|
【山行リスト】
薄暮の山第8弾〜旭山(旭山城址)
とんだ二度手間〜新潟県・尾神岳
薄暮の山第9弾〜大峰山(大峰城址)
晴天下、豪快な北アルプス後立山連峰の展望!〜長者山
所用の合間に〜薬山(ブランド薬師)
頂上付近の道はマイヅルソウの絨毯!〜権現山
偶然の発見〜旧大岡村の観ノ山
旧大岡村・観ノ山から四阿山(蟻ケ城址)へ
家族と軽い自然散策〜聖山
薄暮の山第10弾〜陣場平山(葭霧神社砦址)
梅雨の合間に〜萩野城址と陣場平山
梅雨の合間に〜陣場平山(朝日城址)
薄暮の山第11弾〜今年2度目の富士ノ塔山
何度訪れても良い“天上の楽園”〜焼額山
薄暮の山第8弾〜旭山(旭山城址)
5/23、例によって仕事を終えた後、帰宅前の薄暮時間を利用して、長野市内の旭山(旭山城址)に駆け上がる。この山、私にとって薄暮の山の目的地としては、あまりに近くて手軽すぎるため、うっかりするとこの山ばかり何度も訪れてしまいそうなので、私としては普段意識的に極力ここ以外の山に訪れるようにしているのだが… 今回の場合、所要時間的に条件に合う山が他になかったことから、あえて訪問することにした次第(注:もっとも、同山への今年の訪問としては最初になる)。
それでも、どこの山でも、訪問する度に異なった「顔」を見せてくれるもので… 今回は次第に薄暗くなってゆく樹林の中、明るい進出色であたかも浮かび上がっているかのように見える純白のウツギやガマズミなどの花々が私を出迎えてくれた。
ただ… 季節は私の気づかぬうちにも確実に進行しており… 今回の訪問中には、今年初めて薮蚊の襲来を受けたほか、尺取虫の類が結構頭上から降ってきたので、そろそろ当分の間は、あまり人里近い低山は訪問に適さなくなってきたなと思いつつ、頂上の旭山城址から展望台へと回る、いつものお決まりのコースを足早に歩み、長野市街地などの夕刻の情景をしばし楽しんだ後、帰途についた。
とんだ二度手間〜新潟県・尾神岳
6/2〜3、2日がかりで、新潟県柿崎付近にある雄峰「尾神岳」に訪問。このところ子供にもらった風邪のおかげで優れなかった体調がようやく戻ってきたのを機に、にわかに思いついて実行した久々の県外登山だったが、なぜ2日がかりの山行になったかというと… 実は次のような顛末による。
まず6/2(土)。この日は子供にせがまれ、朝から家族サービスに上越市の水族博物館に訪れたが、昼過ぎに同館を出て時間が多少余ったので、家族の了解を得て、どこか近所の軽い山に行かせてもらうこととし、にわかに検討の結果、以前上越あたりのアマチュア無線局と交信中に教えてもらった「尾神岳」への訪問を決意、早速登り口に向けて車を走らせる。この山、地元ではハンググライダー等で有名な山のようで、車道もかなり上まで通じていることから、限られた時間の中でも楽に登ってこれるだろうと期待して行ったのたが… しかしいざ行ってみると、登り口に通じる車道は意外に細く長く、当初の予想以上に時間を要してしまったため、歩き出してはみたものの、残念ながら頂上往復するだけの時間の余裕がないまま、途中から引き返し帰るハメに。
大体にわか登山には、こうした目算違いがつきものだが、それにしても時間に余裕がありさえすれば、何の問題もなかったものをと、家に帰った後も悔しくてたまらぬ。で… 結局は翌日の6/3(日)に出直すこととなった次第(!)。なお、さすがに昨日の今日ゆえ、この日は長男のみ同行。
今度は十分時間があるので、我々はネマガリダケのタケノコなどを採りつつノンビリ歩き、片道わずか1km少々の道を1時間半以上もかけて登頂。頂上は山名標柱と三角点標石があるだけの比較的狭い場所で、周囲を樹林に囲まれ展望もなかったが、頂上手前の石祠がある一角からは、このあたりの第一の名峰である米山の立派な山容を望むことができた。また、その付近の林床には、チゴユリの白く愛らしい花々がちょっとした群落をなしていたのが嬉しかった。
薄暮の山第9弾〜大峰山(大峰城址)
