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【山行リスト】
やや肌寒の秋山散策〜池山
知られざる豪壮な城砦〜鞍骨山
六人坊、烏帽子岩など訪問
坂城町・下塩尻岩鼻(和合城址)
霧ケ峰の外れの寂峰・殿上山
紅葉の甲斐路〜要害山
晩秋の昇仙峡〜羅漢寺山
紅葉の甲斐路第2弾〜曲岳、黒富士など
さらに粘って〜太刀岡山
奥高野の名峰〜護摩壇山
千曲市・雪の唐崎山(唐崎城址)
本年最後の山行〜上田市・弘法山
やや肌寒の秋山散策〜池山
このところ、週末の度に不順な天候が続いているが、この週末もその例にもれず。が… 幸か不幸か、今回は野暮用で山に行けない土曜日に雨が降り、日曜日はまがりなりにも青空が広がったので、この機会を無駄にすまいと、前週に引き続き長男・次男同伴で家を飛び出す。
今回の目標は、駒ヶ根市の「池山」。中央アルプス空木岳への直登路「池山尾根」の中途にある山で、かつてはその名の通り、頂上近くに池があったというが、現在ではその跡を残すのみ。駒ヶ根市内から「古城公園」経由でダートな林道を終点まで上がると登山口。駐車し、車のドアを開けた途端、予想以上にひんやりした空気に驚く。確かに今朝は北アルプスや志賀高原などで結構まとまった積雪があったようだが、それよりずっと南の駒ヶ根市でさえ、この寒さ。私は少なからず意外に感じたが… 後で聞いたら、この日はさらに南の飯田市の風越山でも、例年よりずっと早い積雪があったとのことで、なるほど寒くて当然だったわけだ。ともかく、子供には念のため持参したジャンパーを着させて歩き出す。
大変歩きやすい広い道をしばしで「鷹打場」。そこから池山への直登ルートがあるが、一瞥すると、そちらはあまり人が通らないとみえ、笹が両側から覆いかぶさっているので、下りに利用することに。さらに登ると、道は水場のあるへんで空木岳への道と分れ、回り込むようにして頂上へと続いている。池跡付近の美しい岳樺林などを愛でつつ、肌寒さゆえか大して汗もかかないままに登頂。
そこは有名な空木岳の前衛峰とは思えないほど静寂な頂。期待した駒ケ岳方面の山稜は残念ながら雲がかかってしまったが、それでもそちらの山肌に向けて子供たちと共に、周囲に人がいないのを幸い、日頃のストレス発散の意味も込め、腹の底から思い切り快哉を叫んだ。
知られざる豪壮な城砦〜鞍骨山
10/29、長野市松代町清野の南にある戦国時代の山城址の山「鞍骨山」を探訪。天気予報によれば、この日は昼頃から雨とのことで、単独午前中勝負と決めて自宅発。今回の訪問のきっかけは、たまたま7/8に登った「天城(てしろ)山」について調べた際、その東の山稜上に、知られざる豪壮な山城址(鞍骨城)があるとの情報を知り得たことだった。知られざる、しかも山城址とくれば、最近の私の山の嗜好に完全に合致する。
ただ、あまり人気のなさそうな山ゆえ、問題は登行ルート。私は地形図上で検討の結果、松代町清野から妻女山に延びている林道中途から、送電線の巡視路を利用して上がるルートを採ったが、いざ踏み込むと、すぐ「鞍骨城→」の手製の標識を見出し安堵。やや急な登り数十分で最初の送電線鉄塔の手前に達し、そこから杉林の中に続く踏跡をたどって、更に登行しばしで稜線上へ。そこは2つ目の送電線鉄塔を右に見る狭い鞍部状の所で、明らかに空堀。鞍骨城址へは、ここから左(東)に山稜をたどるが、踏跡は存外明瞭で、途中「↑鞍骨城」の手製標識もあり全く心配なし。さらに進むと、はっきりそれと判る郭と急峻な切岸が現れ、それを何段か乗り越えて登ると… ここで突然私の眼前に、信じ難い光景が現出。何と、目指す本郭の周囲には、事前情報の想像をはるかに超える、豪壮な石垣が、さながら中世の西欧の城砦のごとく巡らされているではないか!
