山行記録帳(2005)B
〜Yamazaki's Photo Diary 2005,B〜


 【山行リスト】
 山形県・出羽三山の羽黒山  秋田県・乳頭山(烏帽子岳)  男鹿半島・寒風山ほか
 薄暮の山第4弾〜狢郷路山  上田市・小泉日向の城山を探訪  松本市・芥子望主山ほか
 「望月少年自然の家」にて  長野市・堀切山と清滝  飯田市・夏焼山と大平宿
 薄暮の山第5弾〜富士ノ塔山  上田市・摺鉢山と三ツ頭山  志賀高原・逢ノ峰
 夜間登山〜上田市の虚空蔵山  上田市・殿城山  大洞山に訪問  小式部城山に訪問
 松本市・埴原城址  信越トレイル・袴湿原と袴岳  白馬村・城山(塩島城址)と一夜山(飯森城址)


 山形県・出羽三山の羽黒山
 7/16、このところ毎年恒例となった夏季の家族での東北旅行の途中、山形県にある出羽三山の一峰・羽黒山に立ち寄っていく。
 この山、特別天然記念物の杉並木と、音に聞こえた長い石段道で有名だが、今回の場合、家族同伴の上に、女房の母親まで同行していたことから、そちらからの登拝は割愛し、頂上の「三神合祭殿」近くの駐車場まで有料道路を車で上がる最も安直なコースを選択。もっとも、最初のうちは、私のみ下りに件の杉並木石段道を下り、その間に家族には車で下に回ってもらって国宝の五重塔で合流する、という手を考えていたが、いざ行ってみれば、まだ梅雨の明け切らない季節のゆえか、はからずも驟雨に見舞われ… 泣く泣くそれも断念せざるを得ず。
 しかし… 三神合祭殿に参拝し、歴史博物館を観覧しているうちに、何とか雨が収まりそうな気配ゆえ、折角だからと車で杉並木の入口まで下り、国宝の五重塔だけでも往復してくることに。この五重塔、何でも東北最古というが、実際目にしてみれば、なるほど、その長年の星霜を経てきた風格たるや、格別のものあり。もっとも、我々が五重塔前に到着した頃、またまた雨勢が強まり、ほうほうの体で逃げ帰るハメとなったので、じっくり見物できなかったのが残念。なお、その五重塔までは、随神門から結構長い石段を下らないと行けないが、帰りにそれを雨に追われつつ汗だくで登り返したので、一応、件の長い石段の気分の片鱗だけは味わえたか(?)。





 秋田県・乳頭山(烏帽子岳)
 7/17、東北旅行の2日目、午前10時頃までの早朝の時間を活用し、秋田県の乳頭山(烏帽子岳)に訪問。実はこの山、私には、昨年訪れた秋田駒ケ岳から、その名の通りの岩峰の姿を望んで以来、是非一度訪れてみたいと思っていたものだ。たまたま宿を田沢湖畔にとっていたので、家族には自分が戻るまで湖畔で遊んでいてくれと言い含め、午前4時頃、一人で宿を発、5時、登山口の黒湯温泉から登行開始。
 しばらくは先達川に沿い、温泉地らしく硫化水素臭が漂う中を進行。対岸の噴気を眺めたり、砂防堰堤を乗り越えたりと、割と飽きない登り。そのうち沢を渡渉すると、次第に道は傾斜を強め、いつしか木階段の急登に。存外汗を搾られた末、足元にヨツバシオガマなどが目につき始めると、ようやく階段道も尽き、後はニッコウキスゲやミネウスユキソウなどが咲く緩やかな山稜に。そこは既に頂上まで1キロ弱、結構明るく気持ち良い道だが… 残念ながら周囲は霧に覆われ展望ゼロ。梅雨の明け切らぬ時季ゆえ仕方もないが、本当は昨年登った秋田駒ケ岳を望んでみたかった…
 登行開始後、約2時間半で、待望の頂上に到着。想像通りの豪快な岩峰だが、傍らの標識を見ると、亀裂があって危険なので崖に近づくなとのこと(!)、思わず下半身がゾクゾクするような気分を味わう。それでも、しばし付近の露岩に腰掛け待機したが、涼しかった代り、残念ながら霧は最後まで晴れず、8時少し前、ついに諦めて孫六温泉方面への道に下山開始。途中、通過した田代岱湿原付近では、可憐なトキソウはじめ、いくつかの山の花々が目についたほか、湿原自体も霧のおかげで、かえって神秘的で美しかった。午前9時半過ぎ、無事、登山口に帰着。







