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【山行リスト】
2005年初登り〜西上州・赤久縄山ほか
「平出遺跡」近くの比叡ノ山に寄り道
短時間ながら見所多し〜金井山訪問
頼朝山と葛山訪問
陽だまりの戸石城址ほか
我が子と手軽な里山3所訪問
高岩と稲村山
山梨県・三ツ峠山から富士山を望む
中野市・箱山と鴨ケ嶽
須坂市・臥龍山散策
手軽な北アルプス展望台巡り
長閑な春の里山散策〜冠着山と聖山
葛尾山(葛尾城址)に訪問
好展望と素朴さを満喫〜荒船山周遊
5月5日は子供を山へ〜烏帽子岳
2005年初登り〜西上州・赤久縄山ほか
1/10、2005年の我が「初登り」は、西上州の赤久縄山への訪問で開幕。例年だと、元旦に初詣を兼ねて冠着山に訪問するところ、昨年末からの予想外の大雪のため、今年は同山行を中止、はからずも今日が本年初登山となったのだが… 当初は家族全員で登る予定のところ、例の大雪ゆえに、通常雪の少ない西上州をして赤久縄山直下では私の膝近くまで潜る積雪、やむなく家族は車に待たせておき、私一人での訪問に変更。当然、今度ばかりは「山」も子供たちの教育上何の役にも立たず、この点どうも目的地選定時点からして失敗だったようだ。
ただ、天候は快晴で展望も良好、私(だけ)にとっては大変良い雰囲気の中での山行の幕開けとはなった。まず目についたのが、雪上に印された顕著な獣道。明らかに大小複数の野生動物が歩いた痕跡が残されており興味深し。樹間から射し込む陽光の中、私も「動物」と化して新雪に初の足跡を印しつつ、明るい頂上に躍り出た。そこからは、樹間に昨年登った御荷鉾山が間近に望まれ懐かしかった。
なお、この日は折角訪れたのだからと、ついでに近所にある「オドケ山」という変わった名の山にも併せ訪問。山名の由来はよく判らないが、頂上直下の林道から見上げるこの山の姿は、一目見て思わずはっとするほど端正な姿で、この点実際に「オドケ」た次第。案外、これが山名の由来か?とさえ思えるくらい。頂上は粗い樹林に囲まれ、石祠が2基安置されているだけの地味な場所ながら、こちらは積雪も少なく、樹林越しに先刻登ったばかりの赤久縄山などの展望の良い、静寂で落ち着いた私好みの雰囲気の頂だった。
「平出遺跡」近くの比叡ノ山に寄り道
2/20、塩尻市の「平出遺跡」にほど近い小丘「比叡ノ山」に、腐り雪を踏みしめ、5歳の長男と共に訪問。この日は、たまたま家族の所要で同方面に車を走らせており、午前中は曇り加減で時折小雪も舞うような不順な天候だったが、昼食後あたりから少々晴れ間も見えてきたので、にわかにこの山への訪問を思いつき、ちょっと時間をもらって頂上に挨拶してくることに。
平出遺跡の考古博物館の駐車場に駐車し、家族の同行者を募ったところ、手を上げたのは長男のみ。それでも、きわめて短時間とはいえ雪の中を行くことになるので、まあ今回はあえて他の者には同行を強制せず、長男には長靴の中に雪を入れないよう、私の後ろのトレールに従って来いと命じて、緩傾斜の樹林の中をゆっくり登っていった。
積雪は想像したよりは浅く、せいぜい足首程度だったが、それでも少々誤算だったのは、長男の小さい長靴の中には、しばしば雪が侵入するらしく、また、前夜樹上に降り積もったらしい雪が、折からの陽射しを浴びて融け、さながら雨のごとく頭上から降り注いできたことで… これには最初のうち元気よかった長男も、次第に服が湿ってきて鬱陶しいせいか、頂上に到着した頃には私の顔を睨んで苦情ばかり並べ立てたので閉口した。もっとも、私自身、しまった、傘を持ってくるんだったと内心後悔していたので… 頂上にはさして長居はせず、そこに祀られている小祠に長男と共に参拝すると、早々に駐車場所へと舞い戻った。
