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【山行リスト】
岡山県、那岐山
京都府、大江山中「鬼の岩屋」探訪
京都府、愛宕山参拝
二ツ石峰
清秋の守屋山訪問
籠ノ登山より浅間の噴煙を望む
美ヶ原散策
皆神山に参拝、思索の刻を過ごす
北八ツ・双子山と双子池
地附山に訪問
千曲市の一重山散策
山梨県、雁ケ腹摺山より五百円札の富士山を望む
山梨県、大蔵高丸と帯那山
初冬の鳴雷山
北佐久・八風山と寄石山
佐久間象山ゆかりの山・象山ほか
千曲市・有明山と森将軍塚古墳探訪
岡山県、那岐山
9/18、山陰・近畿への家族旅行の途中、例によって「行きがけの駄賃」のつもりで、岡山県奈義町と鳥取県智頭町との境にある、日本山岳会選定「日本300名山」の1峰・那岐山への訪問を思いつく。
中国自動車道を美作ICで下り、登山口へ。地図で見る限り、山腹のかなり奥深くまで林道が上がっており、頂上まで徒歩1時間強程度と見当をつけていたが… 実際にはその林道、ある程度から上は一般車通行止め(!)、腹をくくって登り始めたものの、今度は途中で雨… 女房子供はそこから引き返させ、私一人で頂上を目指したが… いざ頂上に到着してみれば、結局登山口から2時間余を要していた(!)。
しかも… 折角達した頂上も、周囲は厚い霧に覆われ展望ゼロ、さらに追い打ちのごとくに相当大粒の雨が落ちて来て、頂上直下の避難小屋で雨宿りするハメになるなど散々… ほうほうの体で登山口に下山した時には、全身雨と汗とでずぶ濡れ状態(!)。既に周囲は薄暗く、慌しく乾いた服に着替え、チェックインの時間を気にしつつ、今夜の宿へと向けて車を走らせた。
京都府、大江山中「鬼の岩屋」探訪
9/19、山陰・近畿への家族旅行の2日目は、有名な白兎海岸や鳥取砂丘などに立ち寄りつつ、少しずつ京都方面に向けて戻っていった。その途中、夕刻近くだったが、たまたま地図上に「大江山」の表示を見出し… にわかに、かの有名なる大江山酒呑童子の棲家を一目この目で見てみたくなり、ちょっと時間をもらって「大江山スキー場」あたりから車を山上に走らせた。と… いい加減高くまで上がったと思われる頃、道脇に「鬼の岩屋」の標識を見出したので、折角来たのだし、試みに立ち寄ってみることに。
車を停めてすぐかと思ったら、案外600mほども歩いて「岩屋」前へ。そこは西方に展望がひらけた場所で、岩屋の入口もそちら向きに口を開けていたが、付近の案内板によれば、以前はもっと内部が広かったが、現在では地震の影響による落盤などで狭くなっており、入るのは危険とのこと。それゆえ私も、コウモリの飛翔する内部をちょっと覗いただけで、代りに脇に設置されている立派な展望台に立ち、西の加悦町方面を見下ろしつつ… 往時には酒呑童子の一味も、私と同様このあたりから下界を見下ろしていたのであろう… などと、漠然とした想像を巡らしつつ、次第に暗さを増していく黄昏時の空の下、しばしの刻を過ごした。
京都府、愛宕山参拝
9/20、3連休の山陰・近畿への家族旅行の最終日。この日は、野暮用があって午後2〜3時頃までに長野に戻らねばならず、旅先での余裕時間はほとんどなかったが、たまたま京都市の嵐山近辺で車中泊していたことから、早朝のわずかな時間を利用して、付近にある愛宕山への登拝を決意、未明から登山口に車で乗りつけ、女房子供には申し訳ないが車で待っていてもらい、私一人で登り出した。
周囲は霧模様で、時折霧雨程度の雨も落ちてくる生憎の天候だったが、周囲が明るくなる頃には無事、頂上直下の愛宕神社前に到着。そこはさすがに全国各地にまつられている愛宕神社の総本山、既にして周囲にただよう幽玄な雰囲気は、単に霧のせいばかりでもなさそうだった。呼吸を整え、自分なりに身なりを正すと、私は一歩一歩、頂上にある本殿に向けて、長い石段を登っていった。