 男鹿半島・寒風山ほか
 7/17、上述の通り乳頭山に登頂後、私は午前10時頃に田沢湖畔の宿に戻り、慌しくシャワーを浴びて着換え、11時以降は家族旅行の運転手に変身し、男鹿半島方面に向かう。と… この男鹿半島観光の目的地の一つが「寒風山」という名の「山」だったおかげで、私は当初、家族から、自分の山登り趣味で目的地を選定したのだろうと嫌疑をかけられた(!)。もっとも、ガイドブック自体に、この山に登らなければ男鹿半島の魅力が半減するとか書いてあり、それを見せたら、何とか誤解は解消。無論、そんな山だから、頂上直下まで車で楽に行けることは言うまでもないが。
 ところが… いざ行ってみると、楽だった代りに同山の頂上周辺は霧に覆われ展望ゼロ(!)。それでも、頂上のレストランで食事を摂りつつ待機したが、霧は全く晴れる気配なし。やむなく、付近の草付きの中に、いくつか目につく山野草の花々を鑑賞したのみにて車に戻り、せめてもの埋め合わせに、「八望台」から有名なマールの「一ノ目潟」「二ノ目潟」を眺めていくことに。
 しばし西に車を走らせ、目的の「八望台」へ。しかし… ここでもなお霧はしつこく周囲にまとい付き、かろうじて「一ノ目潟」「二ノ目潟」は見渡せたものの、そう豪快な眺めとはいかず。で… 最終的には男鹿半島最西端近い「入道崎」まで下り、そこで海岸の景観を目にして、ようやくそれまでのモヤモヤした気分を晴らせた次第。しかし先刻の寒風山、海に近い低山のせいか、植生も海岸のそれに近かったので、この訪問のフィナーレが海岸であっても、特に違和感はなかった。山と海とが自然に渾然一体化しているあたりが、ここ男鹿半島の魅力なのかも知れない。






 薄暮の山第4弾〜狢郷路山
 7/19、例によって、仕事がひけた後のわずかな薄暮の時間を利用し、長野市近郊にある「狢郷路(むじなごうろ)山」という変わった山に訪問。
 この山、長野市街から国道406号を鬼無里方面へ向かうと、善光寺温泉への入口あたりの北側に見上げられる柱状節理の小岩峰だが、これまで案外、登攀を試みたことはなかった。が、茂菅集落あたりから県道戸隠線を上がり、「上ケ屋」バス停あたりから登れそうに見えたので、早速そこへ車を走らせて付近の道脇に駐車し、バス停の裏の薮をかきわけ、露岩もある急斜面を攀じ登った。踏み跡らしきものは一応あり。登ること10分ほどで、ともかく露岩の上の危ういピークの上に立つ。と… そのすぐ先に、さらに数m高い最高点の岩峰が間近に姿を見せた。登行ルートを観察すると、そのままリッジ伝いに行くしかないようで、頂点付近の岩には、いくつか残置ボルトが見られたが… 問題はその岩に亀裂が見られたことだ。それも一本や二本でなく、節理の向きに直角に切れ込んでいる。これでは、たとえザイルを携行していても、崩落が危険で登れたものではない。
 で… あっさり最高点への登攀は断念。もっとも、手前のピークでも十分展望は良いし、何より顕著な柱状節理の豪快な岩峰に最接近できるのだから、ここは鳳凰山のオベリスクとか金峰山の五丈岩の例のごとく、あまり最高点にこだわる必要もなさそうだが。
 バス停に戻ると、いつの間にか付近はバス待ちの中学生たちで賑わっていた。そこで私は、試みに彼等に狢郷路山への登路について聞いてみたが、「いやぁ… その山は、普通、登らないと思います」とのこと(!)。どうもこのへんでは、同山への登攀を試みること自体、変人の類らしい。






