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【山行リスト】
今年初の薄暮の山〜冠着山
木曽路奈良井宿の裏山〜高遠山
ついでの訪問〜峠山と鳥居峠
薄暮の山第2弾〜一夜山
薄暮の山第3弾〜虫倉山系・1,345m三角点峰など
笹の露に濡れつつ〜ぶどう岳
病み上がりに〜篠山散歩
三角点標石探索〜寄石山ほか
薄暮の山第4弾〜若槻山城址
梅雨の合間に〜信州新町・天狗山
皆神山・森将軍塚散歩
薄暮の山第5弾〜富士ノ塔山
梅雨明け間近を実感〜高鳥谷山
意外なる好峰〜日暮山
今年初の薄暮の山〜冠着山
最近、いつの間にか結構日が長くなったので、6/14、仕事が早くひけたのを機に、今年初の薄暮の軽い山歩きを思いつく。目的地は勝手知ったる冠着山。午後6時少し前に職場を出てから、何とか明るさの残っているうちに頂上に着くべく、直ちに登山口へと向けて車を走らせる。
登山口で手早く衣服を改め、歩き出す。と、すぐに登山道の状態が以前よりも明らかに良好なのに気がつく。最近、補修工事が加えられたようだ。上部の急傾斜箇所には新しい木階段も設置され、これなら以前にもまして子供連れなどの場合に歩き易い安全な山が楽しめるであろうと嬉しく思う。道脇に咲き誇るラショウモンカズラやホタルカズラなどの花々を愛でつつ、当初の心積り通り、まだ比較的周囲の明るいうちに頂上に到着。
と… ここではじめて思惑外れの状況に遭遇。当初の目論見では、頂上から善光寺平の暮れ行く情景を存分に眺め楽しむはずだった。ところが、現実には何と周囲に霧がかかって展望ゼロ(!)。辺りには風が適度に吹き抜け、コンディション的には涼しくて良かっただけに、残念…
それでも、平日、仕事の後の山なんて、そう機会も多くないし、まあ今日は登れただけでもよしとすべきかと思い直し、「冠着神社」に一礼してから、しばし付近を歩き回ると… 社殿の裏手の草叢の中、風にそよぐアヤメの花が、次第に暗くなりゆく中にも妙に色鮮やかで印象的だった。
木曽路奈良井宿の裏山〜高遠山
今年の4/9、たまたま長野市・旧真田町境の「高遠山」に訪れた後、『日本山名事典』(三省堂)について調べた際、たまたま同じ県内の同名の山が2つ目についたが、私はそれらのうち木曽郡木祖村と塩尻市(旧楢川村)の境にある山に興味を惹かれ、ずっと訪問の機会を狙っていた。
6/17、ようやくその機会は訪れた。地形図では奈良井宿の北から鳥居峠方面へと延びる車道の途中から点線道が上がっているので、それを目当てに車を走らせた。が… 現地に行っても、案外標識一つない。やむなく、たまたま付近で畑仕事をしていた地元の人達に道を尋ねると、意外や、すぐ脇の道を指差し、「これから登るだかね、えらいですよ、1時間半か2時間はかかるよ」とのこと。なお上の車道脇にも駐車スペースがあるというので、礼を述べて早速上がってみると、何と登り口とおぼしき所に「入山禁止」の立札がある。一瞬愕然としたが、しかし先刻地元の人は特に注釈もなく道を教えてくれたし、また私は山菜採りに来たわけでもないので、特に支障はなかろうと解釈し、狭いスペースに駐車し、登行開始。
登り始めてすぐ、山の神様の祠があったので、安全祈念に一礼し、さらに急登。道は案外明瞭で一安心。200mほど上がった所で道は一旦平坦になったが、しばらくしてまた登りになり、さらに200mほど熊笹の刈り開きの道を上がると、やがて三角点のある頂上着。
頂上は熊笹の原の中で、周囲は樹林で展望不良の地味な場所。わずかに頂上手前で中央アルプス坊主岳方面等の眺めが得られたのみ。帰り、試みに奈良井宿の西に連なる稜線をたどり、1,360m標高点の先まで進んでみたが、やはり展望はなく、適当な所で引き返し、下山。
ついでの訪問〜峠山と鳥居峠
