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【山行リスト】
信越トレイル・黒岩山と桂池など
信越トレイル・大平峰と沼の原湿原
信越トレイル・仏ケ峰
小谷村・平倉山(平倉城址)
美ヶ原・武石峰と思い出の丘
薄暮の山第6弾〜長野市の旭山
夜間登山第2弾〜吉窪城山
鬼無里の寂峰・木曽殿城山
波田町・白山と若沢寺跡
松本市・東城山(林大城址)
長男と軽い里山巡り〜たら原山など
ちょっと寄道〜和田之城址
三角点標石探索〜霊松寺山
知られざる好峰〜飯盛山と夕日山
忙中閑あり〜長野市・高雄山
意外なほど寂峰〜南鷹狩山
これまた寂峰〜熊倉峰
霧の物見岩にて
信越トレイル・黒岩山と桂池など
8/27、長野・新潟両県境に近く「信越トレイル」の一部をなす、飯山市の黒岩山などに訪問。去る 8/21の袴岳に引き続いての信越トレイル訪問となるが、標高的には平凡でありながら、豪雪地帯に特有の豊かなブナ林の中、意外と山深く静寂な雰囲気は、まさに私好みの山域だ。
今回は家族全員で家を出発したが、いざ車を登山口付近まで走らせてみると、やや空は曇り加減ゆえ、私一人での特急登山も考えたが、案外長男がどうしても一緒に行きたいというので、彼のみ同伴し、他は女房以下、付近の「桂池」畔あたりで遊んで待っていてもらうことに。
桂池のすぐ東、鷹落山との鞍部あたりから登り出す。わずか登って稜線上に出ると、進行方向左手の眼下には飯山市側の俯瞰がしばしば良好。やがて左手に雪崩防止用らしい鉄製工作物が連なった先に東屋あり。付近を見回しても何故か標識もないが、東屋の中に入ると、足元に「のろし台跡」と書かれた朽ちた白い木柱が寝かせられているのを発見し、そのあたりが頂上であることを確認。この山「黒岩城」という山城の址だと聞いたことがあるが、実際、試みにさらに先に稜線をたどると、途中にいくつか顕著な堀切が見られた。
帰りは途中で信越トレイルの標識に従い、左に折れて桂池方面に下ったが、途中の豊かなブナ林には見応えあり。なお、無事桂池に下山後、折角だからと支峰「鷹落山」にも訪問。頂上付近には無線施設が林立し、最高点付近にはNTTの無線塔があったが、薮をかきわけ最高点に出ると、意外、そこに立派な「鷹落山」の山名標示の石碑を見出す。そこからは、南に先刻訪れたばかりの黒岩山が間近に望まれた。
信越トレイル・大平峰と沼の原湿原
8/28、昨日に引き続き、またまた「信越トレイル」の山に訪問。今回の目的地は、斑尾高原の北に位置する三角点峰の「大平峰(毛無山)」と、そのすぐ南西の「沼の原湿原」。例によって午後は所用ゆえ、午前中のみの特急登山だったが、たまたま早起きしたおかげで、早くも 8時頃には釣客の多い希望(のぞみ)湖畔の登山口に到着し、まずは大平峰目指して登り始めることができた。
今日は当初の期待に反し、周囲は霧雨模様で薄暗く、また袴岳や黒岩山付近のルートと違い、見事なブナはさして目につかなかったが、その代わり、霧の中に鮮やかに浮かび上がるシラカンバの幹の白さが異様に印象的な道中だった。登頂までのアルバイトもさほどでなく、ノンビリ歩いてほんの40〜50分程度で、静寂な頂上に到着。一息ついて付近を歩き回ると、先日の袴岳と同様、展望用に障害木が伐採されている一角あり。もっとも今日は残念ながら霧の中で展望は得られなかったが、晴れていれば、東側の眺めがさぞかし雄大であろう。
一旦、元来た道を希望湖まで戻り、次いで、近くにある沼の原湿原を散策。そこは、この付近としては比較的広い規模を誇る湿原で、木道なども良く整備され、湿原内を八の字に周回可能。ここでも周囲は相変わらず霧雨模様だったが、そのせいか原始色濃い湿原はより神秘性を増し、また湿原内のそこかしこに見られた花々の色彩が目に鮮やか。ことに、霧の微細な露をまとったシラヒゲソウの白く可憐な花が印象的。