まさかこんな人気のない山中で、それも一般には存在自体がほとんど無名の山城址において、かくも相当規模の石垣に出遭うとは! 些か大袈裟なようながら、私は実際、まるで異界にでも迷い込んだかのような奇妙な感覚にとらわれつつ… 一人、本郭址の頂上に立った。
六人坊、烏帽子岩など訪問
11/6、保福寺峠の南の三才山峠の西(松本市側)にある「六人坊」「三才山」という変わった名前の山々、またそのさらにやや南の「烏帽子岩」に相次いで訪問。この日は折角の週末ながら、天気予報によれば午後は崩れるとのことで、前週の鞍骨山と同様、単独午前中勝負とした。
保福寺峠から、ややダートな「蝶ケ原林道」を車で南にたどり、登山口の三才山峠へ。この峠、以前は標識もなく、それと気付かないままに通り過ぎていたものだが、今回は立派な標柱や説明看板まで設置されていて、一発でそれと判明。天候変化前らしく、やや強い風に紅葉の落葉が舞い飛ぶ中、林道の法面の縁を伝うように上に延びる踏跡をたどる。比較的急な登りをしばしで、地形図上「三才山」と表示されている最初のピークに到達。特に山名を示す標識もないが、地形図上で見ると「三才山トンネル」はちょうどこのピークの直下あたりを通過しているものらしい。そこからさらに平坦な山稜を西にたどると、じき三角点のある「六人坊」に到達。東西に長い頂上で、最高点は三角点よりわずか西のあたりだが、雰囲気的には三角点周辺が最も頂上らしい。樹間からは西に以前登った戸谷峰と、その背後に北アルプス、また東には雲海の上に浅間山が見渡せた。
一旦、三才山峠に戻り、次いで烏帽子岩へ。ここは以前一度訪れたことがあるが、時間的に林道から近いのと、まだ天候が保っていることから、再訪してみる気になったもの。あの特徴的な烏帽子状の岩塔は健在で、先刻の六人坊とはまた別の爽快感を味わえたが、皮肉にもここは地元の人々に昔から雨乞いの山とされてきたところ(!)。そのせいか… ここでついに私の顔に最初の一滴が当ったため、早々に車に戻った。
坂城町・下塩尻岩鼻(和合城址)
11/6、六人坊や烏帽子岩などへの訪問を終え、私は車で上田市あたりまで下ってきたが、そこまでは標高が低いせいか、まだ雨は来ていなかった。と… たまたま行く手に、上田市と坂城町との境あたりに位置する「岩鼻」の岩壁が目についた。「岩鼻」は千曲川を挟むように両岸にあり、左岸側は「半過岩鼻」、右岸側は「下塩尻岩鼻」と呼ばれているが、「半過」は頂上が「千曲公園」になっていることなどから比較的有名なのに対し、「下塩尻」の方は通常虚空蔵山から西に延びる山稜の末端としかみなされていない。が… 実はその頂上は「和合城」という戦国時代の山城の址で、しかも最近主要な郭周辺の草木がきれいに刈り払われ、かなり顕著な土塁や堀切が明瞭に姿を見せたとのこと。最近、山城址に注目している私としても、一度訪れてみたいと思っていたところで、然らばこの機会に何とか雨の到来前にと、早速登山口に乗り付け、登り出す。
道はやや急ながら、送電線鉄塔の巡視路を兼ねているせいか存外良く整備されている。30分ほどの登りで虚空蔵山からの稜線上に達し、城址にはそれより右へ。結構深い堀切を突っ切った先に、事前情報通り、草木がきれいに刈り払われた明るい郭が出現。坂城町で設置した城址の説明板を一読した上、私は顕著な土塁の上の、一の郭である頂上に立った。ここはかつて狼煙台的に利用されたというが、それだけに周囲の展望は素晴らしい。眼下の坂城町はじめ、その左手に悠々と流れる千曲川、またそれらの背景をなす五里ケ峰などの山々… まさに千曲川の狭窄部の要害としては、うってつけの地だったろう。折しも落ち始めた雨滴を拭いつつ、私は戦国時代の城兵にでもなったような気分で周囲を見回した。
