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【山行リスト】
余剰時間に〜カヤノ平散策(北ドブ湿原)
家族で軽く「避暑」の一時〜三峯山
下界の暑さに堪りかね〜三登山に「避暑」
家族旅行の途中に〜佐渡・ドンデン山(タダラ峰)
例によって家族で軽い「避暑」の一時〜東館山
わずかな時間を有効活用〜頼朝山散策
400年の歴史に想いをはせて〜朝熊ケ岳
またしても訪問〜今年4度目の陣場平山
薄暮の山第12弾〜上杉謙信物見岩
志賀高原・坊寺山と田ノ原湿原
信州の英傑・村上義清の本拠〜葛尾山(葛尾城址)
旧中山道和田宿の裏山〜和田城址
中野市東山の外れの寂峰〜鎌ケ嶽(鎌ケ嶽城址)
上田市・坂城町境の寂峰〜三ツ頭山
所用の後の余剰時間に〜横根山・方塞山・三枚石
余剰時間に〜カヤノ平散策(北ドブ湿原)
8/11、先の焼額山への訪問後、我々は奥志賀高原方面へと車を走らせ、途中で秋山郷方面への道と分れて野沢温泉村方面へと折れ、しばらく走った後、さらに「カヤノ平」経由で木島平村方面へと向かった。陽の長い季節、まだ時間は結構あるので「カヤノ平」あたりで少々散歩していこうという程度の腹積もりだったのだが… いざ現地に到着してみたら、案外同乗していた女房の母親が、折角だから「北ドブ湿原」を見ていきたいという。その湿原なら、私は2年ばかり前の6月中旬に長男と共に1度訪れたことがあるが、確かに一見に値する場所ではあると思われるし、「カヤノ平」の駐車場からは片道ほんの2km弱の40分程度で、道も比較的平坦でよく整備されているので、私自身の病後の「足慣らし」にも適当であろうと思われたため、ノンビリ行ってみることに。そこで、同行を希望した我が長男及び次男を加え、早速4人で歩き出す。
湿原までは東・西2コースがあるが、距離的に大差はないので、今回は東コースをとり、ブナの巨木が林立する昼なお暗い鬱蒼とした樹林帯を行き、西コースと合流後、500mばかり緩く下って目的の湿原入口に到着。そこでは、それまでの鬱蒼とした樹林中の薄暗さとはうって変わって、まるでそこだけ別世界のごとくに開けた明るい雰囲気に。季節は既に8月中旬、前回私が訪れた6月中旬とは当然咲き誇る花の種類は全く変わっていたが、それでもコバギボウシやマルバダケブキ、オタカラコウ、ジャコウソウなどの咲く鮮やかな色彩の中、我々は湿原の真中を突っ切るように設けられている木道を、心地好い汗を拭いながら東屋までの間を往復しつつ、時間の許す限り周囲の景観を楽しんだ。
家族で軽く「避暑」の一時〜三峯山
8/12、盆を目前に控えた日曜日。このところのうだるような暑さと、帰省ラッシュでいささか喧騒な下界の雰囲気から、たとえわずかな時間なりと逃れようと考え… 家族で訪れても無理なく楽しめる場所として、にわかに「聖高原」の麻績村と千曲市との境にある「三峯山」に訪問。この山、夏場は聖湖畔から頂上直下までリフトが運行され、頂上には展望台や喫茶店、また聖湖側の西側斜面には滑り台が設置されているなど、半ば遊園地化している山ながら、頂上付近の明るく開放的な雰囲気や、また俗化している山の割には意外と良く保たれている周辺の自然などには捨て難いものがある。それに、聖湖畔から頂上まではほんの15〜20分も歩けば足りる山でもあり… 病後の「足慣らし」中という今の私の状況的にも、この程度の軽い山こそは実にうってつけ。それで当然リフトは使わず、訓練の意味もこめて次女を背に負い、ゆっくり歩いて登頂。
頂上では期待通り、善光寺平方面や聖湖などの俯瞰や、間近に迫る冠着山などの眺めが良好な、実に明るく開放的な雰囲気であったことはもとより、さらに目を惹かれるのは、晴天下、周囲に活発に舞い飛ぶ色とりどりの蝶! アサギマダラ、キアゲハ、ツマグロヒョウモン、ジャノメチョウ、モンキチョウ、スミナガシ、ヒメアカタテハ… それら可憐な蝶たちが、アザミやヨツバヒヨドリなどの花々の間に舞い競い、羽を休めたかと思うとまた飛び立ち、ライバル相手にドッグファイトを繰り広げたりする様は、全く、私にはいつまで眺めていても見飽きない情景。それゆえ、しまいには家族がじれて早く下りようと騒ぎ出すまで、私は頂上周辺をデジカメ片手に、心地好い汗と共に駈けずり回った。