6/11、またしても仕事を終えた後、帰宅前の薄暮時間にちょっとした山歩きを企てる。今回の目的地は長野市内の大峰山(大峰城址)。この山、頂上に博物館兼展望台の「大峰城」があることにより、頂上近くまで車道が通じているので、一般には「山」とみなされていない向きもあるが、ルートを選べばなかなかどうして、意外と面白い山歩きが楽しめる一角なのだ。実際、私は高校時代、放課後になると幾度となく、この山に駆け上がったものだった。それに、車道が通じているといっても、今は管理上の事情によるものか、16時半以降はゲートが閉鎖されてしまうため、それ以降はよほどの物好きででもない限り、訪れる人もないとあって、手っ取り早く静かで安全な森林浴を楽しもうとする場合、実はこんなお誂え向きの場所はないのだ。
もっとも、今回は職場を出たのが午後6時過ぎとあって、いくら陽が長いとはいえ、それほど時間的に余裕がないので、市街地から飯綱高原方面へと上がる通称「七曲り」の急坂車道を車で駆け上がって前述のゲートまで乗りつけ、後は頂上まで1kmほどの車道を歩く最も安直な手を選択。が… そうはいっても、ただ車道歩きだけでは味気ないので、途中、大峰城址の空堀の遺構のある所から林中に分け入り、大峰山最高点を踏んだ上で、「大峰城」のある三角点峰までたどった。案外知られていないが、大峰山の最高点は「大峰城」のさらに北奥の峰にある。そこには以前は少しは訪れる人もあったとみえ、朽ちた野外卓などがみられるが、今は知る人も少なかろう。そういう私も、そこへは実は学生時代以来の久々の訪問になった。それからきわめて明瞭な空堀を数条乗り越え、最後に結構な高さを有する切岸を強引に登り切って、予定通り「大峰城」のすぐ脇の三角点前へ。後は直下の駐車場から夕刻迫る長野市街地の俯瞰をしばし楽しみ、車へ戻った。
晴天下、豪快な北アルプス後立山連峰の展望!〜長者山
6/17の日曜日、家族全員で信州新町にある里山「長者山」に訪問。この山、私にとっては、去る平成17年の5/8に訪問して以来、北アルプス後立山連峰の好展望台として胸に刻まれてきているもので、その前回の訪問時が曇天模様だったことから、いずれ晴天下に再訪してみたいと思っていたところ、今回ようやくその機会を得ることができた。
私にとっては今回で3度目の山、無論道に迷うこともなく、細い林道を「長者高原」の町営山の家まで上がり駐車、それから荒れた林道を徒歩でたどって、最後に林道の最高部付近から左に上がる山道をわずかで頂上に飛び出すと… そこには期待に違わず、晴天の下、後立山連峰を中心とした北アルプスの面々が、前回訪問時とはまた違った風貌で我々を出迎えてくれた。殊に目立つ鹿島槍ヶ岳を中心に、右へ五龍岳、唐松岳、さらに白馬三山方面、また左に、爺ケ岳、蓮華岳、餓鬼岳、常念岳など!
それに今回は、時季的には前回よりも1ケ月以上も後とあって、長閑な山道をノンビリ歩く我々家族の周囲には、アサギマダラ、ウスバシロチョウ、ギンボシヒョウモン、コミスジ、スジグロシロチョウなど、色とりどりの蝶たちが舞い競い… 今回もまた、これまでとは違ったこの山の別の「表情」を見出すことができた次第。それだけに、軽い山歩きながら結構充実した気分を味わえた、良き山の一時だった。
所用の合間に〜薬山(ブランド薬師)
6/18、この日は平日である月曜日だが、私は家庭の所用により仕事を休み、そちらの片付けに奔走していたが、そんな中にも、ほんの1〜2時間程度の「合間」はあるもの。そして、そのようにきわめて中途半端な時間ながら、折角空き時間があるなら、是非にも「有効活用」したいなどと発想してしまうのが、どうも私の因果な性格で… 今回の場合、所用で出掛けた先のすぐ近くにある「薬山」が頭に浮かぶ。この山、長野市の「浅川ループライン」の近所にあり、懸崖造りの社殿で知られる「ブランド薬師」こと「八櫛神社」のある山で、表・裏両参道があるが、裏参道からなら狭い林道伝いながら最高点に近い送電線鉄塔の脇まで車で入れるので、今回のように時間に余裕がない場合の訪問に適した、私などには結構貴重なスポットといえる。