 上田市・小泉日向の城山を探訪
 7/23、上田市の「岩鼻」のやや西に聳える「城山」に訪問。例によって戦国時代の城址に由来する山名のようで、インターネット等で調べると「小泉城」という城に関係しているようだが、いざ頂上に到着しても、特に山城址の遺構らしきものは見あたらないので、どうも城が築かれたのは頂上ではなく、山腹か山麓の方らしい。いずれにせよ現在私の手元にある文献では詳細不明で、近日もっと確実なデータを調べる予定である。
 さて、今回、この山の登山口に選んだのは、上半過集落から「岩鼻」こと「千曲公園」へ登る道を行き、丁字路を千曲公園方面とは逆に右へ少々上がったところにある「No.130」の送電線鉄塔の巡視路の入口。このあたり、例によって茸山のようなので、道を外さないよう留意して登行。割と急な登りをしばし、No.130送電線鉄塔敷に達すると、途端に樹林の障害が取り払われ、眼下に上田平の雄大な俯瞰、またその周囲を取り囲む、この付近の好峰の数々〜太郎山、虚空蔵山、烏帽子岳、独鈷山、等の展望がひらける。草いきれに流れる汗も爽快な一瞬だ。さらに道はNo.129の鉄塔方面へと続き、また樹林の中をひとしきり登ると、やがて雑木の間に北の坂城町方面が時折良好に望める気持ちよい尾根道に。またまた爽快な気分を味わいつつ、登り口からの所要時間1時間半弱で、三角点のある頂上に到着。ここからは、今度は樹間に南の上田原あたりが俯瞰できる。あまり人の気配も感じない、静かで好感の持てる頂上だ。一人汗を拭う私の周りには、ノシメトンボ達が長閑に舞っていた…
 一見地味な山ながら、当初の予想以上に良い山。まだまだ信州には、このような知られざる好峰が数多く隠されているに違いない。







 松本市・芥子望主山ほか
 7/24、家族と共に、ノンビリ自然の中で憩いの刻を過ごそうと、松本市の芥子望主(けしぼうず)山付近の丘陵地帯の散策に出掛ける。
 県松本青年の家から少々東に入ったところに芥子望主山はある。頂上周辺は公園として整備され、立派な展望台まで建てられていて、「山」としては物足りないが、自然体験を兼ねた家族の憩いには格好の場所。そんな中にも、往時の名残の石造物がまとめられた一角があり、その周辺にはカワラナデシコなどが長閑に咲いていた。しばし付近を散策した後、これだけではやはり「山」として物足りないので、私は長男と次男を伴い、すぐ東の「田溝池」まで歩いてみることにする。女房には長女と一緒に車で池まで先行して待っていてもらうという手で、距離的にも1キロ弱、さして時間も要すまいと高をくくっていたが… いざ歩いてみたら、当初の思惑は見事に外れ、途中で道を間違えて、やや北の別の池の方に下ってしまった(!)。しかも、この時に限って飲料不持参の上、携帯電話を車に置き忘れるという失態までやらかしており(!)、結局、暑いアスファルト道を田溝池まで延々とたどって歩くハメに。おかげで長男・次男ともカラカラになり、一旦、岡田の街に車で下って水分補給。今後、重々気をつけなければ…
 しかし、まだ時間は十分。で、また性懲りもなく「アルプス公園」方面まで車で登り、そこから城山公園あたりまで先刻と同じ手で歩いてみることに。もっとも、先ほどのカラカラ事件で懲りたのか、今回は長男も次男も同行を渋り、私一人での散策。天候曇りで期待した北アルプスの展望は全然ダメだったが、アルプス展望広場から鳥居山、「犬飼山御嶽神社」を経て、難なく城山(犬甘城址)公園に達す。これにて本日の山歩き終了。







 「望月少年自然の家」にて
 7月下旬、昨年の同時期に引き続き、所用で佐久市(旧望月町)の蓼科山麓「望月少年自然の家」に訪れる機会があった。
 昨年同様「家」周辺の自然は相変わらず素晴らしく、所用の合間に目についた、それら自然の情景の中の一部を、参考までに御紹介しよう。(注:全部は紹介し切れないので、今回は思い切って蝶の画像のみにこだわってみることにした。なお、あくまで所用の片手間の、正味ではごく短時間の間でさえ、これだけの画像をゲットできたのだという点、まずもって御留意いただきたく思う。)
 訪問中は特に「登山」という活動があったわけではないが、私にはそんなことなど全く問題ではないほどに、充実度の高い時間を過ごすことができた。そも、自身は何ゆえに山に登り続けてきているのか… その理由を今更ながら再認識できた、貴重な機会でもあった次第。
 然るに現在、かように教材の宝庫たる山の自然にロクに目をくれようともせず、ただ登ることのみしか目的としない人達のいかに多いことか…
 「望月少年自然の家」は、そんな風潮に一石を投じ、地域教育力の向上に資する素晴らしい研修施設であると思う。まして今日のような世相の下であればこそ、長野県にとっても、また日本にとっても、今、最も必要とされている施設の一つであると確信する。
 もし、縁あって本文を目にされ、興味を抱かれた方には、機会があれば是非一度、本施設を利用してみてほしいと願ってやまないものである。