下界の暑さに堪りかね〜三登山に「避暑」
8/13、盆の初日。この日は、元々墓参等の野暮用があったため、当初は山に登るつもりなど全くなかったのだが… 午後に入って、あまりの暑さに堪りかね、たとえ一時なりと、この暑さから逃れたいという一心で、行先も定めないまま車で自宅を飛び出した。
そして何となく東寄りに車を走らせていくうち、にわかに長野市若槻にある「三登山」に訪問してみることに決す。この山、山容こそ凡庸ながら、最近地元により良いトレッキングコースが整備され、里山の割に結構濃厚な森林浴を楽しめるエリアとなっている。私はその状況を昨年の同時期の薄暮時に思いがけず確認し、以来、この山は私にとって秘蔵の好みの山のリストの中の1峰に加わっていたものである。
当然、ルートもいくつかあるが、今日は中途半端な時間に家を飛び出してきたので、昨年と同様に最短コースの「坂中口」を選択。ただ、今回は昨年のような薄暮時よりは若干時間が早いので、淡い期待を胸に歩を進めていくと… まさに期待通り、いつしか私の周囲には可憐なアサギマダラの優雅な舞が…! また今日は余程暑かったとみえ、鬱蒼とした樹林の中の空気さえも、いささか「草いきれ」気味にむっとくることもあったものの、それでも下界とは比べ物にならないほどの涼しさ。森林の緑こそは、まさしく天然のクーラーであることを実感しつつ、私は最高点である頂上と、そのわずか先の三角点地点までを往復し、大分すっきりした気分と共に登山口に戻った。
家族旅行の途中に〜佐渡・ドンデン山(タダラ峰)
この夏は、私自身が感染症で早々に体調を崩し、折角の夏山シーズンを棒にふったのみならず、我が子供達にも、折角の夏休みにどこにも出掛けられるでもなく… 私は内心、子供達には悪いことをしたと思っていた。そこで、私の体調も大分戻ったのを機に、子供達の夏休みも後わずか2〜3日を残すのみとなった8/18〜19、佐渡島へのささやかな家族旅行を企画。無論、あくまで家族サービスの観光が主眼の旅ゆえ、巡る場所はといえば、尖閣湾とか金山関連施設など、ポピュラーな観光名所を中心とせざるを得ないが、そんな旅の中でも、コースをうまく取りさえすれば、途中でちょっと軽い山に立ち寄っていくことは可能。今回の場合、私は佐渡島では最高峰の金北山と並び人気のある「ドンデン山」(注:「ドンデン池」周辺の山をさしていう通称で、国土地理院の地形図上は「タダラ峰」。)への訪問を、体よくコースの内に組み込んだ次第(!)。
初日(8/18)は相川付近で一泊、8/19は早朝に宿を出て、外海府側の海岸沿いをしばしドライブの後、入崎付近から「ドンデン高原」への道へ。細い道だが、幸か不幸か、このあたりまで入り込む観光客はあまりないとみえて対向車もほとんどなく、無難に登り口の「ドンデン山荘」前に到着。ここから最高点の940m標高点峰「尻立山」までは最早片道1kmもなく、ほんの少し登って934.2m三角点峰の「蜂ケ峰」を過ぎれば、そこから尻立山までの間は蝶が舞い飛ぶ明るい草原の中の爽快な道。両側には佐渡島の海岸線が俯瞰され、背後には佐渡島の最高峰金北山が望まれ… じきに達した頂上からは、今度は「ドンデン池」の紺碧の水面がすぐ眼下に手に取るごとし! 幼稚園児の我が長女をして「ずっとここにいたい!」とまで言わしめたほど、当初の予想をはるかに超えた素晴らしい頂上の雰囲気を、我々は限られた時間の中ながら大いに味わった。
例によって家族で軽い「避暑」の一時〜東館山