短時間ながら見所多し〜金井山訪問
2/20、上記の比叡ノ山への訪問後、家族の用事を済ませて高速道経由で長野市に向かったところ… 案外こちらは先刻の塩尻市あたりとは打って変わって、風は冷たいものの特に雪の気配もなく、周囲には明るい陽光が降り注いでいた。そのせいか、後少しで長野ICだという時、たまたま前方に目についた特徴的な崖のある山〜金井山〜へ、にわかに挨拶して来たくなった。で… 家族には悪いが、しばし車中で待っていてもらい、私一人で早急に頂上を往復してくることに。
「金井池」の脇に車を乗りつけ、登り口の小祠に一礼すると、私は遊歩道を一気に駆け上がっていった。行くみちみち、剣を刻印した石碑や、岩の割目の間に祭られた石祠、善光寺平の眺めが良い展望台、東郷元帥の筆になる忠魂碑などを見つつ、「不動心」こと金井山不動尊の前に至る。結構立派な拝殿の奥には素朴かつ見事な不動明王石造があり、自然、頭を垂れる。遊歩道はそのやや上の「金井山平和観世音」の大きい石像のすぐ先で終わっていたが、最高点はまだその先。また、踏跡をたどって先に進むと、意外や、何の案内もないのに、はっきりそれと判る円形の古墳に出食わす。大室古墳群の一部のようだ。さらに進む途上に次々と現れる露岩は独特の割目模様をなし、思わず目を惹かれる。この山の近辺から産出する石は「柴石」と呼ばれ石材として珍重されてきたというが、なるほどその自然の造形の妙たるや、興味は尽きぬものがある。
やがて達した最高点は、特に何の変哲もない、樹林の中の狭い場所だったとはいえ… 短時間ながら見所多い、愛すべき里山だ。
頼朝山と葛山訪問
2/26、長野市の北西に位置する里山である、頼朝山と葛山に訪問。ルートはいくつかあるが、今回は「頼朝山遊歩道」のコースを採用。素朴な観音様がいくつも路傍に安置されている道をノンビリ登り、静松寺方面への分岐を経て、まずは眼前の頼朝山へ。
頼朝山は標高わずか638mながら、長野市街の好展望台。頂上の説明板によれば、かつては「八幡宮」の社殿があったというが、昭和13年に火災で焼失したとかで、今では石祠が祀られている。また、山麓の静松寺の鎮守社でもあるだけあって、樹間からはその静松寺をよく俯瞰できる。
しばし周囲の雰囲気を楽しむと、さらに戦国時代の山城址である葛山へ。と、さすがにそのあたりから若干積雪も多くなったが、それでも所要時間的には無雪期とさして変わりなく、頼朝山から40分〜50分で、いかにも山城の本丸址らしく広い平地をなす頂上に到着。
頂上からの展望は、先刻の頼朝山以上に良かったが、気分的には少なからず厳粛なものを禁じ得ず。というのは、ここは単なる山城址にとどまらず、武田・上杉による一連の川中島の戦いの過程において、悲惨な落城の歴史を有する実戦場であり、しかも頂上の説明板を見たら、落城したのは旧暦の2月(現在の3月)半ばと、ちょうど今頃のことであることが知れたからだ。
小雪が舞い始めたのを機に、私はそこを辞し、帰りは麓の頼朝山静松寺への道をとって同寺に参拝。そこは、その名からも想像つく通り、源頼朝が善光寺参詣時に寄進した寺で、かつ葛山城落城時に戦死した上杉方の武将・落合備中守以下城兵たちの霊を弔う場所でもある。私は、身近な里山にして、かくも豊かな歴史性に接してきた今日の山歩きの余韻をかみしめつつ、本堂前に一礼した。