 長野市・堀切山と清滝
 8/3、この日は平日だが、夏季らしく休暇。もっとも午前中は所用あり、午後の時間有効活用にと、長野市内にある「堀切山」への探訪をにわかに思いつく。この山、同じく長野市内にある奇妙山と保基谷岳を結ぶ線のほぼ中間あたりに位置する三角点峰で、山名にも興味が惹かれ、実は私としては、これまで少なからず気になっていた山なのだが、これまで案外未訪のまま残されていたもの。然らば、折角思いついた今日の機会に… とて、早速、松代町の東条あたりから奇妙山の南山腹を巻いて保基谷岳の北の肩に至る、細くてダートな林道を強引に車でさかのぼった。
 もっとも、ロクに人の訪れないような山ゆえ、まずもって登山口を見出すのに一苦労。結果、試みに幾つものピークを踏んだ末、ようやく本来の三角点ピークに達することができた次第。まず最初に見当をつけて登ったピークは、三角点より南の1,282mピーク。先の道が不分明ゆえ、一旦林道に戻り、そのすぐ北の1,250mピークに取り付くと、今度は稜線上に意外なほど明瞭な道を見出す。1,250mピークの頂上から、道はぐんぐん北に下る。もっとも、目指す堀切山の標高は1,157mなので、下ることは判っていたが、当初の想像よりも深く下っているような気がして、若干不安をおぼえた頃、急に眼前に奇岩が現れると、道はようやく切り通しのような鞍部を突っ切って登り返し、1,150mピーク経由で首尾良く頂上に到達。頂上のすぐ北に山林作業用の索道が張られていたほかは、ほとんど人の気配もない、原始色濃い静寂な頂上の雰囲気をしばし味わう。
 なお、帰途、折角だからと奇妙山麓の「清滝」に参拝。間断なく落下する滝の水飛沫の清涼さは、先刻の山歩きの暑さを癒すに十分だった。







 飯田市・夏焼山と大平宿
 8/4、昨日に引き続き、休暇の一日を利用し、家族と共に飯田市の大平峠付近に憩いの刻を過ごしに訪れた。
 飯田市街地から長い車道をたどり、まずは「大平峠県民の森」へ。管理棟近くに駐車、家族にはしばしこの近辺で遊んでいてもらい、その間に私のみ「夏焼山三角点」に挨拶してくることに。県民の森というだけあって、結構よく整備された登山道をたどり、「馬の背」なる稜線伝いに頂上を目指す。時季的に山野草の花々はピークを過ぎてしまったようだが、それでもヤマアジサイなどが目に付く道は大変明るく爽快。また、周囲には何種類かの美しい蝶が舞い競い、殊にあまり見かけないキベリタテハの鮮やかさは大いに目を惹く。
 登ること30分余りで、目指す三角点に到達。そこで一気に展望がひらけた。第一の見物は何といっても、眼前に大きく迫る南木曽岳の雄姿! 以前そこに登った際の思い出が、さながら走馬灯のごとく脳裡を駆け巡る。また目を正反対の方向に転ずると、これまた以前登った兀岳が立派。意外なほどの明るさと展望の良さ、然るにそんな雰囲気には似つかわしくないほどの静寂さ。それは、多くの人がこの付近を「県民の森」と認識していても、そこに夏焼山という「山」が存在することを知らないためだろう。もっとも… そんな状況こそ我々「山登り」にはむしろ好ましいのであるが。
 下山後は、すぐ近くにある旧大平街道の大平宿を散策。とても深い山の中の集落とは思えない昔ながらの街並みの立派さに、しばし異界に迷い込んだかのような刻を家族と共に過ごした。