もっともこの山、最大の見物の「ブランド薬師」が、表参道側の最高点よりやや下った地点にあるため、裏参道から行くと帰りが登りになるという欠点があるのだが… それでも時間的には片道10分程度は違うと思われるし、この時季、あわよくば好きな蝶の写真を撮りたいという思いもあって、あえてそちらのルートを選択。(注:表参道から行く場合、第1番の「不動明王」から、第2番「釈迦如来」、第3番「文殊菩薩」… と拝しつつ登ると、ちょうど第7番目の「薬師如来」に相当する地点が「ブランド薬師」になっている。ちなみに最高点は第10番の「阿弥陀如来」石造のあるあたり。)
そして… 送電線鉄塔脇に駐車して歩き出した私の周囲には、狙い通り、色とりどりの蝶たちの舞が… もっとも時間的な余裕はあまりなく、それらを納得いくまで追いかけているほどの時間はなかった。
頂上付近の道はマイヅルソウの絨毯!〜権現山
6/23、伊那市にある「権現山」に訪問。この山、かつて伊那谷から駒ケ岳に登る主要道のひとつであった「権現ヅルネ」の名で知られ、あのウォルター・ウェストンも通行した道とのことだが(注:登り口の手製案内板によれば明治24年)、ロープウェーが千畳敷まで通じた現在では、このルートを利用して駒ケ岳まで登る人はほとんどないようだ。今回、私がここに訪れてみようと思い立ったのは、最近の自身のマイナー里山巡り趣味に基づくものであるのはもちろんだが、上記したような歴史を有する山でもあり、一般的な「里山」のレベルを多少超えていそうなところも興味津々だったのだ。
で… 実際に訪れてみると、当初アテにしていた林道が前日の雨のために不安定で、終点まで我がFFの愛車では上がれなかったがために、途中から退屈な林道歩きをしばし強いられるという誤算はあったものの、林道終点で鳥居をくぐってからは、両側から笹の迫る静寂な雰囲気の道となり、また途中随所に「鍋澤造林地」(細ケ谷)、「競馬場」(かつて山仕事の合間に草競馬を行ったという平坦地)、「伊那高等女学校造林地」(伊那高女は現在の伊那弥生ケ丘高校)などを示す素朴な手製案内板が、この山の地域に根ざした数々の「顔」を垣間見せてくれ、当初の期待通りの好ルート。そして最後に「鳥居跡」から短い急登を登り切り、頂上付近の「西山権現社」の石祠前に飛び出て振り返ると… そこには眼下の伊那谷の俯瞰はもとより、その背景をなす甲斐駒ケ岳、仙丈ケ岳をはじめとする南アルプス連峰の雄大な眺め! 思わず感嘆しつつ、裏手の三角点標石のある地点に上がると、そのあたりの道は何と踏むのがためらわれるほどのマイヅルソウの絨毯! この山への訪問者の少なさを意外な所で強く実感させられる結果となり… やはりこの山、一般的な「里山」のレベルにはとどまらなかったなと、私はしばし、そのような場所に立ち得た幸運を一人かみしめていた。
偶然の発見〜旧大岡村の観ノ山
6/24、この日は午後は天候が崩れるとの天気予報であったことから、私はせめて午前中だけでも、どこか適当な野山で蝶の写真でも撮ろうなどと考え、家族と共に長野市信更町から旧大岡村へと続く道に車を走らせた。が… 天候の崩れは予想よりも早く、午前11時前には既にフロントガラスに細かい水滴が散り始めた。したり、今日は山はおろか、蝶の写真すらもダメかとガッカリしつつ走っていくと、ふと進行方向左手に何か案内看板が目についたので、何とはなしに興味を惹かれて道脇に停車し、その看板の文面を見ると「観ノ山百体観音」とある。かつてこの山中から秩父、西国、坂東の札所巡りの旅に出るのは容易でなかったが、その巡礼を終えた人たちが、ここ観ノ山に観音像を建立したとのこと。私はこれを見て、にわかにこの「観ノ山」に訪問してみようと思いついた。雨の方も本降りにはまだ少々時間がありそうだし、たとえ小さい山でも、行ってみなければどんな所かわからない。