陽だまりの戸石城址ほか
3/6、春の気配を感じられる柔らかい陽光の降り注ぐ天候の下、ちょっと山の気分を… とて、上田市の戸石城址に家族と共に訪問。
この城址は、天文19年に甲斐の武田晴信(後の信玄)が攻城に失敗し、総崩れで敗走したという、いわゆる「武田の戸石崩れ」で有名。山城址としては結構な規模を有し、南から「米山城」「戸石城」「本城」「桝形城」と連なり、これらが総体として「戸石(砥石)城」と呼ばれている。最高点は最北の「桝形城」だが、本丸址は「本城」、三角点は「戸石城」にあり、最も低い「米山城」には村上義清の碑や石仏、立派な東屋などがあって憩うのには最適の場所、と、4つの主要城郭がそれぞれ明瞭な個性により区分され、行程的にも結構変化に富んでいるのが嬉しい所。
我々は、山麓の「伊勢山」集落から、なだらかな尾根道をたどって「米山城」と「戸石城」間の鞍部に出て、まずは右に「戸石城」へ。そこから家族はゆっくり元来た道を引き返させ、私のみ「本城」経由「桝形城」までを往復。「桝形城」は最高点だけに展望も素晴らしく、特に北東方に四阿山や、また東方に烏帽子岳などの展望が良好。帰りには「米山城」にも立ち寄った上、登山口まで戻って家族と合流した。
なお、この日はあまり天気が良かったので、余り時間を利用し、ついでに小諸市の「飯綱山」にも訪問。ここもまた山城址(「富士見城」址)だが、こちらの場合は「小諸高原美術館」の駐車場からほんの5分程度で本丸址に達してしまうという手軽さ。しかし北東に聳え立つ浅間山の姿は、白く雪化粧した山肌と火口から立ち昇る白煙とが、晴天の青空の下に鮮やかに映えて、ゾッとするほど美しく、一見の価値は大いにあった。
我が子と手軽な里山3所訪問
3/13、長男・次男と共に、どこかで軽い山登り気分を楽しもうと、どこ行くあてもなく、適当に上田・小諸方面へ車を走らせる。
と… いつしか入り込んだ上田市から丸子町方面への山道の途中で「小牧城跡登山口」との標識を見出す。初めて聞く城名だが、ものは試しと早速訪問。徒歩ごくわずかで、三角点のある場所に達したが、意外、案内板ひとつない地味な場所。折角だから一応子供達を座らせ、水やお菓子を出して、しばし憩ったが、さして長居に適した場所でもなかったゆえ、じき撤収。
上田市街に下りると今度は、行く手に「岩鼻」という、文字通り鼻のような形の妙な岩山が目につく。この頂上は「千曲公園」という園地で、そこまで車で登れてしまうが、子供達と憩いの時を過ごす分には適当だろうと、早速訪問。「鼻」の突端付近からの展望はきわめて良好ながら、周囲には身を切るような寒風が吹き抜け、コンディション不良。で、久々にポケットガスコンロとコッフェルを取り出し、お湯を沸かしてカップラーメンをこしらえ暖をとろうと試みたが、風は一向に収まらず、身体も期待したほどには温まらず… 結局、ほどなくして車の中に避難するハメに。
それから長野方面に向けて走っていったが、途中、上山田温泉の辺で城山(荒砥城址)への登山口を見出し… まだ時間もあるし、ついでにそこにも立ち寄ることに。ここは、城址公園として良く整備され、山というより城のイメージが強いが、その分子供達の遊びには格好のフィールド。今度は風も大したことなく、また千曲川を隔てた五里ケ峰などの展望も素晴らしく、夕刻近い陽光が今日最高の良き情景に彩りを添えていた。
高岩と稲村山