先の高遠山から下山後、まだ若干時間が残っていたので、私はにわかに、中山道木曽路の有名な「鳥居峠」の近くにある「峠山」に訪れてみることにした。というのは、先刻の高遠山が、いかにも木曽の山らしい鬱蒼とした樹林の中の静寂さを満喫できた代り、山行中に展望がほとんど得られず、いささか閉塞感を禁じ得なかったため、その分、峠山からの展望で多少なりとも埋め合わせようと思ったのだ。
この峠山、奈良井宿の北側の入口あたりから見ると、南に結構顕著な山容を見せているが、実は頂上に無線施設が多く設置されていることから、聖山などと同様、ほとんど頂上まで車で上がれてしまう。それゆえ今回のように短い余剰時間の中、「ついで」程度に訪れる分には重宝する山で、私も既に何度か訪れたことがあるが、ここ10年ばかり御無沙汰しているので、その意味でも今日は良い機会といえた。
そこで早速、林道を頂上直下まで上がり、まずは懐かしい三角点標石に挨拶。次いで、無線施設の周囲の伐り開きの間から周囲を見回すと、狙い通り中央アルプス方面や、また眼下には奈良井ダム湖あたりなどが良く見渡せ、一気に開放的な気分になった。
なお、この後、折角だからと、旧中山道の雰囲気も味わうべく、「子産みの栃」や「木曽御嶽山遥拝所」を経由し「丸山公園」まで旧街道を歩いてみたが、途中、御嶽山遥拝所からは、曇天下にもかかわらず、木曽御嶽山の頂上部を望むことができて幸運だった。
薄暮の山第2弾〜一夜山
梅雨の季節は、こと山登りに関しては週末が全くアテにならない代り、年間で日が最も長い時季でもあるので、平日の仕事がひけるのが早くさえあれば、ある程度アテにならない週末の埋め合わせをすることも可能だ。今回、私が仕事の後、にわかに旧鬼無里村(現:長野市)にある「一夜山」への訪問を思いついたのも、実はそんな思いもあってのことだった。要は、限られた時間を、可能な限り有効に用いたいということ。
それで、仕事が終わった後、私は直ちに車を旧鬼無里村に向けて走らせ、登山口まで乗りつけたが… 今回は先の冠着山の場合と比べると、登山口までの時間が長くかかった上に、登行時間も2倍以上長いときている。早くしないと日が暮れてしまうという焦燥感が先に立ち、今回は衣服を改める余裕もなく、あわてふためいて早足で登行開始。当然、息はあがるわ汗は滝の如くに滴り落ちるわで、職場のままのワイシャツ・ネクタイ姿は、見る見るうちに汗でべったり身体に貼り付き、見るも無残な姿となったが、幸いそんな時間だっただけに、誰に見られることもなく(注:仮に見られていたとしたら、相手は何と思ったろうか?)、かろうじて明るさが残っているほどの頃合、どうにか頂上にたどり着く。
息を整え汗を拭って、頂上の石祠に一礼し、ようやく周囲を見回すと… 間近に戸隠連峰の西岳はじめ、東山、虫倉山、荒倉山、飯縄山など、付近のおもだった山々が、次第に暗くなりゆく空の下、結構良好に見渡せたのは幸いだった。もっとも、写真撮影にはさすがに露出不足になりかけており… フラッシュなしの三脚撮影で、かろうじて何点かの画像をゲットすると、私はまた足早に元来た道を下った。
薄暮の山第3弾〜虫倉山系・1,345m三角点峰など
6/23、この日も平日ながら、夕刻が近づくとともに空模様が大分明るくなってきたので、例によって全身の血が騒ぎ始め… 仕事が終わると直ちに車を小川村の「大洞高原」方面に走らせた。今回の目的地は、いささかマイナーな所で、昨年、大洞高原から「飯縄山」に登った後に地形図を見ていて見つけた、虫倉山系の北西の外れにある「展望台」と言われている峰と、そのやや東に位置する1,345.3mの三角点峰。いずれも地形図上では山名表示がなく、一見虫倉山の単なる支峰のようであるが、密集した等高線の様相からして結構顕著な峰々であることは疑いなく、さながら同山系の東にある「小虫倉」のごとく、寂峰趣味の私の目には無視すべからざる存在感を有しているものだ。