今日はこれにて時間切れ。が… 久方振りにワクワクするような山域に出会えた思い。またこれからも「信越トレイル」に通ってみよう。
信越トレイル・仏ケ峰
9/3、またしても「信越トレイル」の一部の山域に訪問。この一週間指折り数えて待った休みに目的地に選定したのは、前週訪れた桂池と北の鍋倉山とを結ぶ線の中間に位置する寂峰「仏ケ峰」。思えば 8/21に袴岳に訪問以来、すっかりこの山域が気に入ってしまったが、諸事情によりピンポイント的山行を繰り返しつつ、次第に目的地が北上してきた… 時間と「足」さえ確保できれば、いずれ全て通しで歩いてみたいトレイルだ。
今日の登山口は戸狩温泉スキー場の中にある「とん平高原」。夏季無人のレストハウスのあるあたりまで車で上がり、そこから徒歩でスキーゲレンデ沿いに登行。30分ほど上がると、お馴染の「信越トレイル」の案内標識がある「仏ケ峰登山口」に到着。そこでは意外や、一人の男性登山者に遭遇。聞けば上越市から来られたとのことで、桂池からトレイルをたどって来たという。また、彼の奥さんが仲間と一緒に北の関田峠から鍋倉山経由で逆にトレイルをたどって来ており、携帯電話で連絡したところ、どうもすぐ上のスキー場最上部あたりで進行方向に迷っているらしい。私は、それじゃ、自分もそちらに登るので、行ってみましょうと言い、標識に従いさらに登行していくと、途中で首尾良く件の奥さんとすれ違い一件落着。
それから、展望の良いスキー場最上部を経て、ようやくゲレンデの草いきれから解放され、ブナ林中の涼しい道へ。そこからは、開通後間もなく余り踏まれていないのか、足に伝わるふわっとした感触が心地好い。登行開始後2時間弱、やがて達した三角点は樹林の中で展望なし。で、地形図上そこより6mほど高い、すぐ北の峰まで試みにたどってみると… 最高点とおぼしき付近で、北の樹間に鍋倉山が望まれて嬉しかった。
小谷村・平倉山(平倉城址)
9/4、小谷村の平倉山(平倉城址)に長男・次男と共に訪問。このところ「信越トレイル」の山々への訪問が続いていたが、そちらが昨日の仏ケ峰で一段落したので、ちょっと気分を変えてみようとの趣向だったが、狙い通り、「信越トレイル」とはまるで異なった雰囲気の山だった。
それにしても、この山、良い山だったのだが… 全山にわたり、どこか陰鬱とした雰囲気が漂っていたのは、単に今にも泣き出しそうな曇天という天候のせいばかりではなかったろう。というのも、この山、悲惨な落城の歴史を有する戦国時代の山城(平倉城/小谷城ともいう)の址であるからだ。弘治三年、一夜山(注:本年 8/22訪問)の飯森城主であった飯森春盛が甲斐の武田氏の武将山県昌景の侵攻に抗して籠城し、半年も持ちこたえたが、ついに衆寡敵せず、同年七月に落城し焼き払われ、一族郎党の男は山麓の「切った屋敷」といわれているあたりで全員斬られたという。
このようないわれのある山は、例えば長野市の葛山などもそうだが、訪れるに際しては、やはり一種の緊張感を抱かざるを得ない。それを感じてのことなのかどうか… いざ出発にあたり、長男が「この山、怖い」と言い出したのには参った。陰鬱な天候とも相俟って、何やら妙な感慨が脳裡をよぎる。が… 登り口にある「平倉神社」に山行の安全を願い一礼して歩き始めると、そんな気分も次第に晴れていった。心配した雨も幸い落ちて来ず、途中、素朴な石祠に頭を垂れたりしながら、最後は城址の上の険しい堀切の縁を慎重に伝って登り切ると、南北に細長い痩せ尾根の上の頂上に到着。特に頂上を示す標識はなかったが、武田の猛攻に半年も持ちこたえたほどの天然の要害ぶりを理解するには十分な場所だった。
美ヶ原・武石峰と思い出の丘