3/20、軽井沢にほど近い、高岩と稲村山に訪問。この3/19〜21の3連休は、幸か不幸か女房が中盤から墓参等で子供を連れて実家に行ったので、久々に私一人で、若干レベルの高い山に行ける得難い機会。女房を送り出してから、直ちに車で家を飛び出し、上信越自動車道を南下。
と、碓氷軽井沢ICあたりで前面に威圧的に聳える岩峰「高岩」が目にとまり… 結構怖そうだが、参考までに行ける所まで行ってみようと決意、ICで高速を下りて登山口に乗りつけ、早速登行開始。途中、まともに杉林を突っ切ったため、花粉症でクシャミを連発しつつ、巨岩の下に祀られた「御嶽大権現」の小祠に頭を垂れ、さらに急傾斜だが比較的安全なルートを、「雄岳」と「雌岳」の間の鞍部まで登りつめた。
問題はここから先で… 私は遅まきながら、ここが聞きしに勝る結構猛烈な岩峰であることを明瞭に自覚した。しかも「雄岳」「雌岳」双方とも、登行ルートの最も危険箇所に雪があることが判明。それでも試みに「雄岩」側の岩壁の基部までは登ってみたが、霜柱が融けた直後らしい急傾斜面は想像以上に足場が悪く、岩壁の縁から妙義連峰の谷急山あたりを望んだのが精一杯で、とてもそれ以上登る気にならず。で… 君子危うきに近寄らず、あっさりと登頂断念、下山と相成った次第であるが… それでもこれで十分興味深い一時ではあった。
とはいえ、一度はどこかピークの上に立たねば、折角の山も消化不良。で、今度は高岩のすぐ近所にある「稲村山」に訪問、一気に登頂。そこからは、先刻訪れた高岩もさることながら、夕刻の淡い陽光の下、白雪をまとった浅間山の煙たなびく姿が実に美しく、しばし目を奪われた。
山梨県・三ツ峠山から富士山を望む
3/21、昨日に引き続き、私一人で山に登れる貴重な機会を無駄にすまいと、早朝に自宅を発、長野自動車道から中央自動車道を南下し山梨方面へ。この日、当初は別の山に訪れる心積もりであったが、いざ山梨県内に入ると、予想以上に天気が良く、富士山あたりも一点の雲もないのを見て、にわかに富士山のクリヤーな姿を間近に目にしてみたい衝動にかられ、急遽目標変更、富士山の好展望台としてオーソドックスかつ有名な「三ツ峠山」への訪問を決意… 一宮御坂ICで高速を下りて「御坂みち」を河口湖方面に駆け上がっていった。
「御坂トンネル」を出てすぐ左に折れ、登山口へと向かう。と… 早速その途中で、右下に河口湖を従えた富士山の良好な展望スポットを見出し、一時停車。これで、まずは訪れた甲斐あり。何枚か写真を撮ってから、さらに登山口まで乗りつけ登行開始。広い道を一時間余も登って山小屋「四季楽園」の前に出ると、ロッククライミングで有名な「屏風岩」を有する三ツ峠山の主峰「開運山」がいきなり眼前に姿を現し、またここで富士山の秀麗な姿とめでたく再会だ。内心快哉を叫びつつ、開運山頂上へ。そこはすこぶる展望良好、南アルプスや八ヶ岳連峰なども良く見渡せたが、やはり第一は富士山だ。今度は河口湖こそ見えないものの、青空をバックに繊細なラインを描く山容の美しいことといったら… このへんからの富士山の眺めは天下一とかよく聞くが、うべなるかな。そういえば私の職場に竹内誠さんといって、この山の魅力にとりつかれて多くの好写真をものにされた上、写真展でも上位入賞されるほどの腕前を誇る先輩の方がいるが、今日は私にも彼の気持ちが何となくわかるような気がした次第。
中野市・箱山と鴨ケ嶽
4/3、中野市の東、通常「東山公園」と呼ばれている一帯に散在する里山に訪問。この日は、一応家族同伴で車を走らせたが、現地では天候が今一つはっきりしなかったので、家族には麓の高梨城址の公園あたりで遊んでいてもらうことにし、私のみ登ることに。