小川村側から大洞高原に向かい、高原のやや手前のへんで中条村方面への道に折れ、「味大豆」という面白い名の集落から、さらに細い林道を行ける所まで。そこはちょうど飯縄山と「展望台」峰との鞍部の直下にあたり、脇には飯縄山頂上にある「稲丘神社」の鳥居あり。駐車して手早く衣服を改め、鳥居をくぐって登行開始。わずか上がって鞍部に達し、さらに右へ、まずは「展望台」峰を目指す。道は明瞭ながら、さすがに来訪者は少ないとみえ、ヤグルマソウの比較的大振りの葉が両側から覆い被さったりする中を高度を上げ、上部で急登を乗り越えると「展望台」峰頂上。その名の通り、樹間から西側眼下に大洞高原あたりが望まれる雰囲気の良い峰。ここから次の目標の1,345m三角点峰までは、わずかに下って登り返し、難なく到着。道は頂上部をわずかに北に外れていたが、目印に従い露岩の脇から最高点に上がると、草叢の中に三角点標石が見出された。
笹の露に濡れつつ〜ぶどう岳
この週末は、こと「山」に関してはどうも巡り合わせが悪く… 6/24の土曜日は、折角の梅雨の晴れ間だったにもかかわらず、野暮用のため山に行けず、翌6/25の日曜日には、家族でどこか適当な所でもと思って家を出たものの、今度はどうも空模様があやしく、家族連れでの山歩きに確信が持てないときた。土曜と日曜の天候が逆だったら… などと思ってみても始まらない。世の中、なかなか思い通りにはいかないもの。
やむなく、どこ行くあてもないまま適当に佐久方面に車を走らせ、旧臼田町あたりで早めの昼食を摂っているうち、ふと頭に思い浮かんだのは、その名から柔剣道などに親しむ者にはなじみの地である「ぶどう峠」。以前に付近の地図を見た際、同峠の北約500mの地点に「ぶどう岳」という名の山があり、興味を惹かれたのを思い出したのだ。ここなら、距離的にも短いし、家族に峠で待ってもらっている間に登ってこれるだろう。
で、昼食後、早速「ぶどう峠」へ。そこまで行くと、にわかに周囲には霧が巻いたが、そんな中、ぶどう岳への登り口はどこかと探索すると、特に標識もないが、峠のやや信州寄りの法面の熊笹の中に、まるで獣道のような踏跡が上がっているので、そこから行ってみることとし、峠の素朴なお地蔵様に安全登山を祈願の上、早速その踏跡へと分け入る。と… 何とそれからわずか数十mの進行で、私の胸から下は霧による笹の露でびしょ濡れ(!)。とんだ誤算だったが、こうなりゃ行かねば単なる濡れ損。もっとも皮肉なことに、それからすぐに熊笹は減り、途中岩稜を乗り越えたりする、結構爽快かつ快適な進行に。結局30分ほどの登りで頂上着。むろん霧で展望は得られなかったが、樹林の中の静寂な私好みの頂上だった。
病み上がりに〜篠山散歩
前の週末に「山」の巡り合わせが悪かったストレスというわけでもあるまいが、その後私は質の悪い夏風邪にとりつかれ、39度台の高熱で数日間床に臥すハメとなり… ようやく快方に向かいかけた頃、また週末がやってきた。が… そんな体調では、到底いつものように積極的には山に遊ぶ気にならず、また幸か不幸か、天候の方も梅雨らしく今一つはっきりしない状況のまま推移したため、この週末は全般的には静養中心に過ごすことになった。ただ… そうは言っても折角の週末ではあるので、7/1の土曜日の午後、家族で買い物等に出掛けたついでに、長野市・千曲市境にある篠山(しのやま)に散歩に訪れてみた。私にとっては、今年の2/25に一度訪れ、危うく猪に突っかけられそうになったという思い出(?)の山だ。
この山、頂上直下の「展望広場」あたりまでは車道が上がっているので、今回は2/25とは違い、一気にそこまで車で上がることができた。そして展望広場の東屋のある芝生のへんで家族に遊んでいてもらい、その間に私のみ頂上を往復。