この夏も盆を過ぎ、ようやく多少涼しさが辺りに感じられ始めたと思ったのもつかの間、8/25の土曜日は、天気が良い代わり、どうも朝から暑くなりそうな雰囲気。で、ちょっと皆で「避暑」を兼ねて山の爽快な空気でも吸いに行かないか、と私が家族に持ちかけたところ、皆、異口同音に、あまり汗をかかずに済むような軽くて疲れない山ならいいという。私は内心、どいつもこいつも楽ばかりしたがってと思ったが、しかし半ば私の趣味に強引につきあわせている手前、あまり強いことも言えないし、また、私自身もまだ病後間もなく、長時間の山行にあまり確信が持てないこともあり… 結局、勝手知った志賀高原の東館山に訪れてみることにする。この山なら、ゴンドラリフトで手軽に頂上付近まで上がれて雰囲気的にも結構明るいし、特に危険箇所もなく、山の花々や蝶の舞も相当程度に楽しめる、まさに家族連れでの山遊びには格好の場所だからだ。
そこで、早速昼食持参で志賀高原の発哺温泉へと車を走らせ、さらにそこからゴンドラリフトにより山上に躍り出ると… 晴天の下、周囲には期待通りに色とりどりの山の花々や蝶たちの舞が! ウラギンヒョウモン、コヒョウモン、アサギマダラ、クジャクチョウ、ヒメキマダラヒカゲ… 中でもクジャクチョウの可憐な姿には、私にとって2003年以来4年ぶりの、この山での遭遇となり、大変嬉しかったところ。
また、明るい陽射しは終始周囲に降り注いだが、木陰の涼しさは到底下界とは比較にならず、そのせいか幼少の我が子たちも、出発前に疲れる山はいやだなどと講釈を述べ立てたことなど、まるで嘘であったかのごとく、大自然の中を歓声を上げつつ大いに駆け回っていた。
わずかな時間を有効活用〜頼朝山散策
8/27、この日は月曜日だが、たまたま私は前日の26日が休日出勤だったため、その代りに休みを取っていた。貴重な日曜日の代りなのだから、是非どこか山にでも… などと皮算用していたが、現実はそう甘くなく、平日ゆえの野暮用の連続の中に午前はあっという間に過ぎ去り、午後もはや3時過ぎとなってしまった。こりゃ、今日はもうダメだなと半ば諦めかかっていたが、3時半過ぎになって小学生の子供達が帰宅し、遅まきながら家族全員そろった。外を見ると、まずまずの空模様。そこで、私にとっては折角の休み、せめて短時間なりと近所の山でも… というわけで、家族全員でもノンビリ散歩できそうな山として、長野市街地の北にある葛山の前衛の小丘「頼朝山」への訪問をにわかに思いつく。
そうと決めたら、最早あまり時間はない。子供達をせき立てるようにして乗車、可及的速やかに登り口の「静松寺」付近まで車を乗り付けて歩き出す。ちなみにこの山、私にとっては今年既に4/13の薄暮に一度訪れたところであり、そのようなあまり陽の長くない薄暮に登れるくらいの山だけに、幼少の子供同伴でも駐車後ほんの20分程度で登頂したが、そんな容易さとは裏腹に、この山から見下ろす長野市街地の眺めには格別のものがある。それに、ふと気がつけば、家族をここに連れてきたことは、案外これまで一度もなかった。そのせいか、子供達はまず件の長野市街地の眺めに歓声を上げ、後はお決まりのごとく周囲を大いに駆けずり回り… 私は、やはりたとえ短時間でも来た甲斐は十分あったと思った。
400年の歴史に想いをはせて〜朝熊ケ岳
今年はなぜか、1度訪れた山に再訪する機会が例年より多いようだが、その傾向はついに長野県外の山にまで及び… たまたま9/1に所用で三重県に訪れた際、同行者が「朝熊ケ岳」(あさまがたけ/朝熊山とも)にある「金剛証寺」に訪れてみたいと言い出したことから、私としては今年の2/12に、家族旅行の帰りに立ち寄ったばかりの朝熊ケ岳に、はからずも再訪することになった(!)。