「箱山トンネル」手前の登山口から登り始め、まずは切り通しの箱山峠へ。両側から崖が迫り、路上に落石が散乱する物騒な峠を抜けてすぐ、左に「箱山登山口」の手書きの標識に導かれ、露岩もあって標高の割に結構高度感あふれる山稜をたどり、急傾斜に一汗かいて、石祠などの祀られた素朴な箱山頂上着。到着してすぐ、主に西に開けた展望の素晴らしさに感嘆。眼下の中野市街の俯瞰はもとより、北に中野市のシンボル高社山の屏風のような山容、また西には北信五岳の一峰・斑尾山… 晴天なら、おそらく北信五岳全てが一望なのだろうが、今日は残念ながら他の山々は雲の彼方。その代わり、頂上周辺に春の訪れを告げる咲き始めのサンシュユの黄色い花々に心がなごむ。
しばしの憩いの後、元来た道を箱山峠まで戻り、次いで山城址のある鴨ケ嶽へ。こちらは先の箱山と違い、しっかり遊歩道として整備された良い道が頂上まで通じていて、いかにも中野市民の憩いの森といった雰囲気。山城址らしく、頂上付近は空堀や切岸が顕著で、付近には井戸跡らしきものもあり。展望的には先の箱山とは逆に、主に東の方が開け、湯田中・渋温泉郷あたりが手に取るように見渡せるのが珍しい。
帰りは少々ぱらつき始めた雨の中、七面山展望台経由で「土人形資料館」あたりに下山、無事、家族と合流。
須坂市・臥龍山散策
4/17、須坂市民憩いの山・臥龍山を家族と共に散策。ここは「山」というよりは「丘」といったイメージが強いが、私にとっては親父がたまたま須坂市内に勤務していた中学生の頃から慣れ親しみ、私に山の面白さの片鱗を教えてくれた地。体力的にも、登山というよりは散策気分で気軽に歩けるし、このところ、花粉症や何かと慌しい仕事などにより疲れた心身の癒しを兼ねて訪れるには格好の場所だ。折しも山麓の「竜ケ池」畔の桜もちょうど見頃とあって、花見も兼ねての訪問。「興国寺」脇の駐車場に車を置き、まずは須田氏の山城址のある南の峰へ。途中、興国寺の観音堂や、旧須坂藩堀家の霊廟に頭を垂れつつ、のんびり歩いて、ほどなく城址着。辺りには春らしく、タテハチョウやキアゲハなどが舞い、それを長女が「ちょうちょ、まってー」と歓声を上げつつ追いかけ回している様子がほほえましい。
一旦、元来た道を戻り、次いで三角点のある北の峰へ。地中に岩盤があることにより根が浮き上がってしまっている珍しい「根上がりの松」を眺めつつ行くと、じき山口青邨氏の「囀りや 三太刀七太刀 剣の舞」の句碑を見る。私はこの心地良いリズミカルな響きを持った句が以前から好みである。さらにいくつかの「臥龍山古墳」を過ぎると頂上。そこからは、須坂市博物館の裏手あたりに下りる道をたどって「竜ケ池」畔へ。
「竜ケ池」畔では、さすがに桜見頃の日曜日とあって、それまでの山中とはうって変わって大勢の人出で大変な賑わい。が… ちょうどその頃から、にわかに風が強くなり、砂塵が舞い上がって雰囲気が台無し。心ならずも早々の退散となってしまったが… これもまた春らしいところか。
手軽な北アルプス展望台巡り
4/24、北アルプスの展望を楽しめるという点で定評のある、大町市の鷹狩山と、明科町の長峰山に訪問。
これらの山々は、いずれも頂上近くまで車で上がれてしまうという点で、「山」としてはいささか物足りない面もあるが、その代わり晴れさえすれば、頂上からの北アルプスの展望の素晴らしさには筆舌に尽くし難いものがある。それゆえ、私も何度となく、これらの山々への訪問を繰り返してきたのであるが… しかし今回ほど良く晴れた空の下での訪問は、案外これが初めての経験となった。