「愛宕大神」銘の掛札のある門をくぐると、その先に本殿があった。私は自然厳粛な気持ちとなり、その前に進んで二礼二拍手一拝。それから境内をゆっくり一巡したが、さすがに早朝の上にこの天候、私の他には誰一人として登拝者はなく… 最後に一礼して、門を出ようとした時、ようやくにして一人、神社の関係者らしき人が石段を登ってくるのに出会ったのみ。私は彼に軽く会釈し… いささか慌しかった今回の旅にピリオドを打つべく、家族の待つ登山口へと向けて下山に移った。
二ツ石峰
10/11、小県と東筑摩の境の「保福寺峠」から、家族同伴で「二ツ石峰」に訪問。出発がやや遅れ、峠到着は既に昼過ぎ。
やや大き目の馬頭観世音の脇から登行開始。ひとしきりの急登を乗り越えると、道は左へ稜線伝いに緩く下降。秋山らしく、行くみちみち野菊の花が目に優しいほか、全般的に路上にはドングリが多く目につき、それを拾っては歓声を上げる長男の様子がほほえましい。
下りきって、最後の急登。途中、ススキの茂った斜面を突っ切りながら、ふと背後を振り返ると… そこには塩田平の名峰、独鈷山や、普段目につきにくい大明神岳の端正な円錐形の山容、さらに彼方に最近噴火したばかりの浅間山の秀麗な姿などの眺望が良好に展開。
登りきった所で、入山方面への縦走路から左へ分かれ、ほんのわずかで頂上着。樹林に囲まれ展望なく、三角点標石と山名表示板だけがある地味な場所だが、さらに先にやや踏み跡をたどると、西方の展望がひらけた一角あり。が… そこに展開するはずの北アルプスの眺望は、雲がかかって、まるでダメ。台風一過の晴天を期待して訪れたのだが、残念ながら、皮算用に終わった。どうも、このところ、山に行く度に、こんな巡りあわせばかりだ。前日、長男・次男と共に訪れた東太郎山も、途中降雨で登頂を果たさぬまま退却を余儀なくされたし…
しかも… 無事峠に下り、さあ家に帰ろうと走り出した我々の車の10mばかり先の車道脇から、右手の樹林の中に消えた真っ黒い動物あり(!) ヤレ、山道を歩行中に出会わなくてよかったと女房と2人で肝を冷やしつつ… 山麓へと車を走らせた。
清秋の守屋山訪問
10/17、家族全員で守屋山に訪問。家族は今回が初めてだが、私にとってはこれで3度目の訪問となる。が… 何度訪れても良い山だ。
時季はまさに清秋、しかも今日は、最近の週末の中では一番といっていいほどの晴天。空気が若干肌寒かった点を除けば、家族登山としては久方振りに最高の部類の山行を堪能できた。
この山の第一の魅力は、何といっても周囲の素晴らしい展望。ちょうど長野県の中央あたりに位置するだけあって、南・北・中央アルプスや八ヶ岳連峰など、信州のおもだった山々を一気にぐるりと見渡せるほか、眼下には諏訪湖の鮮やかな青い水面あり… それは、幼少時代を同湖の畔で過ごした私には、一種の感慨を喚起する景観でもある。
まずは東峰に登頂し、昼下がりの明るい陽射しの下で、しばし憩いの刻を過ごす。と… 山の中だと妙にませた感じに見える長女の様子は相変わらずで… むしろ、山の上に来てまでケンカを始める兄貴連中(長男と次男)の方が、よほど子供らしく見えるのが可笑しい。
その後、女房と長女は一足先に帰し、私は長男と次男を伴い、秋色濃い山稜をのんびりとたどって西峰へ。そこでは、期待通りに諏訪湖の素晴らしい眺めあり… 私はそれを俯瞰しつつ、はしゃぐ子供たちを尻目に、ごく限られた時間の中、一人密かに幼年時代の回想に耽っていた。
籠ノ登山より浅間の噴煙を望む
10/23、家族全員で籠ノ登山(東籠ノ登山)に訪問。
日本中に災害をもたらした超大型台風23号の通過後間もないだけに、アプローチが多少懸念されたが、全く問題なく登山口の「兎平」に到着。若干曇り加減ながら明るい陽光の下、頂上からの大展望に期待しつつ、家族と共にノンビリ登行開始。