三角点標石と最高点の送電線鉄塔を拝んで展望広場まで引き返すと、ちょうど子供達が「蝶がいる」と騒いでいるところだった。招かれるままに東屋のへんに行ってみると、そこに何と、これまで撮影機会のなかったメスグロヒョウモンの雄がウラギンヒョウモンと共に仲良くとまっているではないか! 私は内心快哉を叫びつつ、慎重に数葉の画像をゲット。やはり、ただ家にいるよりはずっとマシだったなと実感した一時だった。
三角点標石探索〜寄石山ほか
このところ梅雨による悪天候や風邪による体調不良などで、こと「山」に関してはどうも不調気味だが、この週末もその例にもれず… 7/8の土曜日は子供達が体調不良(先日の私の夏風邪の影響か?)で病院行きなどの対応に追われて山に行けず、翌7/9の日曜日は今度は天候が今ひとつときた。偶然の巡り合わせとはいえ、これまでの例からすれば、どうもこうなると当分はこんな状況が続きそうだ。
しかし… 空模様を見ると、今にも降り出しそうではあるが、数時間程度なら何とかもちそうにも見える。されば一か八か、せめてどこか短時間の山でもと思い、にわかに目的地を思案の上、ついに半ば高速道料金を捨てる覚悟で、佐久方面へと車を走らせた。当面の目的地は、平成16年の12月に一度訪れたが、その際は頂上に三角点標石を見出すことができず、釈然とせぬ思いが残ったままの「寄石山」。物見山のすぐ北の寂峰だが、ここなら妙義荒船林道から短時間で登れるので雨が降っても安心だし、この機会に何としても三角点標石を探索発見してみようと思ったのだ。
かくて登り口まで乗りつけると、直ちに頂上まで駆け上がり、笹原の中を行きつ戻りつ標石探索開始。と… さして時間もかからぬうち、何かにつまづいたので見ると、何とそこに目的の三角点標石が(!)。まずは安堵したが… しかし前回なぜ発見できなかったのだろう?
とにかく、これで当面の目的は果たしたが、天候の方はまだ湿っぽい霧で、降雨までには至らずもっている。で… 折角だからと次いで近くの物見山の登り口に車を走らせ、大急ぎで頂上を往復。そして車に戻った頃、ついに本格的に降り出したので、私は家路についた。
薄暮の山第4弾〜若槻山城址
この週も梅雨の鬱陶しい空模様は相変わらずだったが、7/14には曇天ながら陽が射した。と、それとともに湿度の高さとも相俟ってか、長野市街地は異常な暑さとなった。こんな時は、たとえ近所でもいいから、天然のクーラーともいえる森林の中を少しなりとも歩きたいもの。
そこで、仕事後どこか適当な所はないかと、にわか思案のうち、若槻の三登山の南西山腹のへんに「若槻山城址」という山城址があり、まだ未訪であることを思い出した。ここなら市街地からも近いし、また遊歩道も良好に整備されていると聞く。足元が暗い薄暮には格好の目的地だ。
思い立つと、私は直ちに車をその方面に向けて走らせた。坂中峠への道を行き、途中で林道三登山山麓線に入って、しばし進むと、じき林道の左手に城址への案内標識を見出した。それによれば、城址まではわずか500m少々とのこと。これならあえて衣服を改める必要もなかろうと思い、足回りをスニーカーに履き替えたのみにて、後はワイシャツ姿のまま、念のために熊鈴をぶら下げ、スティックを手に早速登り始めた。
道は前評判通り、きわめて良好。当然、進行は捗り、そのうち次々と現れる郭の規模の大きさに感嘆しつつ、登り口からほんの20分ほどの登りで本郭址に到着。そこは周囲を土塁に囲まれ、背後は深い堀切で堅固に護られる結構広い平地で、中央あたりには「史跡若槻山城跡」と達筆で刻まれた碑と案内看板あり。また傍らには当時防御用に担ぎ上げられた遺物らしい「河原石」が散乱しているのがみられ、大変興味深し。そして何より、そこまで行くと周囲には期待通り心地好い涼風が吹き抜けており… 私は至極良い気分で、樹間に暮れ行く長野市街をしばし俯瞰した。
梅雨の合間に〜信州新町・天狗山