もっとも、この日の訪問は当初から意図していたわけでもなく… 金曜日あたりから子供たちが相次いで風邪で高熱を発したりしていて、その対応などで今週末は山はダメかと半ば諦めていたところ、日曜日になったら長男はケロリと回復したことから、折角の晴天でもあるし、せめて山の気分だけでも… とて、にわかに(それも午後1時過ぎてから)長男と2人で車で家を飛び出した、というのが真相なのだが… それが意外や、これまでにない素晴らしい展望満喫の機会になったのだから、やはり行かないよりは、行った方が余程マシということのようだ。
で… それら素晴らしい展望の一部を、いささか小さい画像で恐縮ながら、次にいくつか御紹介。鷹狩山からの眺めなど、本当は早朝ならもっと美しく撮れたのだろうが… 貧乏暇無しの上に地元の人間でない悲しさ、そのへんは御容赦の程を… その代わり、長峰山からの眺めは、日没時の情景撮影という明確な動機付けがあったものとして御覧願いたい(実は偶然そうなっただけなのだが…)。
長閑な春の里山散策〜冠着山と聖山
4/30、ゴールデンウィークらしく温暖な気候の下、「姨捨山」こと冠着山に家族と共に訪問。この山、私には例年元日に訪問してきた御馴染の山ながら、家族同伴で上がったことは案外一度もなく、それに今年の元日は豪雪で訪問を断念していたこともあり… この機会に同山の良さを家族にも知ってもらおうと、早速自宅を車で発。
千曲市・坂井村境の「四十八曲峠」側から林道を上がり登山口へ。そこからノンビリ頂上目指して歩いてゆくと、山中のそこかしこには案外、コブシやアズマイチゲなどが鮮やかに咲き誇り、当初の期待以上に良き山という印象を家族にもたらしたようだ。特に頂上直下の露岩の下など、小規模ながらアズマイチゲが群落をなしていて感激至極。昨年登った佐久の平尾富士の模様を思い出したほど。
頂上ではまず「冠着神社」に参拝、社殿前の木陰にレジャーシートを広げて昼食を済まし、後はしばし頂上周辺を自由散策。子供たちにも極力自由に歩き回らせたが、中でも嬉しそうなのが長女。彼女はどうも、先日須坂市の臥龍山に行った頃から蝶がお気に入りのようで… この日も、頂上周辺の草付きの上に舞うタテハチョウの一種(羽がかなり傷んでいたことから、ヒオドシチョウの越冬個体らしい)などを「あっ、ちょうちょ!」「ちょうちょ、まってー」などと大声で叫びつつ、夢中になって追い駆け回していた。
なお、下山後まだ少々時間あり、ついでに近くの聖山にも車で駆け上がった。が… 空は霞んで眺望今一つ、さして長居せず、家路についた。
葛尾山(葛尾城址)に訪問
5/1、信州の戦国武将・村上義清の居城跡として名高い葛尾(かつらお)山に、長男と共に訪問。
実は今回、私としては、本音では更に先の五里ケ峰まで足を延ばしてみたかったところだったのだが、この日は野暮用のため自宅発が午後になったのと、天候が今一つはっきりしなかったことから、幼少の長男同伴では厳しいと判断し、断念(葛尾山頂で既に15:30だった…)。実際、帰途には雨がぱらつき始めたから、まあ今回はやむを得なかったろう。その代わり、展望的には葛尾山でも十分堪能できるものあり、また、たまたまその場に居合わせた夫婦連れ(古城巡りで名古屋から泊りがけで訪れたのだとか)と、しばし歴史談義に花を咲かせたりして、いささか慌しい中にも、存外明るく楽しい雰囲気の山歩きの機会ではあった。
好展望と素朴さを満喫〜荒船山周遊