そこで、家族には悪いがちょっと車で待っていてもらい、私のみ傘も持たないまま足早に頂上を周回往復することに。観音石像はまず秩父1番から34番まで続き、さらにその奥で道が二手に分かれ、右が順路で西国1番から33番と続いて観ノ山頂上、そして下りは坂東1番から33番までで先刻の分岐点に戻るという配置になっているが、私はこの時急いでいたせいもあり、分岐点で順路とは逆に左から登ってしまった。が、さすがに長野市指定有形文化財だけあって、個々の石像がいずれも見応えあるのはもちろん、それらが集合して醸し出す、いかにも庶民の信仰の拠点らしい一種独特な雰囲気には特筆すべきものあり。「山」としては小さいが、こういう場所こそ、これからもっと脚光を浴びていってほしいものだと思いつつ、私は車に戻った。
旧大岡村・観ノ山から四阿山(蟻ケ城址)へ
去る6/24に旧大岡村の「観ノ山」に偶然訪れた際、たまたま途中で山城址の遺構とおぼしきものが目についたので、私は帰宅後に『長野県の中世城館跡 分布調査報告書』を調べてみた。すると案の定、「観ノ山」の東に「蟻ケ城」という山城の址があることが判明。その峰は地形図上山名の標示はないが「観ノ山」よりも標高が高く、また等高線の形状で見る限り、結構端正で目立つ峰のようであったため、物は試しと『長野縣町村誌 北信篇』の「中牧村」の項を調べてみると、「蟻ケ城」として「村の東南の方にあり四阿山の嶺上、一平地をなし、東西十間、南北八間、今芝地となる。四方嶮峻北の方二重に堀切あり、某の物見跡なりしや不詳。」との記事を見出すことができた。さらに同書挿入図解によれば、頂上付近には「阿妻屋社」の祠もあるようだ。私はこの事実を知り、例によって是非そこを自身の目で確かめたくなってしまい… 6/30、早速そこに訪問してみた次第。
この日は前夜からの梅雨空が相変わらず天空を覆っており、当初は様子を見ていたが、昼頃に至っても幸い雨は落ちて来そうにないので、期待と共に自宅発。前週と同様「観ノ山」登り口から、まずは長野市指定有形文化財の百体観音を拝みながら観ノ山の頂上へ。次いでそこから山稜伝いに蟻ケ城址のある「四阿山」にたどっていったが、観ノ山から先はあまり人が通うこともないとみえ、踏跡はあるものの薮がきつくて鬱陶しい進行。それでも辛抱して歩いていくと、そのうち最後の登りを経て、『長野縣町村誌』の図解通り祠のある一角にひょっこりと飛び出た。頂上はそのすぐ上だったが、例によって標識一つなし。
なお、帰りは南西側に明瞭な道が一直線に急降下しているので、試みにそれをたどってみると、下りが一段落した所に頂上の祠の里宮らしき素朴な神社あり。その先で細い車道に出て下ると、じき「離山」の鼻先へ下りついたので、ついでにその「離山」にも立ち寄った上、車に戻った。
家族と軽い自然散策〜聖山
7/1、日曜日。私は例によって家族同伴での山歩きを画策。前週の日曜日が途中から雨天で、折角家族で出掛けたのに、どうもパッとしなかったので、今週はそんな気分を払拭しようというわけで、私としては最低3時間以上の山歩きを想定していたが… いざとなると、女房子供が皆一様に長時間の山はイヤだといって難色を示した。要するに、梅雨で今ひとつはっきりしない空模様の下、途中で降り出すかも知れないのに、3時間も歩くのはどうも… というわけ。まあ確かに今の季節、幼少の子供同伴では全く不安がなくもない。されば短時間の山で妥協するかと、にわかに相談の末、「聖高原」こと聖山に訪問することで話が決まった。この山、頂上に無線施設があること等により、車だとほとんど歩くことなしに登れてしまうので、実際私としては少なからず物足りなかったのだが… 空を見上げると、どうも相変わらずどんよりとした曇天ゆえ、まあ今回はやむを得ないだろうと諦めざるを得ず。
そうなれば、せめて蝶などの自然観察をじっくりしながら頂上周辺を散策してみようと気持ちを切り換え、早速聖山頂上直下へと車を走らせる。と… 時折空から細かい水滴がぱらぱらと当たったりはしたものの、幸い服が濡れるほどのものには至らず推移し、おかげで期待通りに種々の蝶たちの舞を楽しむことができた次第。今は季節的にも、また我が身辺の状況的にも、こと「山」に関しては思うにまかせないことが多いとはいえ、それでもやはり、訪れないよりは訪れてみた方が余程マシだということを強く実感することができた一時ではあった。