9/10、美ヶ原高原の一部である武石峰近辺を女房・長女と共に散策。この日はたまたま長男と次男が女房の実家に滞在しており、同伴の子供は長女のみという珍しい状況であり、天候は曇り加減で周囲の山々の眺めは今一つだったが、それでも長女には自分一人だけという滅多にない環境の下、大自然の中を思い切り走り回らせてやりたいとの思いから、3歳程度の子供でも体力的に無理がなく、また明るく爽快な高原状の山ということで、ここ武石峰への訪問を思いついた次第。
この山、私としては以前にも訪れたことがあるので様子が判っているが、長女はもちろん女房にも初めての訪問。そのため、ある意味では今回のような場合の訪問に実に都合の良い場所。松本市の浅間温泉あたりから、林道美ヶ原線を車で上がり、登り口からノンビリ歩いて頂上へ。明るい草原の山稜上には、やや強めの風が吹き抜けていたが、残暑の下、かえって適温に感じて心地好し。また足元を見れば、山上には早くも秋の到来を告げるマツムシソウやアキノキリンソウなどの花々が目に鮮やか。
しばしの頂上での憩いの後、ショートトレイルを「天狗の露地」経由で「思い出の丘」まで歩き、ごく短時間ながら気分の良い山歩きの一時を過ごすことができたが、そんな中、長女はいつになく伸び伸びした様子で、親の期待通りに無邪気にはしゃぎ回っていた。
薄暮の山第6弾〜長野市の旭山
9/13、あまりの天気の良さに、例によってちょっと山に登ってみたくなり… どうせ薄暮から夜にかけての山なら、夕暮れ時の市街地を俯瞰してみようと思い立ち、仕事がひけた後、着替えの時間も惜しくてワイシャツ・ネクタイ・革靴の格好のまま(!)、長野市の旭山に駆け上がった。
「長野市民の山」といわれるこの山、「朝日山観世音」側の道から車で直下まで上がれば、後は頂上城址経由で展望台まで歩いても片道1キロ弱という手軽さだが… それでも完全に暗くならないうちにと足早に駆け上がったので、全身から汗が噴出し、頂上城址に到着した頃には、ワイシャツはすっかり湿って身体にべったり貼り付く始末(!)。当然のごとく鬱陶しい薮蚊の襲来を受け、早々に展望台まで逃げ走って、ほっと一息。
さすがにそこでは、微風ながら心地好い風が吹き抜け、薮蚊もあまりやって来ず、また当初の希望通り、夕暮れ時の淡い灯火の光が織りなす絶妙かつ長閑な色彩に染まった長野市街地の俯瞰を、しばし心ゆくまで楽しむことができた。
夜間登山第2弾〜吉窪城山
9/15、仕事がひけた後、今年2度目の夜間登山として、長野市街地の西の小田切に聳える戦国時代の山城址の「城山」(吉窪城址)に訪問。この山、私にとっては以前日中に登った際、普段見慣れない角度からの長野市街地などの印象が強かったことから、この機会に夜景を眺めてみたらどんなものだろうか? などという淡い期待を抱いての訪問。
前々日の旭山の際、ワイシャツを汗でビショビショにして懲りたので、今日は登山口でしっかり衣服を改めた上、発光ダイオードのヘッドランプを灯して歩き始めたが、皮肉にも気候は前々日に比べると大分涼しく、さして汗もかかぬままに多くの祠の祀られた吉窪城本郭址の頂上に到着。
とりあえず祠に一礼してから、三角点のある頂上の南の縁の方へと歩いていってみた。と… 事前の想像よりも樹木の障害が多く、期待したほどには豪勢な市街地の夜景というわけにはいかず。が、その代わり樹間からは淡い月の光が射し込み、周囲は暗闇に慣れた目には結構風流な雰囲気に感じられて嬉しかった。というのも、先にたまたま本郭址の片隅で「小田切八景」として「あと古りて松風寒き城山の昔を語れ秋の夜の月」という風流な短歌(詠人は長野県歌「信濃の国」の作詞者である浅井冽)の碑を目にしたばかりだったからで… 満月ではなかったにせよ、時はまさに初秋。はからずも「小田切八景」の片鱗めいたものに接することができ、ごく軽い山の割には、かなり満足度の高い夜の山での一時だった。
