、やはり多少の手間は惜しまず訪れてみるものだなと、至極充足した気分と共に車へ戻った。







 伊豆半島の小峰巡りA〜下田の寝姿山
 三連休2日目、家族サービス伊豆半島旅行もまた2日目となる2/10。この日は、日本で最も早く開花するという有名な河津の桜を眺めた後、下田あたりを適当に散策する予定であったが、たまたま前夜泊まった宿で入手した観光パンフレットに「寝姿山ロープウェイ」というのがあるのを見出し、例によって私は下田散策の途中でちょっとその「寝姿山」というのに訪れてみることに勝手に決めてしまった。この際「山」と名がついてさえすれば、どこでも構わぬという、まるで手当たり次第の体だが、それでも訪れてみれば、どんな山でも相応に印象に残るもの。然るに… この山の場合、はからずも私にとって、とんでもない印象を残す山になってしまったのだった。
 ロープウェイで頂上近くまで登れる山なので、家族もいやだとは言わないし、頂上駅に降り立てば、たちまち眼下には下田港の俯瞰が良好、さらにこちらは寒冷な長野とはまるで別世界のごとく温暖な気候で、先の河津どころか、ここでもまた桜が開花しており、その桜の花々の間に愛らしく飛び回るメジロの群れに目を奪われるなどしつつ、我々は頂上付近の「愛染堂」までノンビリ登っていった。
 とまあ、ここまでは申し分なかったのだが… ここで何と、我が長女が迷子になるという変事出来! 低いとはいえ山中、さすがに青くなって皆で付近を探し回った挙句、やっと見つけた迷子の張本人は、こともあろうに頂上駅の売店のおばさんと、すました顔で雑談していたときた(!)。ほっと胸をなで下ろしたものの… 散々大騒ぎした後だけに、我々はさすがにいたたまれず、そそくさとその場から逃げ出さざるを得なかった。