むろん、同行者が訪れてみたいと言ったのは、あくまでも頂上直下の「金剛証寺」であって、朝熊ケ岳頂上には必ずしも訪れるつもりはなかったようであったが、そこは山好きの私にとっては折角の機会、「頂上からの伊勢・志摩の海岸線の眺めは良いぞ〜」などと甘言を用いて同行者をその気にさせ、「伊勢志摩スカイライン」に乗り入れ、うまい具合に再訪を果たすことができた次第。しかも幸いなことに、この日の天候は良好で、頂上からは私が用いた「甘言」に全く違わず、伊勢・志摩随一といわれる素晴らしい展望が我々の眼下に拡がっていた。
しかも、登頂後に訪れた「金剛証寺」では、桃山時代の建築という重要文化財指定の本堂摩尼殿の外観の美しさはもちろん、今回はその内陣までが特別公開されており(注:「伊勢志摩スカイライン」料金所で配布されたパンフレットによれば、内陣の一般公開は実に400年ぶりだとか!)、徳川家康公の木像はじめ、本尊虚空蔵菩薩など普段一般の人目につかない仏像等の数々を目にすることができ、先の伊勢・志摩の展望と併せ、我々は二重の幸運を喜びつつ、しばし一種厳粛な気分の時を過ごした。
またしても訪問〜今年4度目の陣場平山
9/3、この日は月曜日だが、今年最後の夏季休暇。しかし平日だけに、当然子供達は小学校や幼稚園に行っており、しかも彼らは午後3時前後に相次いで帰宅するので、当然家の鍵を閉めて外出するわけにもいかないから、特にどこか目ぼしい場所に出掛けられるでもなく… いつの間にか午後4時くらいまで無為に時を過ごしてしまった。しかし、折角の休み、私としては、せめて少しなりとも山の気分を味わいたい。が… この時間からでは、むろん大した山に行けるわけでもなく… 結局、長野市街地から距離的に近い陣場平山方面に向かってみることに。
この陣場平山周辺には、私は今年既に、7/5薄暮の「葭霧神社砦址」、7/7の「萩野城址」と頂上三角点、7/22の「朝日城址」と3度も訪れているのだが、訪問の手軽さの割に結構雰囲気が良い上に、比較的広い山域ゆえ、今回のような場合には実に都合の良い場所なのだ。それで今日は、そんな広い山域の中のどこに訪れてみようかと思案の上、頂上直下にある以前の運動広場の跡地あたりで蝶の写真でも撮ろうと思ったことから、最もオーソドックスに地蔵峠付近から山域中の最高点である頂上三角点地点を往復するコースを採った。
かくて訪れてみた頂上は… 7月の訪問時とはまるで別の場所のように夏草が生い茂っており、訪問者の意外な少なさを示していた。また目当ての蝶の方も、さすがに時間が遅すぎ… せいぜいミドリヒョウモンやヒメキマダラヒカゲが少々目についた程度であった。
薄暮の山第12弾〜上杉謙信物見岩
9/5、久々に仕事を終えた後の薄暮時の軽い山歩きに、長野市街地の北の背景をなす地附山の一角にある「上杉謙信物見岩」(「物見之岩」とも書く)に訪問。この岩、その名の通り、川中島の戦いの頃に越後の上杉謙信が、この岩の上に立って甲斐の武田の出方を窺ったという伝説のある歴史性豊かな地なのだが、今ではそれ以上に、長野市周辺で多少岩登りに手を染めた者なら、まず訪れたことのない者はいないというくらい有名な岩登り訓練場となっている。かくいう私も、実は学生時代には放課後などに何度となく訪れたものであり、今にして思えば、ずいぶん危険な真似もしたものだった。オーバーハングの登攀に失敗しての宙吊りなどはしょっちゅうのこと、一度などはザイルなしで崖下に転落したことさえあるほどなのだが、不思議とその都度かすり傷一つ負った例がない。ばかりか、そもそもこの岩で事故があったという話自体、あまり聞いた覚えがない。この岩の基部に祀られている「岩井堂観音」の御加護なのか… 自身が転落を経験しているだけに、思わずそう信じてしまいたくなる。
それはともかくとしても、仕事の後の訪問は、学生時代の放課後の訪問と状況的に似ているので、私は自然、学生当時の回想に耽りつつ、顕著な岩塔のある見晴らしの良い頂上部へと攀じ登った。そして久々にその岩塔の上に立ち、あたかも自身が謙信にでもなったかのような爽快な気分と共に長野市街地を俯瞰。惜しむらくはこの日は天候不順で、登頂後間もなく驟雨に見舞われ、さして長居もできず、慌しく駆け下るハメとなったが… それでもそんな僅かな時間の内にも、私には学生時代の思い出を十分にひもとくことができ、大いに有意義な一時であった。