 薄暮の山第5弾〜富士ノ塔山
 8/5、この日は勤務日だったが、日中の余りの暑さに耐えかね、またまた、仕事がひけた後のわずかな薄暮の時間を利用し、長野市近郊にある「富士ノ塔山」に訪問。この手の山登りとしては今年5度目になるが、しかし最初に老ノ倉山に訪れた6月中旬の頃に比べれば、いつの間にか大分日が短くなった。そろそろ、こんなパターンの山登りも限界で、以後あえて行うとすれば必然的に夜間登山となりそうだ。
 もっとも、この山は長野市街地のすぐ西にあり、車道が頂上直下まで通じているので、そこまで車で上がれば、後は頂上までほんの5分もあれば登れてしまう手軽な山。それゆえ、日が短くなっても、まだ十分明るさの残っているうちに頂上に立てた。頂上には素朴な神社が祀られており、まずはそれに参拝。周囲の空気には霞がかかって視界は今ひとつ良くなかったが、そこまで上がっただけでも、下界の暑さに比べれば大分涼しく、一応は狙い通りの刻をしばし過ごすことができた。19時少し前、下山。






 上田市・摺鉢山と三ツ頭山
 8/6、上田市の上室賀にある「摺鉢山」と「三ツ頭山」という、ちょっと気になる名の山々に訪問。これらの山々は、実は先日(7/23)、同じ上田市の小泉日向の城山に訪問した後、付近の地形図を検討しているうちに偶然目にとまったもので、ガイドの類の事前情報は皆無に近い山々だが、信州の知られざる好峰を発掘していきたいとの思いから、真夏の低山という条件をものともせず、今回訪問することに。
 上田市街地から青木村方面へと向かう国道143号を小泉で右に折れ、「室賀温泉ささらの湯」のすぐ先の「室賀つつじ平マレットゴルフ場」への林道を行く。マレットゴルフ場に突き当たった所で二分する道を左へ進み、やがて道が大きく右にカーブする地点で、左に山林作業車なら十分入れそうなくらい広い道が分れているのを見出す。このあたりが両山の登り口だろうと見当をつけ、まずはその広い道から摺鉢山を目指す。
 当初は案外良い道が続いたが、841mピークを乗り越えた先の850mピークとの鞍部あたりで葛の密生に前途を阻まれ、その突破に少々苦労。850mピークを乗り越え、最後の登りにかかると踏み跡不分明となったが、後はもうただ高い方を目指し登るのみ、結構な急傾斜を突破し登頂。
 頂上は樹林に囲まれ展望ゼロ、「地理調」と彫られた三角点標石があるだけの地味な場所だったが、すぐ北の直下には、一目でそれと判る顕著な堀切があり、ここもまた戦国時代の山城址だったことを確認(帰宅後、インターネット等で調べたら「伊勢崎城」という名の山城があったらしい)。
 一旦、駐車場所に戻り、次いで逆方向に登り返して三ツ頭山へ。が… こちらは三角点すらない、なお地味で印象薄い頂上。長居せず、下山。







 志賀高原・逢ノ峰
 8/7、ここ数日の異常な暑さから、せめて短時間でも逃れるべく、家族と共に志賀高原をドライブ。とにかく車を山上に走らせ、いつの間にか白根火山の駐車場へ。今や観光地の白根山も、子供同伴なら、たまには訪れてみてもいいだろう、などと漠然と考えて来てみたのだったが… いざ駐車して「湯釜」の展望台へと続く無数の観光客の群れを目のあたりにし、愕然とした。何だ、あれは! まるでラッシュアワーの山手線のホームのごとし。いっぺんに行く気が失せてしまった。
 まぁ、今は夏休みシーズン、やむを得まい、場所を変えるか… などと考えつつ、頭を巡らしたその時、白根火山と道を隔てた反対側に、こじんまりとはしているが、ちょっと気を惹くピークが目にとまった。逢ノ峰だ。そういえば… よくよく考えてみると、私はこれまで、湯釜や本白根山の方にばかり気を取られていて、逢ノ峰にはこれまで訪れてみたことがなかった。しかもそこは、すぐ近くの白根火山の大混雑ぶりとは全く対照的に人影もまばら。よし、ここに訪れてみようと決め、長男と次男を伴って早速登り始めた(注:女房には車中で寝てしまった長女の付き添いで残ってもらった)。
 途中の木階段は、一部ハードル化している所もあり、小さい子供たちは乗り越えに多少難儀したようだが、それでもほんの20分ほどで、大きい東屋のある頂上に到着。それまでの間の道は、白根火山や弓池などを眺めながら行く、結構爽快なコース。周囲の空気も狙い通り下界よりは格段に涼しく、すっかり心身が癒されたような気分を味わうことができた次第。何やら「灯台下暗し」的な感慨をおぼえつつ、下山。