霧ケ峰の外れの寂峰・殿上山
11/13、長和町にある寂峰・殿上山(殿城山)に訪問。この山、霧ケ峰高原の外れ的位置にあり、あまり目立たない知る人ぞ知る峰ながら、私は今回初めて訪れてみて、頂上付近の草原の開放的な明るさや、また眼前間近に迫る蓼科山や車山をはじめとする周囲の大展望など、その秘めたる真価に少なからず驚愕させられたのと同時に、信州には、まだまだこのように知られざる良い山が数知れずあるに違いないとの感を強く抱いた。
この週末は久々に好天だったので、長男・次男も同伴しての訪問。晩秋らしく、唐松の落葉が一面に降り敷いた緩傾斜の道を上がっていった先には、かの霧ケ峰特有の明るい草原の山稜が横たわっていた。笹の斜面に続く道を登り切り、山稜上に飛び出た瞬間の爽快感! これにはさすがに、いつも山歩きというと「疲れた」だの「まだ?」だのと苦情ばかり並べたがる長男までが、いつになく快活に付近を飛び回っていたほど。
それほどの山なのに、なぜか地形図上には幸か不幸か、山名も道の表示もないのだが… スキーをやる者なら、長和町から白樺湖に上がる国道152号(通称大門街道)の大門峠のやや下にある別荘地「姫木平」に近い「エコーバレー」スキー場の一角にある1,800m峰といえば、あるいはピンとくる向きもあるかも知れない。然るにスキーのできない私など、つい最近までエコーバレーというスキー場の存在すら知らなかったもので、ましてや「殿上山」という山の存在自体、実際訪問の数日前に地元広域連合で作成したトレッキングマップに山名を見出すまで、全く意識していなかったというのが、お恥ずかしいことながら偽らざる事実(!)。全くもって「山登り」は常に謙虚であるべきだと身にしみて感じた次第。
紅葉の甲斐路〜要害山
この週末は、たまたま長男以外の家族は女房の実家に泊りに行ったため、自動的に今回は長男と2人での山行。また一番しっかりした長男同伴ゆえ、今回は久々に県外まで足を延ばし、山梨県の「要害山」に訪問することに。この山、かの有名な甲斐の武田氏の館の後詰として築かれた山城(要害城)址のある山で、まさにその名の通り要害の地であったといい、最近の私の山行趣味としても、是非一度訪れてみたい所だった。
そこで、11/20の早朝、長男と2人で勇躍家を飛び出す。中央高速道を甲府昭和ICで下り、甲府市街を抜けて「積翠寺」付近の登山口まで、特に道にも迷わず順調に到着。登山口の案内看板に一通り目を通した上で登り出す。わずか上がると国史跡の境界標石があり、併せて要害山の赤松林は「やまなし森林100選」に選定されていることを示す看板あり。確かにそれは見事だが、それよりむしろ紅葉の方がさらに見事だったのは時季ゆえの皮肉。それらを愛でつつ登ってゆくと、そのうち竪堀や郭、門跡の石垣や土塁など、山城の遺構も目につくようになるが、それらの規模たるや、これまで信州で目にしてきた山城址のそれの比ではない。さすが武田の城址、また国史跡だけのことはある。