志賀高原・坊寺山と田ノ原湿原
9/9、志賀高原にある変わった名前の山「坊寺山」に訪問。この日は当初、家族全員でどこか軽い山でもと思っていたのだが、いざとなると体調不良者が数名出て、はからずも私一人での山行に。となると… どうせなら普段の家族同伴では行きにくい山に行きたいもの。また、最近の私の山の嗜好として、あまり多くの人で賑わっていない山を… というわけで、にわかに思案の上、たまたま条件に合致しているこの山を選定。
この山、観光客で賑わう志賀高原にありながら、草津白根山、横手山、笠岳、志賀山など、有名な山が近くにありすぎて目立たないせいか、案外訪問者が少なく静かな雰囲気を保っている貴重な山域。それに、登り口にいきなり沢の渡渉があるので、どうも幼少の子供は連れて行きにくい状況にもあり、家族同伴が主体の最近の私にとって、今回のような機会でもなければ、なかなか行きにくい場所でもあるのだ。
で… 早速登り口の駐車場まで車で入り、件の渡渉をまずクリアして歩を進める。途中、ウメバチソウやオヤマリンドウ、アキノキリンソウなどの清楚な花々を足元に見つつ、「70m沢登り」を経過、その上部でさらに右へ山稜をしばしたどって、主として東方の眺めがひらけた頂上に立つ。私にとっては、これで都合3度目の登頂になるのだが… もう何年も訪れていないせいか、登頂時の印象には案外フレッシュなものあり。
なお、下山後に少々時間の余裕があったので、ついでに近くにある長野県天然記念物の「田ノ原湿原」に立ち寄る。と… 先の台風による大雨の後のせいか、いかにも「湿原」らしい湿潤さを見せており、またその背景には志賀高原のシンボル・笠岳の端正な姿が望まれて嬉しかった。
信州の英傑・村上義清の本拠〜葛尾山(葛尾城址)
9/15〜17は久々の三連休だったが、諸般の事情で、私の当初の期待もむなしく(最近いつもそうだが…)、山の方にはまるで活躍できないまま、はや17日になってしまった。そしてこの日も、午前中は子供の宿題をみてやったりしているうち、ふと気がついて時計を見ると、早くも11時過ぎ(!)。これには私もさすがに少々慌て、にわかに家族をせき立て、有無を言わさず車で自宅を出る。
とにかく南に車を走らせながら、目的地をあれやこれやと検討の末… 今年一度も行っていない所で、道も整備され展望も良く、幼少の子供を含む家族でも安全に楽しめる山ということで、坂城町の「葛尾山」を選定。この山、戦国時代に甲斐の武田信玄と対峙し、かつ2度までもその武田を破って勇名をはせた信州の英傑・村上義清の本拠の城の址であり、折しも今ブームとなっているNHK大河ドラマ「風林火山」にも「便乗」できるとあって(注:もっとも私自身は、そういうつもりは毛頭なかったのであるが…)、ある意味タイムリーな訪問機会ではあったかも知れない。
かくて、我々は登り口から本郭址へ。と… 2年前の5月に長男と2人で訪れた際よりも、大分木階段とか説明板とか整備が進んでいて驚いた。そもそも坂城町では、地域の人々の献身的な努力で、町内の里山巡りのルートが大変良好に整備されているので、この点、私などは最大限の賛辞と御礼を惜しまないものである。私は、本郭址からの変わらぬ周囲の眺めを楽しみつつ、この信州にはまだまだ多くが薮の中に人知れず眠っている、他の山城址の数々にも、ここ葛尾城址のようにもっと脚光が当たればよいのに… などと一人想った次第。
旧中山道和田宿の裏山〜和田城址
9/22〜24は前週に引き続いての三連休だが、初日は子供たちの小学校の運動会で山に行けず、期待した翌23日は朝からどんよりした空模様… それでも本当に降るかどうかは行ってみなければ判らないし、ダメならドライブで済んでも仕方あるまいと割り切り、これまで未訪の所で家族同伴でも無理なく歩けそうな里山… ということで、旧和田村(現:長和町)の和田城址に訪れてみることに。