 夜間登山〜上田市の虚空蔵山
 8/9、例によって仕事がひけた後、何とはなしに山に登ってみたくなり… 特に目標も定めないままに、上田市方面に車を走らせた。
 走行しながら… どこに行こうか、あれこれ考えた末に頭に浮かんだのは、上田市神科にある「虚空蔵山」。この山、上信越自動車道を小諸から上田に向けて走る際、上田菅平IC手前の「上田ローマン橋」にかかると、すぐ鼻先に見える里山だが、ここは実は「伊勢崎城」という山城の址でもあり、私としても、かねて気になっていた所。ここなら上田市の夜景を存分に眺められるのではないかと思い、早速、その麓に車を走らせた。
 登り口を探して走り回っているうち、神科側から上信越自動車道を渡ってすぐの所から、右にコンクリート舗装の細い道が上がっているのを発見。標識はないが、明らかに虚空蔵山方面に上がっているので、とりあえず発光ダイオードのヘッドランプを手にして、そこを登ってみることに。すると、ひとまず登り切ったへんで、狙い通り左手に延びる山道あり。してやったりと、その道を進み、暗闇の中で石祠に一礼したりしつつ、最後わずかに急登を乗り越えると、意外なほどあっけなく、頂上の三角点標石を見出した。然るにそこは樹林に囲まれ、残念ながら夜景を存分に楽しむような場所ではなし。南無三! が、かくも里に近い山城址なのにもかかわらず、案外歴史解説の看板の類すら見当たらなかったから、こりゃ昼に登っても、大して変わるまいと思い直した。で… 夜景はかろうじて下山時に樹間から眺め、一汗かいた頃合、無事、車に戻る。






 上田市・殿城山
 8/14、上田市の殿城山を踏査。この山、たまたま先日登った虚空蔵山(伊勢崎城址)について調べるため、付近の地形図を見ていたところ、虚空蔵山の東に偶然目についたもの。私の最近の山行テーマである山城址の山という観点から、当然のごとく山名に惹かれるものあり… かくて今回の訪問と相なった次第。最近どうも、こんな知られざる山を探訪する面白さに、すっかり嵌ってしまった。
 とはいえ、この山、頂上にマイクロウェーブの反射板があるということ以外、登山ルートなど事前情報の類はほとんどない。そのため、とりあえず北の真田町側から車を走らせ、アプローチに適当そうな林道をいくつか物色の末、最終的に南西山麓の岩清水集落あたりから入る結構ダートな林道に乗り入れ、登り口を探索。と… 道が上り切って少し下り、左にカーブする地点で、踏み跡が林中に続いているのを見出したので、よし、ここだと見当をつけ、早速登り出した。ところが… ブロック状の火山岩が堆積するガレ場を強引に突破した先は、案に相違し鬱陶しい薮の連続。足元を見ると、一応踏み跡らしきものが入り乱れて上方へと延びてはいるのだが、それらの中には少なからず獣道の類も混じっているようだ。
 それでも、適当に登り易そうな方向に少しずつ登って行くと、何とか道は開け、やがて首尾よく例のマイクロウェーブ反射板の脇に飛び出て一安心。三角点標石は、その裏手にひっそりと埋設されていた。マイナーな山の常で、周囲は樹林に囲まれ展望ゼロながら、その分静寂な林中に、アサギマダラなどがゆったりと飛翔している雰囲気たるや、とても人里近い山とは思えず… 一種「木霊」的な神気すら感じた一時であった。