7/15からは3連休に入るが、梅雨の鬱陶しい空模様はしつこく続き、初日からして全般的に曇天の下、時折雨がぱらつくという有様。これでは当然「山」の方も不調とならざるを得ず、やむなく女房の実家のある信州新町に出掛けた。
が… 折角の休み、どこの山へも登らずに過ごすというのは、どうも気分的によろしくない。特に梅雨という今の時期であってみれば、先の見通しが立たないだけに、なおさら。で… せめて小さい所でもと、実家で女房子供を下ろすと、私一人、お茶も飲まずに、あわただしく飛び出した。
その際、漠然と私の念頭にあったのは、今年の3/18、同じ信州新町の奈良尾の飯縄山に登った後に付近の地形図を見ていて発見した「天狗山」。「柳久保池」のちょうど真北あたりにある山で、信州新町越道よりさらに奥の山穂刈方面に道なりに走っていけば、そのうち車道はこの山の北の肩あたりに達し、そこからなら頂上までわずか200mほど。たとえ雨が降ってきても、すぐに車に戻れる程度の距離ゆえ、こんな天候下での訪問先としては好都合だと思ったのだ。それで、早速その方向へと車を走らせていくと… さすがは自然豊かな里山地域、雨の合間にはたちまち色とりどりの蝶たちが周囲に舞い競う。それらに見惚れつつ、天狗山の肩に到着してみると、やや草薮が深いものの道形はちゃんとあったので、ここは多少の雨露は厭わず踏み込んで頂上へ。そこは特に標識もないが、周囲に土塁とおぼしきものが見られることから、あるいは戦国時代に狼煙台でも設けられていたのだろうか?(注:近くには「萩野城址」という山城址あり)。三角点標石は最高点よりやや東の縁のへんに、ひっそりと埋設されていた。
皆神山・森将軍塚散歩
長いこと続いてきた梅雨の空模様も、今週はついにそのピークに達した感があり、前週の7/16あたりから降り続いた雨は、年間降水量の3割にも達するという記録的な豪雨となって、ついに長野県にも大規模な災害が各所に発生するに至った。そんな中、週末がやってきたが、さすがにこんな状況の下では気楽に山登りなどという場合でもなく… 7/22の土曜日は被災地の支援に汗を流し、疲れ切って帰宅。
かくて、7/23の日曜日の朝を迎えた。この日は休日だったものの、さすがに前日、あの凄まじい災害現場を目のあたりにしてきた直後だけに、身体も疲れ気味だし気も晴れない。こんな時こそ適度な身体のほぐしと気分転換が必要だとも思いはしたが… 山といえば急斜面の林道走りがつきものゆえ、あんな大雨の後では、さすがに少々危険をおぼえるし、前日の疲れとも相俟って、どうも気が乗らない。
が… 我が子供達の顔を見ていたら、多少気が変わった。子供達もこの梅雨のおかげで、外では遊べないわ楽しみにしていた行事は中止になるわと、結構子供なりに欲求不満が蓄積しているはずだ。となれば、あまり高い山には行く気がしないが、せめて近所の里山にくらいは連れて行ってやろうと思い直し… 午前中に長野市の皆神山、昼食をはさんで午後に千曲市の森将軍塚古墳(大穴山)を、それぞれ家族で散歩。
と… 皆神山では、折しも梅雨の切れ間に今こそチャンスとばかりに乱舞する色とりどりの蝶達に遭遇! そして森将軍塚では、適度な微風と周囲の展望に久々に開放的な気分を味わえた。むろん我が子供達も、一気に発散するかのごとくに野山を大いに駆けずり回っていた。
薄暮の山第5弾〜富士ノ塔山
7/25、職場の勤務時間も終わりかけた頃、空に久々に晴れ間がのぞいた。このところの梅雨末期の荒れ模様の天候には目に余るものがあり、各所で災害まで発生するなど重い気分が続く中、ようやく訪れた晴れ間だった。私は、それを窓越しに目にした瞬間、何かいてもたってもいられぬような衝動をおぼえた。たとえ短時間でもいい、近所の山で、ここしばらくの間の鬱屈した気分を幾分かでも晴らしたいと思ったのだ。
そう思うがままに、私は勤務時間終了後、早めに職場を飛び出し、長野市街地の西に連なる里山に向けて車を走らせた。豪雨の後だけに、林道の状態に少なからず不安はあったが、幸い、路面に若干の落石が見られたのみにて、難なく「富士ノ塔山」の直下まで達し駐車。