鬼無里の寂峰・木曽殿城山
9/17、今は長野市に合併した旧鬼無里村の知る人ぞ知る素朴な寂峰・木曽殿城山に訪問。この山、その名の通り、木曽義仲ゆかりの山で、義仲の遺児力寿丸が身を潜めた砦の址というが、実際に訪れてみても、戦国時代の山城址のような空堀とか郭等の明瞭な痕跡は特に認められない。もっとも源平合戦の頃の砦址なら、戦国時代ほど大々的な防御工作を施していなかったのかも知れないが。それに、鬼無里には他にも力寿丸が隠れていたという「木曽殿アブキ」という岩窟などの遺跡があるし、全くの作り談の類でもなさそうだ。
この日は、午前中は子供がらみの野暮用あり、午後のみの勝負。国道406号沿いのおやき屋付近から、やや白馬方面に進んだへんの分岐にある「木曽殿城山 1,115m」という看板に導かれ、松原集落の上の茸栽培施設の前まで車で入り駐車、それから徒歩で夏草の茂る林道をたどる。じきに分岐に出て「松原木曽殿城址」という立派な標識を見出し、それに従い右折すると、またすぐに同様の標識があり、道はようやく山道らしくなって左に斜上。それからしばらくは鬱陶しい草薮が続いたが、進むにつれて次第に歩き易い道に。この道、意外にもかなり古くから通行されていたようで、路傍に素朴な馬頭観世音の石像が目につく。また、この道沿いにはギンリョウソウが多く、結構な群落をなしていたのが印象的。
登行1時間半余で、小広い草薮の中の頂上に到達。とくに標識もなく、三角点標石があるだけの地味な頂ながら、静寂な山好みの私には十分満足できる場所。樹木が障害となり、期待したほどに展望は良くなかったが、それでも樹間に虫倉山などが望まれて嬉しかった。
波田町・白山と若沢寺跡
9/19、波田町にある「白山」に訪問。この山、一般にはあまり知られていない寂峰ながら、その名からも想像つく通り、古くは白山信仰と関わりがあり、山麓にはかつて行基菩薩開基、田村将軍再興といわれる「若沢寺」という寺院があって、最盛期には「信濃日光」とまで称されたとのことだが、明治期の廃仏毀釈で惜しくも廃寺となり、今はその跡地に苔むした石垣や少しばかりの石仏が残されているのみである。
その「若沢寺」跡への入口が、この山の登り口。寺の跡地は、さながら山城址の郭や馬場のごとく何段にも及び、往時の壮大さを彷彿させる。方丈跡から中堂跡、金堂跡、田村堂跡と上がり、特に標識はないが田村堂跡の宝筐印塔の台座石の右手に続く小道に見当をつけて踏み込む。
途中、いくつか踏み跡が錯綜し、やや進行に迷う箇所もあったが、東京電力の送電線鉄塔を過ぎると、案外広くて判り易い道に。尾根通しの急登では相応に汗を搾られたが、その頃には要所に適当に標識も出てきて不安なし。頂上直下では、ほんの十数メートル先に野生のニホンザル5〜6頭と遭遇したので、デジカメ片手に駆け登ったが、いざ頂上に到着したら、時既に遅くもぬけのから。頂上には小さく素朴な石祠が一つ安置されており、それに一礼してから、脇の倒木に腰をかけ、しばし心地好い汗を拭う。樹林に遮られ展望はないが、静寂な私好みの頂上。
なお、下山後、まだ時間があったので、麓にある国の重要文化財「田村堂」を見学。これは廃仏毀釈時に移築され残った若沢寺の数少ない遺構の一つで、小型ながら細部が見事な造りで見応えあり。さすがは国の重文、往時の若沢寺の豪壮絢爛さを想像するには十分なものであった。
松本市・東城山(林大城址)
9/23、松本市にある戦国時代の小笠原氏の山城址(林大城址)の山「東城山(金華山)」に訪問。この日は午前中が彼岸の墓参、例によって中途半端に午後だけ空いた時間を有効活用すべく、午後2時近くなってから一人で車で家を飛び出した。