時刻は既に昼過ぎながら、この山、子供同伴でゆっくり登っても頂上まで1時間弱程度もあれば十分。大して汗もかかないうちに明るく開放的で露岩の重なる頂上着。快哉を叫んで、ぐるりと周囲を見渡せば… やはり第一に目を惹かれるのは、大分沈静化したとはいえ、なおも盛んに白煙をたなびかせている、かの活火山浅間山の姿。前面に外輪山黒斑山の障害があるとはいえ、頂上噴火口からもくもくと白煙が湧き立つ様子は、さすが活火山の迫力十分。ただ… この浅間山以外の山々の方は、残念ながら八ヶ岳連峰はじめ、雲に覆われたものが多く、それゆえ余計に浅間山が目立つ結果となったようでもあったが。
下山時には多少肌寒くなったので、一旦鹿沢温泉側に下り、「鹿沢国民休暇村」で一風呂浴びて帰途についたが… 上田市あたりを走行中、新潟方面でかなり強い地震があり、我々の自宅のある長野市でも相当揺れたとの情報が飛び込んできて愕然とした。浅間山噴火、連続した台風襲来、そして地震… 一体、今年は何たる年なのだろう? まして、つい先刻、例の浅間山の様子を目のあたりにしてきたばかりだっただけに… いささか大袈裟なようながら、地震の報に接して我が胸中に去来した感慨たるや、実際、軽からぬものがあった。
美ヶ原散策
10/24、家族全員で美ヶ原を最高点の「王ケ頭」まで散策。
実のところ、この日は、前日、新潟県中越地方で発生した地震の影響を考慮して、午前10時頃までは自宅で待機していたが… それまでの様子から、どうやら大丈夫そうなので、折角の週末を極力有効に過ごすべく、ちょっと山の雰囲気を楽しむ程度の心積もりで出立。
当初は、茶臼山まで歩く予定だったが、いざ美ヶ原台上まで行ってみれば、結構な寒風吹きすさび… 私一人ならともかく、幼い子供たちを伴う状況では、あまり長時間の歩行は避けた方がよかろうと判断し、最高峰の「王ケ頭」までの往復のみに切り換える。
駐車場から、風に逆らいつつ、有名な「美しの塔」経由で「王ケ頭」を往復。その間の道は全て「王ケ頭ホテル」の送迎バスなどが走る車道で、「山」としての風情には欠けるが、家族連れでの山歩きなら、たまにはこんな所があってもよかろう。この点、茶臼山なら問題ないのだが… まあ「山」とは諸行無常なもの。特に地震直後などという今回のような状況下では、訪問できただけでも儲けものだし… 今回はこれでよしとしよう。
皆神山に参拝、思索の刻を過ごす
10/31、長野市の皆神山に訪問。
この週末は、天候が今一つだったが、日曜日も昼頃になると、大分天候が回復したので、折角の休みであり、多少なりと「山」の雰囲気を味わうべく、最近では珍しく私一人で車で家を飛び出した。
もっとも、この山、ほとんど頂上まで車で行けるので、登山というよりは、頂上の「皆神神社」への参拝といった方が適切だろう。実はこの山、一部の人の間では「太古日本のピラミッド」だと信じられており(!)、皆神神社の参拝者駐車場にも、それに関する説明を記した看板が設置されている(その詳しい内容については別項に譲るが…)。その真否はともかくとしても、この山、かなり古くから山麓の人々の信仰を集めていたことだけは確かであり、それが証拠に、頂上にある熊野出速雄神社の社殿(県宝指定)の創建は室町期にまでさかのぼるという。そも「皆神山」という名からして何か意味あり気だし、一説には、その名のごとく、八百万の神々が集う山であるともいう。そうした事実からすれば、この山を、あくまで日本的な意味における「ピラミッド」と称しても、別段不適当ではない気もする。
そんな先入観をもって訪れたせいか… この山の情景のそこかしこから、何か、ただならぬ「神気」のようなものが発散されているかのような一種異様な感覚を覚えつつ、私は一人、厳粛な気分と共に参拝を終え、帰途についた。
北八ツ・双子山と双子池
11/ 3、蓼科山の登山口として知られる「大河原峠」から、北八ヶ岳の一角の双子山〜双子池まで、家族と共にノンビリ訪れた。
私は、蓼科山には既に何度も登ったことがあるが、双子山の方は、これまで大河原峠近くの一小峰に過ぎないといったイメージが強く、あまり興味を惹かれなかったこともあり、実のところ、今回が初の訪問となったのだが…
明るく、展望の良い頂上に到着した瞬間… 私の、この山に対するそれまでのイメージは一掃された!