何度か門跡や郭を突っ切って登った末、頂上の主郭址に達したが… そこに一歩足を踏み入れての感想は、ただもう「広い!」の一語。とても山の頂上とは思えないほど平坦に整地され、またその周囲は土塁で囲まれ、中ほどには庭石とおぼしきものまで残っている。一説には、ここで武田信玄が誕生したともいい、それを示す碑もあるが、事実そうであったとしても全く違和感はないことを納得。期待通りの興味深い山城址訪問であった。
晩秋の昇仙峡〜羅漢寺山
先の要害山への訪問後、まだ時間に余裕があり、折角山梨まで来ていることだし、ついでにもう一つ、近くの別の山に訪れてみようと、にわかに昇仙峡方面に車を走らせた。「昇仙峡ロープウェイ」を利用すれば簡単に登れる「羅漢寺山」という山に訪れてみようとの魂胆。ところが… 折しも紅葉の時季ゆえか、昇仙峡入口付近は大混雑で渋滞(!)。遅々とした車列の進行に、車中で長男と2人して散々不平不満を叫びまくった末、どうにかロープウェイ駅(「仙ガ滝」)まで到着、首尾良くロープウェイに乗り込み、「パノラマ台」まで上がることができて、ほっと一息。
駅の付近は八雲神社や和合権現などがあるほか、売店や遊具もあって観光地化していたが、「パノラマ台」の名に恥じず、そこから「展望台」までの間では南アルプス連峰や奥秩父連峰などの展望抜群。さらに羅漢寺山最高点の「弥三郎岳」までは普通に歩いても15分ほどだというし、花崗岩の岩峰とはいえ半ば観光地、大して危険もあるまいと軽く考えていたのだが…
行ってみたら、確かにそこは、ロープや鎖もあれば岩にステップを切ってくれてもあり、一応「安全」ではあった。しかし… それからパノラマ台に戻るまでの間、私は終始ヒヤヒヤしながら歩くことを余儀なくされた。原因はむろん長男。前述の通り、登路自体は一応安全対策が施されているので、自分自身が歩く分には大して怖くもないのだが、そこを人が歩いているのを見るとどうも怖い。ことに幼少の我が子が歩くとなると、なおさら(!)。予定外の山だけに、ザイルの持ち合わせもなく、結局、ごく短時間頂上三角点の脇に立ったのみにて、早々に退散するハメに。
紅葉の甲斐路第2弾〜曲岳、黒富士など
去る11/20に昇仙峡の羅漢寺山に登った際、北西方向に、飛び抜けて立派でもないが、少なからず気になる山々がいくつか目につき、帰って地図にあたってみたところ、曲岳とか黒富士とかいう名の山々と判明。と… 例によって、私はそれらの山々に是非とも訪れてみたくなってしまった。
で、家計厳しき折ではあるが、何とか女房を拝み倒してガソリン代と高速料金支出の同意を得、勤労感謝の日である11/23早朝、勇躍長野を出発。なお、この日はたまたま子供たちが軒並み風邪気味ゆえ、久々に単独での県外日帰り山行とあって、多少心に期するものがあった。
中央高速道韮崎ICから「昇仙峡ライン」を飛ばし、登山口の「観音峠」まで車で上がり駐車、まずは「曲岳」目指して登行開始。「めまい岩」なる岩稜の縁を左手からトラバースして岩上に出ると、そこからは西に日本百名山の深田久弥氏終焉の山として知られる茅ケ岳方面の眺めが良好。もっともそこは文字通り「めまい」のしそうな急峻な岩上ゆえ、長居せず先を急ぎ、さらに岩場を乗り越え、樹林の中の最後の急登を登り切ると曲岳頂上着。樹間に奥秩父連峰の瑞牆山あたりや、また南アルプス鳳凰山あたりが望まれ、休憩も取らずにそれらの眺めを楽しんでいると、やがて「八丁峠」方面から10数人のパーティーが登ってきて、一気に喧騒になった。それを機に頂上を辞し、次の目標「黒富士」に向かう。