 大洞山に訪問
 8/16、長野市・須坂市境の大洞山(おおぼらやま)に訪問。この日は夏期休暇だったが、午前中が「送り盆」等の所用でつぶれ、午後のみの空き時間だったため、近所かつ未訪の山ということで、にわかに選定した山だったが… これが存外良い山で、思いがけない収穫となった。
 登山口は長野市の山新田集落から林道を上がった「八丁峠」。ここは妙徳山の登山口でもあるが、今回登るのは林道を隔てた妙徳山とは正反対の道。送電線鉄塔「No.14」の巡視路を兼ねた道だが、一歩踏み出してみて、これは、いつもの知られざる里山とは違うと思った。道の整備状態が滅法良いのだ。おかしいな、いくら送電線巡視路を兼ねていても、これまでの経験からして、ここまで良く踏まれた道とは…? と訝りつつも、ともかく急登を一気に乗り越え、後は平坦な山稜をたどって頂上へ。もっともこの山、事前に地形図を見た限りでは、すぐ北に位置する井上山と違って三角点もないし、おそらくは頂上に到達しても標識もないだろうから、自分自身で周囲の地形から頂上を判定するしかあるまいと思っていたのだが…
 いざ、頂上に到着してみて、私はそれまでの予想が全くの誤りであったこと、そして、道が存外良く踏まれていた訳を、たちまちにして理解した。何と、そこには山麓の小学校(須坂市立高甫小学校)の学校登山の記念プレートが、山名標示と共に、いくつも取り付けられているではないか!
 この山、地形図には847mの標高標示を除き、山名標示も道の記載もない。にも拘らず…(!) 事前情報僅少、登ってびっくり、これこそ実に里山の面白いところ。樹林に遮られ展望今一つながら、地元の人々のこの山への愛着を身にしみて感じた嬉しい頂上での一時だった。






 小式部城山に訪問
 8/19、平日だが最後の夏季休暇を利用して、箕輪町・辰野町境の「小式部城山」に訪問。
 伊北ICで高速を下り、右折して塩尻方面へ少し走り、最初の交差点を右折して東の北小河内集落へ。そのまま直進して「竹の腰マレットゴルフ場」への細道に入り、事前に地形図で見当をつけた通り、小式部城山方面への林道へ。ところが… この林道、当初の予想よりも、細く急でダート。軽の四輪駆動車ならともかく、普通のFF車では限界があった。それでも、道はこの林道伝いに行けば、やがて頂上の東直下の鞍部に達する。
 と… そこで意外や、山麓の北小河内区で設置した立派な案内看板を見出した。それによれば、この城、戦国時代に甲斐の武田氏の侵攻に備えた小笠原氏の狼煙台として利用されたとのこと。また、さらに意外だったのは、この山、「コシキブジョウヤマ」というものと思っていたが、案内看板には「コシキガジョウヤマ」とあったこと。最初誤植かと思ったが、帰宅後に調べた三省堂『日本山名事典』も同様の読み方になっているし、またこの山の頂上の記念碑に「小式ケ城山」と刻印されていることなどから、いつの間にか「ケ」が「部」に入れ替わったものと思われる。
 案内看板の脇からは、しっかり整備され道が頂上まで続いており、全く心配なし。一般にはマイナーな山だけに、下手をすると林道から上は薮漕ぎも覚悟して来ただけに、これは嬉しい誤算。頂上には三角点標石の他、記念碑や「樋口區」と彫られた石柱などがあり、また往時の土塁とおぼしき盛り上がりがみられた。さらに樹間からは、西から南にかけての山麓がよく俯瞰され、爽快だった。






 松本市・埴原城址
 8/19、小式部城山に登った後、私は車を松本市方面へと走らせていった。国道19号線沿いの渋滞を嫌い、塩尻から「東山山麓線」に入って北上中、中山に近い町村集落のへんで、ふと右の道脇に「埴原城入口」と刻まれた標石を見出した。付近に駐車して、文字の消えかかった案内板の説明を読むと、何でもこの城、戦国時代に甲斐の武田氏の侵攻に対峙した小笠原氏の重要拠点で、天文19年に陥落したとのこと。そういえば、先刻訪れた小式部城山も、同じ小笠原氏の狼煙台だった。これは、案外何かの縁かも知れないと思い、にわかにここに訪問することを決意。
 もっとも、登山道入口には駐車スペースはほとんどなく、道が細くなり車が行き止まった所で、何とかバックで細まった道の間に車体を押し込み駐車、そこから徒歩で主郭址を目指す。最初は草ぼうぼうの道で、先が思いやられたが、樹林の中に入ると良く整備された道となり一安心。高度が上がるに従い、山城特有の郭や堀切が目につくようになるが、当初予想しなかったほどの規模の雄大さに驚かされる。さすがは長野県史跡に指定された山城址だけのことはある。
 登山口から30〜40分で、石垣も構築されている主郭址らしき所に到達。そこに金属製の案内看板があったが、なぜか看板の表面には文字が一切なく詳細不明。やむなく付近を跋渉すると、何段かの広い郭の先に、ひときわ高い土塁があり、その先は気が遠くなるほど深い堀切となっていた。この土塁は地図上も明瞭に判別できるほどの規模を誇り、この山城址を「山」として考える場合、一応ここを最高点とみなしてよさそうだ。