薄暮の山第10弾〜陣場平山(葭霧神社砦址)
7/5、ついに今年2けた目の薄暮の山として、長野市と中条村との境付近にある、陣場平山に訪問。このところ、どうも鬱陶しい梅雨空で、気分的にも優れなかったところ、この日は午後になって、久々に明るい青空が拡がったことから、にわかにこの山への訪問を決意、仕事は6時頃までに切り上げ、可及的速やかに同山の方向に車を走らせる。もっともこの山、ただ最高点とおぼしき三角点地点に訪れても、特に展望があるわけでもなし、ましてこんな夕暮れ間近の時間など、本当にただ「行った」というだけになってしまって、あまり面白くもないので、私としては、今回はあえて三角点地点ではなく、付近にある「萩野城址」か「葭霧(よしきり)神社」のピークにでも訪れてみる腹積もり。と… 地蔵峠まで上がってみたら、「萩野城址」方面への道には森林作業のためか「立入禁止」のバリケードがあったため、目的地は自動的に「葭霧神社」の峰となり、とにかく「青少年山の家」前まで車で進入、駐車。
ここから「葭霧神社」の峰までは往復ほんの1kmほど、日中ならまるで散歩気分のウォーキング程度の道なのだが、時刻が時刻、さすがにそうノンビリしてもいられぬ。で… 自然、やや足早に夏草の茂るトレイルをたどり、鳥居をくぐって、とにかく目的の「葭霧神社」前へ。この神社、まるで積石塚古墳のような人工の石室の中に祀られており、一風変わった雰囲気を見せているが、長野市誌第12巻資料編によれば「葭霧神社砦跡」として紹介されており、社が建立されている場所は曲輪であった可能性が高いとのこと。確かに付近には砦址とおぼしき整形の痕跡がみられて興味深い。
なお、こちらの道は三角点方面と違い、途中、適当に眺望がきくスポットもあり、夕暮れ迫る長野市街地の俯瞰等を楽しみつつ、車に戻った。
梅雨の合間に〜萩野城址と陣場平山
7/7、梅雨の合間に久々に晴れ間の見えた週末、家族でノンビリ森林浴をと家を出た。今日の第一目的地は、7/5に訪れた陣場平山の近くにある「萩野(之)城址」の峰。7/5には道が森林作業か何かで通行止めとなっており、また夕刻近くて訪れている暇がなく、いささか気になっていたところ。また私は、陣場平山の方はこれまで何度も訪れているが、萩野城址の峰の方は今に至るまで案外未訪のままであったため、この際参考までに是非訪れてみたくもあった。(注:「萩野城址」については、ここの他、信州新町にも同名の山城址があり、私はつい最近まで「萩野城址」といえば、信州新町のそれだけだと思っていたところ、たまたま本HPの掲示板で陣場平山の近くにも同名の城址があるとの情報を頂き、以来ずっと気にかかっていた次第。)
で… 早速登り口の「地蔵峠」付近まで車で上がってみると、幸い今日は萩野城址方面への道も通行可能。峠付近に駐車し、次男と長女を伴い歩き出す(注:長男がたまたま車中で寝てしまっており、女房と次女は長男と一緒に残ってもらうことに…)。付近の案内看板に「物見山」とある峰の頂上直下を右手から巻いて通過し、さらにしばし山稜を緩く下って、再度登り返すと、本郭址と脇郭址との間の大堀切である鞍部へ。ここで右に上がると萩野城本郭址の峰(注:案内看板等によれば標高1,176m)、逆に左に上がれば脇郭址のある東嶺(注:同標高1,184m)。後者の方が若干標高は高いようだが、山の「頂上」として明るく、かつ展望的にも優れているのはやはり本郭址の峰。そこからは特に二の郭の先に中条村の名峰虫倉山方面の眺めが良好。すっきり晴れてさえいれば、さらにその背後に北アルプス方面も望まれるのだろうが、この日は残念ながら梅雨の合間らしく、薄雲が視界を遮っていた。
なお、帰りは参考までに先の「物見山」の頂上に立ち(注:何もなし)、さらに今度は長男も同伴で陣場平山三角点を往復後、帰途についた。
梅雨の合間に〜陣場平山(朝日城址)