5/3、ゴールデンウィークも、はや後半の3連休に突入、折角だから、せめて近所なりと家族でどこか… などと皮算用していたところ、いざとなると、どうも次男が先日来の風邪の後遺症で体調不良の上、今朝になって長女まで微熱を発し(!)、挙句の果てには女房の負担軽減のため、しばし長男のみ家より連れ出して遊ばせて来ざるを得ないハメに(!)。が… 同伴が子供たちの中で一番しっかりしている長男だけなのを幸い、これは、いつもより多少レベルの高い山に行ける絶好の機会! と頭を切り換え、にわかに荒船山への訪問を決意、早速長男と共に自宅を発。
ところが… 今回採用した内山峠からのルート(注:このルートは私も実は今回が初めて)、上信国境の主として上州側に切り立った崖の縁をしばしば通過する上、上部では梯子や手すりが付けられた岩場まで登場し、大人には安全だが幼稚園年長組になったばかりの長男にはやや高級そうなルート。そのため、登りより下りの危険性を考慮し、同ルートの往復はやめ、帰りは安全な荒船不動尊へのルートを下ることとし、結果的には内山峠〜艫(とも)岩〜行塚山(最高点)〜星尾峠〜荒船不動尊、と周遊する、割と歩きでもあり変化に富むルートをたどる形になった。
そして、その間我々の眼前に次々出現した景観の数々たるや(その一部を下に御紹介)… 単なる登山口からの往復のみでは味わえない充実度、しかも、下り着いた荒船不動尊では管理人の女性からお茶を頂いた上、登山開始点の内山峠まで車で送って頂き大感謝(!)。何か「山行」というものの、半ば忘れかけていた本来の魅力めいたものに久々に接することができたような気がした次第。そして、おそらくは我が長男にも、今日の山行の記憶は生涯忘れ得ない思い出のひとつとして、鮮烈かつ確実に脳裏に刻み付けられたことであろうと思う。
5月5日は子供を山へ〜烏帽子岳
5/5、ゴールデンウィーク後半の3連休最終日は「子供の日」。この日は子供を高い所に登らせるものだとか、以前どこかで聞いたのを思い出し… どうせなら秀麗な峰に、と考え、この山への訪問を思いつく。しかし… 子供3人のうち、長女は風邪がまだ完治せず、女房もその付き添いで自宅に残ったので、結局今回は私のほか、先日荒船山を私と共に歩き切った長男と、最近ようやく体調回復した次男の計3人の参加となった。
ルートは、病み上がりの次男の体調を考慮して、最もオーソドックスな地蔵峠から湯ノ丸山の南山腹を巻いていく比較的平坦なルートを採用。峠から3人でノンビリ歩き始める。このルート、最初いささか単調ながら、辛抱して湯ノ丸山の厖大な山体を左から巻いていくと、そのうち目指す烏帽子岳が左手に見上げられるようになる。湯ノ丸山との鞍部で小休止、さらに本ルート中唯一の急傾斜の道を烏帽子岳から南に派生する稜線上へ。そこで西側に東御市あたりの俯瞰の展望がひらけ、一気に開放的な雰囲気に。さらに右へ“偽烏帽子”の岩稜を乗り越えると、そこで前途間近に「烏帽子」の形そのままの烏帽子岳の姿と対面。その右手には遠く四阿山、さらに右に目を転じていくと、例の鈍重な湯ノ丸山を経て籠ノ登山、さらにその奥には、昨年9月の噴火以来、今なお白煙を上げ続けている浅間山の姿が… いや素晴らしい! やはり訪れてよかった。
当然、子供たちも御機嫌で、ようやく到着した明るい頂上では露岩上ではしゃぎまくり(親の方は落ちたり転んだりしないかと心配で全く目を離せなかったが…)。後は大事をとって湯ノ丸山越えは止め、元来た道を戻ったが… それでも一応良き「子供の日」にはなったようだ。