松本平には小笠原氏に関係する山城址が多く、今年はそれらのうち、既に犬甘城址(7/24)、埴原城址(8/19)と訪れているが、今日の林大城址は、それら小笠原氏の山城群の中でも本拠地だった所。登路である「東城山遊歩道」を歩いてみると、頂上近くなるにつれて、道の両側に目につく空堀や郭の多さ、また規模の雄大さたるや… さすが本拠地と驚嘆せざるを得ないほどのものあり。土塁に囲まれた頂上の主郭址も結構広く、東寄りの土塁には埴原城址のそれとよく似た石垣までもが見られる。これほどまでに壮大な規模を誇る山城址というのは、そう多く見られるものではなく、長野県史跡に指定されているのもうべなるかなと思わせるが… 然るに現実の歴史をひもとけば、実のところ甲斐の武田の侵攻に対して、さして頑強な抵抗も示せぬままに放棄されてしまったとか。既に先年の塩尻峠の合戦で大損害を被っていた上に、支城の堅固な埴原城が武田の猛攻に意外と短時間で落城したため浮き足立ったものらしいが、それにしても付近の犬甘城あたりが、林城の落城後も結構長期間にわたって持ちこたえていたのに比べ、ずいぶんあっさりした印象は禁じ得ない。塩尻峠で無駄な戦力の消耗をせず、万全の態勢で武田を迎え撃っていたなら、どうなっていただろう…? などと、私のごとき聞きかじり程度の歴史ファンは思わず想像してしまうのだ。
長男と軽い里山巡り〜たら原山など
9/24、この日は台風接近の影響で曇り後雨などという天気予報が出ていたので、あまり長時間の山行をする気にもならず、かといって、折角の休みをただ無為に家で過ごしてしまうのも惜しく… さればとて長男を伴い、比較的軽そうな山々を天候がもつ限り順次訪れてみることに。
まず訪れたのが、聖高原にある「たら原山(たららやま)」という面白い名の山。山名の「たら」は「木」扁に「寅」と書く漢字のようだが、何故かパソコンの文字一覧には載っていない。山麓に「たら原池」という溜池があり、多分そのあたりから適当な登山道があるだろうと期待して行ってみたところ… 意外や、車道はずいぶん上まで延びており、結局はほとんど頂上まで車で入れてしまった。しかもそこには国土交通省のレーダー雨雪量計施設があるだけで、頂上を示す標識もない。それでもと思って、しばし周辺の薮を漕いで三角点標石を探索してみたが徒労。ほどほどで諦める。
次いで大町市の鷹狩山の北にある「霊松寺山」へ。特に明瞭な登山道は見当たらなかったが、「乗越峠」から唐松の植林中に続く踏跡に踏み込んでみると、案外下草が低くて歩き易く、登行しばしで頂上らしい所に到達。頂上部には2つの盛り上がりがあるが、地図上三角点の表示があるのは西の峰。そちらに上がり、しばし三角点標石を探索したが、先刻の「たら原山」同様、何故か見当たらず。しかも、そのうち心配していた雨滴が遂に顔にぽつぽつ当たり始め… 幼少の長男を伴う状況では粘るに粘れず、心は残れど、やむなく三角点の探索は断念し下山。
もやもやした気分のまま、大町市街に下りて昼食を摂ったが、雨は時折霧雨程度に来るだけで本降りにならなかったので、帰りは八坂村方面に向かうついでに池田町の「大峰」にも立ち寄り、しばし山麓の俯瞰を楽しんでいく。後は八坂村の金熊温泉「明日香荘」で汗を流し、帰宅。
ちょっと寄道〜和田之城址
9/25、この日は午前、たまたま前夜に信州新町の女房の実家に泊まっていた次男と長女を迎えに行く所用あり。折しも今日は台風が日本に再接近するとあって、どうせ天候は悪くて山はダメだろうと半ば諦めていたのだが… 現実には曇り空ながら雨は降らずに案外もっているので、それなら、折角の時間の有効活用にと、次男と長女を引き取って帰る途中、ちょっと寄道して、これまで気になりながら、なかなか訪れる機会のなかった「城山」(和田之城址)に車を走らせてみようと思い立った。