この山、旧中山道和田宿の裏山にあたり、南原公平氏著『信州の城と古戦場』(令文社刊)によれば、ここは戦国時代に大井信定の城があった地で、村上義清と通じたため天文年間に甲斐の武田氏に攻略され、全員が討死したとのこと。また山名は今ひとつ明らかでないが、地元広域連合が作成したトレッキングマップによれば「古峰山(こぶさん)」と呼ばれているもののようだ。
登り口には狭い駐車スペースのすぐ鼻先に墓所がある。折しもちょうど彼岸中ゆえ多少気がひけたが、それでも折角来たので、あえてそこに駐車し、家族全員で登り出す。もっとも登り口の標識によれば、和田城址まではわずか300m、当然、大して時間も食わないうちに本郭址とおぼしき地に到着。そこは背後に土塁が巡らされ、その後方には深い堀切があり、また片隅には小祠が祀られている小広い平地であったが、見ると、まだ先にも空堀が切られた山稜が続いているので、家族はその場に待たせておき、私のみ試みに先へと進む。と… 空堀のある山稜は緩く登りながら、かなり先まで続いており、最後に急登を登り切ると四等三角点標石のある峰の頂上に到達。標識はなく、また周囲も樹林に囲まれ展望はなかったが、周囲の形状から、そこが後詰の砦址であることは明白。それを確かめ得た上、私はほっとした気分と共に元来た道を戻った。
中野市東山の外れの寂峰〜鎌ケ嶽(鎌ケ嶽城址)
9/29、家族全員で中野市の東山の南の外れにある戦国時代の山城址(鎌ケ嶽城址)の山・鎌ケ嶽に訪問。中野市街地の東には、北から箱山、鴨ケ嶽と、いずれも戦国時代に山城が設けられていた山々が小高く聳え、一見地味ながら無視すべからざる存在感を示しているが、今回訪れた鎌ケ嶽は、これらの山々から、さらに南に外れた尾根続きの峰。位置的に、中野市民の憩いの場である「東山公園」からは少し離れたところにあるためか、遊歩道が整備されている割には、存外静かな雰囲気を保っている山域と見受けられる。
無論、静かな山というのは、最近の私の趣味には合っているので、かねて一度は訪れてみたいと思っていたところだが、案外これまで機会がなく、今回ようやく実際に訪れることができた次第であるが… あまり人気のなさそうな山だけに、道には多少草薮の繁茂がきつく、私は特に気にならなかったものの、幼少の子供達には大分鬱陶しい思いをさせてしまったようだった。本郭址の頂上は、小祠が一基祀られている以外、案外標識の類もない地味な場所だが、その前後には顕著な空堀や郭の遺構がみられ、典型的な中世山城の形状をなしている。北の鴨ケ嶽とも尾根続きなので、私は当初、ここも高梨氏の城址と思っていたが、南原公平氏著『信州の城と古戦場』(令文社刊)によれば、こちらは実は浦野氏の城で、天文22年に甲斐の武田氏に攻略されたとある。
なお、帰りは折角だからと近くの湯田中温泉に立ち寄り、先刻の薮の埃混じりの汗を流せて、存外爽快な気分と共に家路についた。
上田市・坂城町境の寂峰〜三ツ頭山
10/7、上田市・坂城町境の寂峰・三ツ頭山に訪問。この山、すぐ近くにある摺鉢山や城山(小泉上の城址)などと共に、この一帯では無視すべからざる存在感を有する山なのだが、その割には以前実際に訪れてみた際の印象では、頂上は特に標識もない防火帯の最高点みたいな場所に過ぎず、そのあまりの地味さと静寂さに、きわめて意外な感を受けたものであった。ところが、その後入手した坂城町・坂城町教育委員会発行『さかきふるさと100選』所収の里山コースガイドを参照してみたところ、「狐落・三水城コース」のコース図中、摺鉢山から三ツ頭山へのルートが点線道ながら記されていたので、あるいは以前の訪問時とは多少状況が変わったかも知れないと思い、かねて再訪してみようと思っていた次第。