気持ちの良い秋枯れの山稜を「八丁峠」経由で快調に歩き続け、次第に迫る岩稜の迫力に期待しつつ、一気に登りつめる。頂上手前の岩上で振り返ると、先刻登った曲岳や、またその左後方に例の茅ケ岳の眺めが良く、ほどなく達した頂上には「山梨百名山」の標柱あり。
帰り道、ついでに近くの升形山にも立ち寄る。露岩の上の明るい頂の、これまた良き山で、そこからの黒富士の眺めには大いに見応えがあった。
さらに粘って〜太刀岡山
先に観音峠から、曲岳、黒富士、升形山と登り、登山口の観音峠に戻った時点で、時刻は午後3時ちょっと過ぎ。県外日帰りの山行でもあり、いつもならこれで帰途につくところだが… しかし、今日の私は単独。私としてはその時点で、残ったわずかの時間の中で、どうしてももう一つ、訪れてみたい山があった。それが「太刀岡山」。実は、先刻車を観音峠に向けて走らせている際、「昇仙峡ライン」から峠への道に分かれるあたりに、きわめて立派な岩峰があるのに目を惹かれ、思わず当初の目的地をそこに変更しようかと迷ったほどだった… 今からでも、まだ暗くなるまでには2時間ほどの間がある。よし、行こうと心に決め、早速、落葉降り敷く細い林道に車で乗り入れ、黒富士との鞍部の狭い峠の登山口まで上がる。
付近に駐車し、標識に導かれて早速登山道に踏み込む。道はほとんど一直線に南へ結構な急傾斜で登りつめてゆくが、何とか日没前には登頂せねばならぬゆえ、思い切ってペースを速め、肩で息をしながら一気に登り切った所が地図上太刀岡山の最高点とおぼしきピーク。が、そこは意外にも何の標識もなかったので、さらに南へ稜線伝いに三角点を目指す。結局、登り始めてからほんの30分ほどで三角点に達す。今度はちゃんと標識もあり、また山麓の人々の信仰を物語る素朴な石祠などもある頂上らしい場所。ほっと一息つき、周囲を見回すと… 日没迫る淡く薄赤い陽光の下、南アルプスや茅ケ岳方面など、結構展望良好。先日訪れたばかりの羅漢寺山方面も望まれたが、その右後方には、かの秀峰富士山の麗姿…!
限られた時間の中、粘った甲斐は十分あった。私は久々に胸のすくような山行ができた充実感と共に、南アルプスに沈みゆく陽を望んだ。
奥高野の名峰〜護摩壇山
11/26、たまたま和歌山県の那智に行く所用があり、その帰りの11/27、紀伊山地を奈良に抜ける途中、折角だからと奥高野の名峰である護摩壇山に立ち寄っていく。国道371号線がこの山の直下を通過しているおかげで、駐車場から頂上まではほんの15〜20分もあれば足りるという手軽さだが、紀伊山地あたりの山深さは実際信州の比ではないという印象が強く、仮に車道が通じていなくて麓から歩いて上がったら一体何日かかることか… と思われるほど、私には歩行時間の割に案外強い印象を残す山となった。
この日、現地は生憎の霧雨。連れの者は車で待っていると言うので、私のみ傘をさして頂上を往復。ちなみにこの山には、かつて屋島の合戦に敗れ逃れてきた平維盛が、この頂上で護摩を焚いて平氏の盛衰を占ったところ、護摩を焚く煙が地に下ってゆくのを見て行く末を知ったとの伝説があるという。私は登り口の案内板でこのことを知り、天候のせいもあってか自然、厳粛な気分で頂上に立った。当然、周囲は霧に覆われて展望は全くなく、淡い乳白色の光の中、きわめて静寂な雰囲気であったが、そのことは、私にとっては限られた時間の中、往時に平維盛がここで護摩を焚いている情景などに想いをはせる上では、むしろ好ましい状況であった。