早速、国道19号線から「鹿道」のあたりで分れて犀川を対岸に渡り、下中山集落の中に続く細い車道を上がっていくと、やがて和田之城址まで1,200mと記した標柱があって道は右に折れる。登り口は和田之城集落の神社の向かいに難なく見出せた。手前の空地に駐車し、短距離なので次男と長女も同伴するつもりで手を引いて歩き出したが、じきに結構な草薮に前途を阻まれ、こりゃ子供は止めておこうと思い直す。すぐに行ってくるから長女と一緒に大人しく車の中で待っているようにと次男に重々言い含め、デジカメ片手に草薮を蹴散らし、一気に本丸址へと駆け上がった。
三角点標石が埋設されている本丸址は、存外展望が良く、殊に信州新町の中心部から、その手前の牧野島城址あたりが一望の下。さすが昔の人は良い場所を選んで城砦を築いたものだと感心して下ったが… 車に戻ってみると、ズボンの膝から下がヌスビトハギだらけになっていた。
三角点標石探索〜霊松寺山
10/1、午後3時頃から、にわかに思い立って、大町市の霊松寺山に訪問。この山、実は先日(9/24)、既に長男と共に訪れているが、その時は残念ながら天候が思わしくなく、山上からの展望も楽しめなかった上に、頂上にあるはずの三角点標石も発見する暇のないままに下山してしまったため… 以後、どうも一抹の悔しさを紛らわせずにいたのだが、たまたま今日は午前中が子供の所要(幼稚園の運動会)、午後も女房外出のため留守番・子守で、こりゃ今日は山はダメかと半ば諦めていたところ、幸いにも3時頃に女房帰宅! されば、わずかながら残された時間の有効活用にと、この機会に先日の悔しさを晴らしてしまおうと思い立ち、慌ただしく私一人で自宅を車で飛び出す。
先日訪れたばかりなので、道に迷うことはなく、何とか午後4時ちょっと過ぎには登り口の「乗越峠」着。付近の空地に駐車し、直ちに頂上まで駆け上がって問題の三角点標石を探索。最初、唐松の植林主体の頂上部の中、さながら島のごとくに残されている小楢と赤松の林の中を目を皿のようにして探し回ったが、全く見当たらず、半ば途方に暮れかけたが、その林のやや北寄りの薄をかき分けたら、その中から、まるでマジックのごとく忽然と標石出現。かくて今日の一番の目的を達し、ほっとしたが… 皮肉なことに、そこは先日の訪問時にも、私はすぐ目と鼻の先のあたりを歩いていたはずだった(!)。まあ、何かと制約の多い山行を続けていると、時としてこんな二度手間もあるものだが、しかし改めて周囲を見回すと、曇り加減ながら、先日の訪問時には決して得られなかった展望が… それを拝めただけでも、今回は単なる二度手間ではなかったことを喜びつつ、下山。
知られざる好峰〜飯盛山と夕日山
10/2、山ノ内町の飯盛山と夕日山に訪問。実はほんの数日前に山ノ内町の観光マップを見ているうち、偶然「夕日山遊歩道」なる記載を見出したのがきっかけ。興味を惹かれて調べてみると、つい最近整備された遊歩道と判明、私もそれまで全く知らなかった。で、例によって是非訪れてみたくなり、今日早速訪問してみることにした次第。なお、天候がどうも今一つの模様だったため、今回は家族は同伴せず、私一人での山行。
中野市から山ノ内町夜間瀬方面に車を走らせると、山麓ですぐ「夕日山林内歩道」の標識を見出し、迷うことなく北信州森林組合の山ノ内支所付近の登山口へ。早速遊歩道に踏み込んでみると、この道、最近はやりのウッドチップ敷きで、整備状態が大変良く、歩き易くて感激。また、30分ほど登ったあたりに障害木を伐り払った「展望台」があり、南の中野市街地の俯瞰が良好で実に爽快。これは、当初の予想以上に良い雰囲気の山歩きになるかも知れないと、高まる期待と共に先へ進む。夕日山頂上付近には登山記念標柱があったが、円頂らしく周囲は樹木に囲まれ展望なし。道はさらに飯盛山方面に向けて延びており、わずか下って登り返す。結局、登行開始後1時間半弱で、三角点のある飯盛山頂上に到着。