何と素晴らしい頂上なのだろう! 開放的な細長い頂稜上に広がる、原始の色濃き草付きの景観は、まるで日本神話に登場する太古日本の情景ででもあるかのごとく… その背景には、蓼科山や北横岳の重厚な山体がどっしりと横たわり、さらに頭上に拡がるのは、若干曇り加減とはいえ、なお鮮やかな青さを見せる大空。何か、本能的な衝動に突き動かされたように快哉を叫びつつ、私は周囲を飽くことなく見回した。その傍らでは、私同様に御機嫌の我が子たちが、いつになく無邪気にはしゃぎ回る姿が… やはり「山」は、最高の体験教育の場のひとつであるようだ。まして、今回のように、思いがけず良き山であってみれば、なおさら。
しばし頂上の憩いを楽しむと、双子池に向けて比較的緩い傾斜の道を下って「双子池」へ。双子池は、その名のごとく雄・雌2つの池があり、きわめて似通ったたたずまいを見せている。傍らの「双子池ヒュッテ」では、既に冬囲いの作業中であったが、そのせいか、周辺には人気も少なく、北八ツらしい静寂な樹林の中、神秘的なまでに美しく澄んだ水を湛える池畔を、しばし逍遥した。
地附山に訪問
11/ 7、長野市の地附山に訪問。
この山、私は実は学生時代、隣の大峰山と共に、山のトレーニングの合間にしばしば訪れた馴染みの山。が、有名な「地附山地滑り」の発生後は、何か気がひけ、この十数年まるで訪れていなかったが… 今回、家族と共に、久方振りに「霊山寺」の登山口から登ってみることに。
途中「上杉謙信物見の岩」の右側を巻いて行く。この岩もまた、私は学生時代によく岩登りの練習に訪れたもので、岩上に出ると長野市街の眺望が良いが、幼い子供同伴では危険そうなので、長居せず、そのまま進み、頂上へ。
この山の頂上一帯は、戦後一時期は公園として整備され、ロープウェイや動物園まであったが、私が高校生の頃には、既に営業廃止しており… 当時から、何やら寂しさを感じる場所ではあった。それから十数年、現在はどんな具合かと興味津々で頂上部に足を踏み入れてみると… 比較的新しいTV塔がある他は、意外や、当時とあまり変わりなく、ロープウェイ駅の残骸も、薄穂の中に依然として無残な姿をさらしている。かつて公園の中心部だったらしい広場に女房と子供を待たせておき、最高点らしい場所へと薮をかきわけて進む。と… そこには、今やほとんど拝む人もなさそうな石祠が1基、ひっそりとたたずんでいた。私は、何か複雑な気持を抱きつつ、それに一礼し、その場を後にした。
千曲市の一重山散策
11/13、千曲市の屋代駅あたりの背後(東)にある一重山を家族と共に散策。低山ながら、結構変化に富み、意外と充実度の高い好峰。
この山、小さいながら、前述の通り屋代駅の背後あたりに、意外な存在感をもって鎮座しており、私もかなり以前からいずれ一度は訪れてみたいと思っていたところだが、なぜかこれまでその機会なく、今回が初の訪問。北の尾根の末端部の登山口から、早速登り出す。
人里近い山だけあって、行くみちみち「一重山不動尊」「御嶽神社」「矢代神社」と、麓の人々の信仰を物語る寺社に頭を垂れつつ進む。矢代神社の境内は明るい広場になっており、ここからは東に鏡台山や、西に屋代の街並みなどの展望が良い。神社の先で一旦下り、ニセアカシアの茂る草原を突っ切ると、道は再度登りとなり、一気に登り切ると、また先刻の矢代神社前のような明るい平地に飛び出る。その平地の脇に「屋代城跡」の看板あり、私はそこで初めて、この山がかつて戦国時代、村上義清の支族の屋代氏の居城だったとの事実を知った。そこが同城の本丸跡で、かつ一重山の頂上。いかにも山城跡らしく、頂上平地の東の縁には往時の名残とおぼしき矢竹が繁茂する。展望も先の矢代神社と同じく良好で、特に今度は西に冠着山が、その特徴的なドーム状の山容を樹間に見せてくれていた。
山梨県、雁ケ腹摺山より五百円札の富士山を望む
11/20、家族と共に、山梨県大月市の雁ケ腹摺山に訪問。
この山、その面白い山名もさることながら、今は見ることも少なくなった五百円札に描かれた富士山の原画写真の撮影地であるという事実で有名。それゆえ私も、是非一度はここを訪れて、その五百円の富士山を望んでみたいと思っていたところ。
ところが… いざ訪れてみると、富士山は見えるには見えたものの、前面に鬱陶しい雲塊がしつこくまとわりつき、終始今一つスカッとした眺めという訳にはいかず… それすらも我々が山頂を辞する際には、全く雲の彼方へと消え去ってしまった。