千曲市・雪の唐崎山(唐崎城址)
12/25、千曲市にある戦国時代の山城址(唐崎城址)の山である唐崎山に訪問。このところ何かと多忙の上、思いもかけぬ多量の降雪で(それも、まるで週末を狙い撃ちするかのように!)、なかなか山行の機会がなかったところ、この日は久々に晴天となったので、せめて近所の里山なりと… というわけで、にわかにこの山を思いつく。この山、最近の私の山行のテーマのひとつ「山城址の山」ではあるが、特に歴史上に名を残しているわけでもなく、善光寺平近辺の山城の中では比較的目立たない存在ゆえ、近くでありながら案外これまで訪問の機会がなかった。初訪問の地にして、積雪期でも安全な里山とくれば、今の時季にうってつけ。野暮用で出発は正午過ぎになったが、山上から望む晴天下の雪景色などに期待しつつ、自宅発。
登山口は有名な川中島合戦の「雨宮の渡し」の近くの招魂社。社前に一礼して登り始めたが、さすがに積雪はそこそこに深く、招魂社のすぐ上でスノーシューを着用の上、一気に城址まで登りつめたが、そこには案外標識や説明板の類が全くなく拍子抜け。それでも郭の形状は明確だったし、また樹間からは当初の期待通り、飯綱山や長野市街、また千曲市の一重山あたりなどの雪景色が明るく見下ろせて気分爽快。
なお、ここまでのみでは物足りないので、さらにその先へ、三角点地点を過ぎ、気持ちの良い稜線歩きを経て「明聖霊神」の祠が祀られている小ピークまで足を延ばす。ここでは意外にも「御嶽山」の石神をいくつか見出せて興味深し。そういえば同じ千曲市で一重山でも御嶽神社が祀られているのを見たが、このあたりの人々の昔からの貴重な信仰の証といえそうだ。
本年最後の山行〜上田市・弘法山
私も相応に年を食ったせいか、最近はどうも時の経つのが早く感じられるが(!)、今年もいつの間にか年の瀬に。職場の仕事納めも済んだ12/29、本年最後の山行となるであろうとの感慨と共に、上田市の「弘法山」に訪問。この山、「信州の鎌倉」として知られる上田市塩田平の真言宗の名刹「前山寺」の奥の院にあたり、弘法大師の伝説が残る独鈷山の前衛峰でもあることから、山名は明らかに弘法様にちなんだもの。また、戦国時代には戦略上重要な位置を占めたという山城(塩田城)の址としても知られ、単に「山」としてのみならず、歴史探訪の地としても一級ということができる。
そんな山だけに、私としては相当の期待を抱いての訪問。前山寺に近い塩田城址の登り口から歩き出す。この冬は各地で豪雪だが、ここは案外積雪量が少なく嬉しい誤算。郭の址をいくつも見つつ登ってゆくと「虎口」址に。そこでは顕著な桝形状の石積みや古井戸址が見られ興味深し。
さらに塩田北条氏の二代目・国時の墓所を過ぎたあたりまでは、きわめて快適な登り。が… ここから先は様相一変、次第に岩稜伝いの急傾斜となり、しかも、岩の上に落葉が降り敷いた上に雪が積もっているので、足を踏み出す度にやたらと滑るという、きわめて危険な進行に。したり、えらい所へ来ちまったわいと思ったが、後の祭り。とにかくアイゼンを着用し、一歩一歩、慎重に進み、どうにか最後の頂稜上に飛び出てほっと一息。
そこからは岩窟の観音像や、半ば朽ちた社殿と石灯篭のある岩上の広場などを経て、ようやく塩田城一の郭址という頂上に立つ。そこは独鈷山を間近に仰ぐ比較的明るい爽快なピーク。今年最後の山に相応しく、結構手応えのある登りの末の登頂に、私は一人、会心の思いを味わった。