と、そこで間近に大きく迫る高社山はじめ、竜王山、坊寺山、笠ケ岳等の山々の展望が一気にひらけた。何と明るく、開放的な頂上! 当初の予想を見事に裏切る素晴らしい雰囲気に、思わず快哉。これぞ知る人ぞ知る、マイナーな山が時として提供してくれる「嬉しい誤算」の一瞬! 折しも周囲には少々小雨がぱらつき出したが、そんなことなど最早気にもならなかった。私は一人嘆声を発しつつ、しばしその場の雰囲気を満喫した。
忙中閑あり〜長野市・高雄山
10/4頃から、私事ながら故あって、にわかに身辺多忙となり、週末は折角の3連休なのに、これは当分山になど行っている暇などあるまいと半ば諦めていたが… たまたま子供たちが女房の実家に泊まりに行き、翌日迎えに行くまでの間に、わずかだが空き時間ができた。されば、この貴重な時間を無駄にすまいと、子供たちを迎えに行く道の途中で寄道程度に立ち寄れそうな山はないかと、地形図上でにわかに物色した結果、長野市信更町田沢区にある「高雄山」という名の山が目にとまった。ごく短時間で登って来れそうな山なので、とにかく行ってみることに。
かくて翌日、早速、信更町の「大花見池」あたりに車を走らせ、池前から東にやや進んで田沢区の小田原集落に入った。と… 意外や、道脇に「高雄山ウォーキングコース入口まで2.2km」と記した標識と「カタクリの里」の案内看板を発見。当初の予想では、標識一つないマイナーな山かと思っていただけに、これは嬉しい誤算。付近にカタクリの群生地があることから、最近整備が進みつつあるらしいが、残念ながら今はカタクリの花期にあらず。それでも、とにかくどこでも登れさえすればいいやと割り切り、細い車道の終点の登山口から、時間を気にしつつ足早に頂上へ。
と… 頂上までの間、そこかしこに目についたトリカブトの鮮やかな青色の花々は、立派にカタクリの代役を果たしてくれていた。また、三角点のある頂上周辺は植林で展望はなかったが、折しも流れてきた霧が幽玄な雰囲気を創出してくれるなど、諸制約下で短時間ながら、割と満足度の高い山歩きの一時だった。
意外なほど寂峰〜南鷹狩山
先の高雄山に続いての、せめてもの「忙中閑」として、大町市の「南鷹狩山」に訪問。この3連休は、どうも天候不順のまま推移したが、幸い大崩れしたのは初日だけで、後は曇天の下ながら、今回のような、ごく短時間の里山登りには十分な空模様。とはいえ、最近とみに多忙な状況下、わずか数時間の限られた空き時間の中での特急登山。
国道19号を山清路で分れて八坂村方面に上がり、鷹狩山と南鷹狩山との間の鞍部へ乗りつける。そこから南鷹狩山へは距離的には短いが、地形図上は道の記載がなく、当初は薮漕ぎを覚悟していたが、付近を観察すると、草薮の中に小道が南鷹狩山側に延びているので、試みにその道に踏み込む。と… この道、しばらく進んで薄暗い樹林の中に入り、下草が取り払われると、急に林道みたいに広い道になったので驚いた。かつて林内作業車両通行用の道として開けられたが、その後寂れてこうなったのか? ともあれ、薮漕ぎ覚悟のところ、嬉しい誤算の案外良い道をたどり、南鷹狩山の東側の頂上直下へ。もっともその道、さすがに頂上は通過しておらず、そのうち下り始めたので、そのあたりでいよいよ道から外れ、右手の斜面に突入。それでも、林床の下草は思ったより低く、これまた嬉しい誤算で薮漕ぎにならないまま頂上着。
そこは三角点標石が埋設されている以外、山名標識すらない場所。周囲も樹林で展望もなく、隣の鷹狩山とはあまりに対照的な雰囲気に、私は少なからず意外な感を抱いた。観光地化した鷹狩山の代りに、南鷹狩山の方は意図的に自然を残したのだと考えるのは穿ち過ぎ?