 信越トレイル・袴湿原と袴岳
 8/21、長野・新潟両県境上に位置する袴岳に訪問。この山、斑尾高原の西の「万坂峠」の北西に位置する、ちょっと気になる山だが、一般にはすぐ南東に位置する斑尾山の陰に隠れて、あまり知名度は高くない。然るに最近「信越トレイル」といって、長野・新潟両県境上の山々を結ぶ道の整備が進んでおり、その一環で袴岳に通じる道も大分良く整備されたという話を聞いたことから、この際訪問してみることに。
 ただ、今日は午後に所用があり、午前中のみの特急登山。万坂峠の登山口から登り出す。道は予想以上に良く整備され、子供同伴でも安全に歩けそうなくらいで、全く心配なし。樹林中の登りをしばしで「袴湿原」という小規模な湿原を木道で通過。明るく気持ちよい雰囲気だが、時季のせいか花は少なく残念。袴岳へは、湿原を通過した少し先で、標識に導かれて左に折れる。それから頂上までの道は、豪雪地帯特有の見事なブナ林の中を、2度ほどのアップダウンを経て続く、やや単調な道ながら、周囲には蝶や蜻蛉が舞い競い、このあたりの自然の豊かさを身にしみて感じる。特にヒメキマダラヒカゲは、羽を開けば一見ヒョウモンチョウと見紛うほど意外な美しさを有する上、私もこれまであまり見たことがなく、珍しかった。
 登行開始後、約1時間半で、待望の頂上に到着。そこでは、これまた意外や、西側の樹木の障害が取り除かれ、妙高山、黒姫山、飯縄山など、北信五岳の面々の展望がひらけ、思わず快哉。事前の予想では、頂上は樹林の中だろうと思ってきただけに嬉しい誤算。限られた時間内での慌ただしい訪問ながら、その間の道の予想以上の整備の良さに驚嘆。また、別の「信越トレイル」もたどってみようと思いつつ、下山。







 白馬村・城山(塩島城址)と一夜山(飯森城址)
 8/22、白馬村にある、2つの戦国時代の山城址の山に、たまたま思い立って訪問。前夜、私は最後の夏季休暇を利用して、家族サービスに白馬山麓の保養施設で静養の時を過ごしており、今日は晴れたら家族で軽いハイキングでもと考えていたが、無情にも現地は朝から雨。それでも、折角の休暇を有効活用したいという思いから、付近の標高的に低く所要時間的にも短かそうな山をにわかに物色した結果、標記の山々が候補に挙がり… かくて、両山ともほとんど手ぶらのまま、傘をさして訪れてみたものである。
 まずは、信濃森上駅のすぐ東にある城山(塩島城址)。家族には悪いが少し車で待っていてもらい、現地の案内板を参考に、神社(八幡宮)のある登り口から8の字の周回コースをとり歩いてみた。道は良く整備され、雨天下でも特に歩行は苦にならないほど。適当な間隔をおいてベンチも設置され、ポイントによっては山麓の展望も良く、晴れていれば、さぞかし良き憩いの場であろう。
 次いでは飯森集落のすぐ西にある目立たない山、一夜山。こちらは先の塩島城址と違い、道は山稜上をほぼ一直線に縦断しているので、家族には車で下山地点に先行し待っていてもらう手を用いた。ちなみにこの山、戸隠連峰の南の外れの山と同名だが、名の由来は大分違い、戦国時代に飯森城という山城があったが、甲斐の武田氏の侵攻時、一夜にして陥落したという不名誉な事実によるという。ちなみに先の塩島城も、同時期に武田氏によって陥落しており… 別に意図したわけではないが、はからずも涙雨の下、2つの似た歴史を有する山城址に訪問した形。そのせいでもなかろうが、両山とも相応に風情あふれる好山で、天候と所要時間の割には充実度の高い山歩きの一時となった。