ここから頂上までは僅か5分ほどなので、ワイシャツ・ネクタイ姿のまま登る。すぐにくぐる浅間社の鳥居の左脇には県歌「信濃の国」の作詞者・浅井冽が「小田切八景 富士の塔の晩霞」と題して詠じた「咲く花を風のこころにまかせじと 山たちかくす夕霞かな」との短歌が記された碑があり、なかなか風流。じきに頂上に達し、浅間社に一礼してから、長野市制100周年記念事業で整備されたらしい展望デッキから山麓を俯瞰。と… そこには、先日豪雨であったことなど、まるで信じ難いほど穏やかな様相の善光寺平の情景が拡がっていた。
梅雨明け間近を実感〜高鳥谷山
今年は梅雨明けが遅く、ぐずついた天候の連続のまま、いつの間にか夏休みシーズンに。そこで7/28、家族サービスを兼ねて休暇を取得し、家族と共に南へドライブ。この日は天気予報によれば、北の方ほど天候が悪いとのことゆえ、それから少しでも逃れようとの魂胆。
と… 午前中こそ、時折車窓に小さい雨滴が散ったりしたものの、午後は次第に鬱陶しい雲が取り払われつつある雰囲気。そこで昼食後、試みに伊那市の南東にある高鳥谷山(たかずやさん)に上がってみることにする。
実はこの山、頂上近くまで車道が通じており、「山登り」としては些か物足りないのだが、それでも今回は、このところ執拗に続いた梅雨の長雨のすぐ後であり、また幼少の子供も伴う家族連れでの山歩きであっただけに、今日のところはまあこの程度でよしとしよう、と妥協した上での訪問。当然、私自身としては、実のところ内心あまり期待せぬままの訪問だったのだが…
いざ頂上に到着したら、そんな先入観など、一気にどこかに吹っ飛んでしまった。何と明るく、開放的で眺めのよい頂上であることか! 私は以前にも一度ここに訪れたことがあるはずなのにもかかわらず… 今日のこの印象のフレッシュさは、やはりあまりにも長かった梅雨の後ゆえか? しかも周囲には美しい蝶たちが舞い競い、その中には、これまで遭遇機会のなかったツマグロヒョウモンの姿まで!
かくて、久々に親子そろって歓声を上げつつ、草付きの上を駈けずり回る一時を過ごすことができ… 休暇の価値十分の一日だった。
意外なる好峰〜日暮山
7/30、折しも関東甲信越の梅雨明けがようやく発表されたこの日、軽井沢町の南にある日暮山(にっくらやま)に訪問。
この山、私としては上信越自動車道の「日暮山トンネル」で初めて山名を覚えて以来、ずっと訪問の機会を狙っていたもので、今回たまたま諸般の事情で私一人で山に行けることになったのを幸い、にわかに目的地に選定した次第。
そこで早速、軽井沢町方面へと車を走らせる。ルートは地形図で検討した結果、この山のすぐ北の別荘地の上端あたりが上信国境の稜線にほぼ接していることから、そのあたりから取り付き、後は稜線伝いに歩いてみようとの考え。ところが… いざ現地に行ってみると、別荘地の入口には関係者以外の通行は遠慮されたい旨の看板あり。一瞬躊躇したが、それでも折角来たのだからと試みに上部に車を走らせてみると、地形図通り、ちょうど稜線に接したあたりまで車道は上がっていた。ここからなら、直線距離で頂上までほんの700〜800mほどで、さして時間も要さないと思われたので、多少心配ではあったが、極力別荘関係者の迷惑にならないよう慎重に場所を選んで駐車し、早急に頂上を往復してくることに。
特に登山道の標識はないが、稜線上には明瞭な踏跡あり。少し進むと分岐で上信国境稜線から離れ、わずか下ってすぐ登り返し、時折岩稜をたどって最後に急登を登り切ると、いきなり眼前に「八海山神社」の石碑が姿を現す。そこは既に頂上の一角で、展望も一気に開け、妙義連峰方面などの眺めが良好。三角点標石はそこからわずか灌木のトンネルをくぐり抜けた先にあり、脇には素朴な石祠が祀られていた。