そして、三連休の中日である今日がその機会に。もっとも、ルート自体は先の『さかきふるさと100選』の記載ルートとは別に、例の防火帯らしい稜線を試しにたどってみることにする。上田市の北、上室賀集落あたりから「室賀つつじ平マレットゴルフ場」への林道に入り、マレットゴルフ場前の分岐を右へ。しばし進み、やがて林道が大きく左カーブして広くなるへんのやや手前から左に上がっている小道に踏み込む。と、稜線上に出た所で例の防火帯らしい広い道が出現。それは最初のうちは非常に歩き易く、むしろあまりに広くて山道らしくないなどと思いつつ歩を進めたが、そのうち様子がおかしくなり、上部では一面イノコズチだらけの草薮漕ぎの進行と化した。そしてようやく達した頂上も、『さかきふるさと100選』のメインコースからはやや外れた位置にあるせいか、以前の訪問時と雰囲気は大して変わっておらず、ろくに人は訪れていない模様。いささか拍子抜けではあったが… そんな静寂の中、陽だまりの山稜に、クモガタヒョウモンがゆったりと舞っている様子が、何とも長閑であった。
所用の後の余剰時間に〜横根山・方塞山・三枚石
10/12、この日はたまたま所用で前日から栃木県の宇都宮市に訪れていたが、所用は昼までで全て終了。後は本来なら帰宅するのみだったが… 折角遠方まで訪れたのだし、折角だから、どこか手っ取り早く訪れられそうな「山」はないかと付近の地図を参照したところ、帰り道の近くに「横根山」なる表示が目についた。見たところ、頂上近くまで車道も延びていそうだし、これなら何とかなりそうだ… とて、即刻、その方向に車を走らせた。
首尾よく道に迷わず、登り口の「前日光ハイランドロッジ」前駐車場に到着したが、時刻は既に14時近く。日が短くなりつつある秋の陽の下では、そうそうノンビリしてはいられない。案内板の表示に従い、まずは取り急ぎ「横根山」を目指し、30分ほどで、難なく四阿と三角点標石のある標高1,372.8mの頂上に到着。予想よりは樹木の障害が多く、さほど開放的な頂上ではなかったものの、日本百名山の一峰・皇海山の端正な三角錐状の山容が良好に望まれたのは嬉しかった。なお、下山時には間近に男体山の姿も望めたものの、今日はその方角は残念ながら曇りがちで、さほどスカッとした眺めとはいかず。
ともあれ、頂上には長居せず、しばらくして一旦「前日光ハイランドロッジ」前に戻ったが、まだ若干時間があるので、案内板を参照の上、ついでに「方塞山」「三枚石」なる場所にも訪れてみることにする。時間がないので、より近い別の駐車場に移動し、そこから、まずは「方塞山」へ。頂上付近に見える無線鉄塔を目標に登りつめると、ほどなく頂上着。こちらは標高1,388mと横根山より若干高く、前述の無線鉄塔やら、「前日光牧場」との境に巡らせてある鉄条網やらの人工物が「山」としての雰囲気を若干損なっているものの、牧場の縁だけに開放感は横根山以上で、特にその先刻訪れたばかりの横根山方面が良好に見渡せる。
それから、さらに平坦な山稜上を、灌木のトンネルのような道をしばしたどって「三枚石(さんまいせき)」へ。そこは標高1,377.9m、その名のとおり石が三枚重なっているような巨岩が珍しい。平坦な山稜上のせいか周囲の展望がきかない分、「山」というより「庭園」のような変わった景観の場所だ。ちなみに現地案内板によると、西暦757年(注:奈良東大寺大仏開眼の5年後)、日光開山の祖・勝道上人がこの岩の下で座禅修行したといい(注:そのため別称を「三昧石」とも呼ぶ)、窟の中には金剛童子(不動明王)が祀られているとのこと。またその周辺には「夫婦石」なる岩や「大白龍神」の像など、見所も多く、なかなか興味深い。時間が許せば腰を下ろして、しばし瞑想して時を過ごしたいと思えるほど落ち着いた雰囲気の場所であったが… にわか選定の山の常、残念ながら最早時間切れも近い。いつか再訪することがあれば、その時こそは、もっと… などと後ろ髪を引かれる思いと共に、今回はこれにて帰途についた。