7/22、このところどうも天候不順や野暮用やらで、なかなかスカッとした山歩きの機会が得られず、今日7/22も曇り加減でいつ降り出すやらわからない雰囲気、しかし、ただ家にいるよりは、せめてどこか短時間の山でもと、例によって家族と共に家を出た。今日の目的地は、このところ何度も訪れている陣場平山の一角にある戦国時代の山城址「朝日城址」の峰。そこは今年7/5の薄暮に訪れた葭霧神社砦址の東に連なる峰で、最近陣場平の要所に置かれている長野市作成の『七二会 陣場平トレッキングコース』のマップを7/7の萩野城址訪問時に持ち帰って参照しているうち、どうしても一度訪れてみたくなってしまったものである。もっともそこは、坪根峠の駐車場からほんの200〜300mも歩けば容易に達せられる場所なのだが… このところの天候不順の下、また貴重な週末を棒に振りたくないとの思いがあり… あえて今回の訪問を決意した次第。
そんなわけで、山麓の小野平集落から、長野市天然記念物「余五将軍(平維茂)駒つなぎのイチイ」を見たりしながら坪根峠まで上がり、そこから梅雨で湿り加減の山道をしばし登って、難なく頂上の城址着。そこにはやや古くなった東屋があり、その周囲にはいかにも山城址らしく、ちょっとした土塁や帯郭の遺構がみられた。山城としては大規模なものではないが、坪根峠をはさんだ向かい側にある小野平城と共に、峠の抑えの役割を担っていたものだろう。一帯は樹林に囲まれ展望は得られなかったが、それでも心配した雨は落ちて来ず、どうにか折角の週末を無駄にしない目的だけは果たせて、私は内心ほっとしつつ山を下った。
薄暮の山第11弾〜今年2度目の富士ノ塔山
8/10、久々に山の雰囲気を味わうべく、仕事の後の薄暮時に長野市内の富士ノ塔山へ車で駆け上がる。
この山、私としては4/12の薄暮時に引き続き、今年2度目の訪問になる。本来なら、このようなきわめて近くにある手っ取り早い山は、マンネリを避けるため、せいぜい年に1度くらいの訪問に抑えておきたいところなのだが… 実は去る7/24あたりから、私はつまらない夏の感染症にかかって体調を崩し、病院の厄介になるハメとなって20日近くも山に訪れられず、悶々としていたので…(!) 最近ようやく復調してきたことから、すぐにもどこかの山に訪れてみたいが、まだ若干体調的に不安があり、いきなりあまり長時間の山に訪れる気にもならず… 結局、病後の「気晴らし」「足慣らし」の意味をもって、あえて富士ノ塔山への今年2度目の訪問をしてみることとした次第。
もっともこの山、頂上直下まで車で上がれば、後はものの5分も歩けば頂上というあっけない山なのだが… それでもそんな山だけに、今回のような場合には実に重宝する場所。実際、頂上展望台からは北信五岳の一角の飯縄山や戸隠連峰が、夕刻迫る絶妙の色彩をもって望まれるとともに、長野市街地も相変わらず良好に俯瞰でき、期待通りに「気晴らし」「足慣らし」となる山の雰囲気をしばし楽しめた一時だった。
何度訪れても良い“天上の楽園”〜焼額山
8/11、この日はたまたま女房の母親が実家から出てきており、今日は天気が良いので志賀高原あたりに行かないかと誘われたので、私も大分体調回復したこともあり、どこか軽い所ならと出掛けてみることに。また、どこか適当な訪問地はないかと聞かれ、真っ先に私の脳裡に浮かんだのが焼額山。この山、頂上に山ノ内町天然記念物の「稚児池湿原」があり、しかも昨年の夏から夏山ゴンドラが営業されているため、実に手軽に「稚児池」の非常に美しい高層湿原の景観を楽しむことが可能になっている。ここなら、まず文句なく女房の母親にも存分に高原の醍醐味を満喫してもらえるだろうし、また私としても、体調回復後の「足慣らし」に、これ以上に絶好の場所はない。
そこで、我々は早速「焼額山スキー場」に車を走らせ、ゴンドラに乗り込んで山上へ。そこから件の「稚児池湿原」までは、ノンビリ歩いても15分ほど。期待と共に針葉樹林をくぐり抜けて「稚児池」畔へ。私としては昨年の8/5に家族で訪れて以来だが… 何度訪れてもいい。
また、今年は昨年の訪問時ほどには陽射しも強くなく、暑からず寒からずの良好なコンディションの下、正に夏の高原の魅力が凝縮されているかのような「天上の楽園」と言うに相応しい神々しい景観を、我々はしばし堪能した。