これまた寂峰〜熊倉峰
天気は一週間単位で回るので、先週の三連休が今一つ天候不順だったことから、こりゃ下手をすると今度の週末も… などと悪い想像をしていると、大体現実となる。実際、土曜日は一日雨模様、日曜日も曇り加減で怪しい空模様ときた。が… このところ多忙で、どうも子供たちを外で遊ばせる機会が減っているので、折角だからどこか軽い山でも… とて、長男と次男を伴って家を出た。
とりあえず向かった先は、佐久市・下仁田町境の「内山峠」。ここには実は今年5月3日にも一度来ており、その際は長男を連れて荒船山に登ったが、今回はそれとは逆に北へ「熊倉峰」「物見岩」「物見山」あたりを散策してみようとの心積もり。特に熊倉峰は、荒船山と内山峠を隔てたすぐ向かいにありながら、私としてもなぜかこれまで登り残してきたものだが、最近の私の寂峰趣味に合致しそうな山ゆえ、実は内心楽しみではあった。
もっとも、この山、距離的には内山峠から1kmもない上に、道も存外良好に整備されていたので、子供同伴でも峠からほんの30分程度も登ったら、はや頂上に到着してしまった。然るに、頂上付近の雰囲気たるや… 笹の中に三角点標石が埋設され、傍らの樹幹に頂上を示すプレートが取り付けられている他には、特に記すべきこともなく、峠から近い割には存外人気のない地味な場所。登る途中の樹間からは、例の荒船山の「艫岩」や「京塚」の特徴的な山容が望まれるし、笹の中に続く道の雰囲気も良い割には、意外な静寂さだったが… それでも静かな分、誰に気兼ねもせず、子供たちと共に昼食のパンをかじる気分はなかなかのものであった。
霧の物見岩にて
本項の「物見岩」は、本来前項の熊倉峰の続きで訪れたものだが、便宜上前項とは別項とした。実際、先の熊倉峰とはうって変わって明るい雰囲気の上、子供たちの「軽業」に少々肝を冷やすことになったこともあり… 気分的にはまるで別の機会に登ったかのようであった。
「物見岩」とは言うが、この山の頂上自体は特に険しい岩上というわけでもなく、ごく普通に三角点標石が設置され、間近に内山牧場や物見山などが望める長閑な場所。ここがその名の通り「岩」らしいのは、むしろ三角点よりわずか南寄りの露岩のあたり。小規模ながら、それなりに迫力のある岩が、さながら衝立のごとく屹立している。私はその下を通りかかって、ちょっと上に登ってみたくなった。が、折悪しく長男と次男を伴っていたので、一瞬迷ったが… それでもやはり登ってみたい。で、子供たちに「パパはちょっとこの上に行って写真撮ってくる、すぐ戻るから、ここで待っていろ、いいな、絶対ついてきちゃいかんぞ」と重々言い含めた上、さっさと上に登ってデジカメのファインダーを覗いていたのだが…
ふと、何やら妙な気配を感じ、ファインダーから目を離して岩下に目をやると… 何と子供たちが2人して岩を上に攀じ登ってくるではないか! 驚いたが、状況が状況だけに下りろと怒鳴る訳にもいかず… 結局、見ているうちに2人とも私のいる岩上まで登ってきてしまった。
あれだけ言い含めたのに、案外親の言うことをきかない奴等だと思ったが、反面、我が子たちも結構岩登りがうまいもんだと嬉しくもあり、ここはあまり叱るのはやめた。ただ… 今度岩場のある山に子供たちを同伴する際には、ザイルを持参することにしようと思った次第。