少なからず残念だったが… それでもまあ、地元の人間でもないのに、いきなり思いつきで訪れて、まがりなりにも五百円札の富士山の雰囲気の片鱗だけでも味わえたのだから、今回はこれでよしとしよう。
山梨県、大蔵高丸と帯那山
11/21、家族と共に、前日に引き続いての山梨県の山歩き。場所は、前日登った雁ケ腹摺山にほど近い「大蔵高丸」「破魔射場(ハマイバ)丸」という、変わった名前の山々。実のところ、前日に雁ケ腹摺山から望んだ富士山が、雲のため今一つだったことから… 今日こそは是非ともクリアな眺めの富士山に遭遇したく… 登山口の「湯の沢峠」から、背に負った長女の重さに耐えつつ、一気に大蔵高丸の頂上に躍り出たのだが…
次の瞬間、ガックリときた… 何と、期待した富士山は雲に覆われて全く見えないではないか! アプローチの車中からは、まだ鮮やかに白雪を頂いた姿が望まれていたのに… また、遠く西に連なる南アルプスには雲一つかかっていないのに…
我ながら、落胆が自身の表情に出ているのがありありと判るほど、いかんともし難い悔しさが全身につのった。が… それを周囲の者に気取られるのがいやさに、女房子供はその場に待たせておき、一人でそこからやや南の破魔射場丸を早足で往復しながら気を静めてくるハメに。
なお、下山後まだ少々時間があったので、折角だからと長野への帰途につく前に、アヤメの群生地として有名な帯那山に車で駆け上がる。駐車後、徒歩ほんの10分ほどで頂上という手軽な山ながら… 皮肉にもここでようやく憧れの富士山が、南にかすかに姿を見せてくれていた。
初冬の鳴雷山
12/11、家族と共に、塩尻市の鳴雷山に訪問。
実は私は、数年前(平成12年)の3月中旬に、一度この山を目指して訪れ、その際、三角点のあるピーク(1,160.3m)に達したので、つい最近までこの山には登頂を果たしたものと思っていたのだが… 後で何かの拍子に国土地理院の地形図を見ると、どうも三角点ピークのわずか西に神社のマークを印した峰があり、そちらは三角点ピークよりも若干低い(1,092m)が、「鳴雷山」の山名表示もそちらにあることに気付いた。それで、もしや真の鳴雷山の頂上はそちらではないかとの疑念を抱くに至り… 今回、その疑念を晴らすという目的をも兼ねて訪問。
登山口付近の狭いスペースに注意して駐車し、登行開始。と… 道は予想以上に良く、幼少の子供同伴でも全く心配なし。途中、林床一面にシダが密生する樹林中を通過したが、そこでは霜にやられたのか、大部分のシダの葉が萎れて地面にぴったりと張り付き、辺り一面まるで絨毯でも敷き詰めたかのような異様な光景を呈しており興味深し。
主稜線上に達すると、そこで樹間に南東の霧訪山方面の山並みが目に飛び込んできた。道脇の木の根方にひっそりとたたずむ素朴な石仏に心がなごむ。登行開始後、約1時間で、待望の頂上着。そこには「鳴雷神社」が祀られていたが、この神社、静寂な山上の小祠ながら、前面に幣殿まで設けられているなど、山麓の人々の信仰の厚さが感じられ… やはり、こちらが真の鳴雷山なのだということを明瞭に認識。
「鳴雷」という、どこか荒々しげな山名の由来などに想いを巡らしつつ… 私はそこで家族と共に、しばし憩いの刻を過ごした。
北佐久・八風山と寄石山
12/12、昨日に引き続き、家族と共に、ちょっと軽い山登りを… というわけで、軽井沢の南にある八風山に訪問。
上信越自動車道の「八風山トンネル」で、山名だけは結構有名と思われるが、実際にこの山に訪れる向きは少ないようで… この日も同山中で出会った人は全くなし。もっともこの山、「妙義荒船林道」脇の登山口から、ほんの15〜20分程度も登れば頂上に達する容易な山。それゆえ、前日の鳴雷山では疲れたといってベソをかいた長男も、今日は嬉々として霧氷をまとった樹林の下を駆け抜け、見事に頂上一番乗りを果たしていた。頂上は明るい平地で、妙義連峰や鼻曲山、荒船山京塚山などが望まれたが、最も望みたかった浅間山方面は潅木に展望を遮られ、下山中わずかに樹間にその姿を望めたのみ。
なお、これだけでは、いささか手軽過ぎて物足りないので、この後私のみ、八風山よりやや南にある「寄石山」に訪問。が… こちらは八風山と違って道も不明瞭で、頂上らしき場所にも別段標識があるでもなく、また樹林に囲まれ展望もほとんど得られず… 今一つ、食い足りない心持を抱いたままに下山するハメに。やはり、八風山だけで止めておけばよかったか…?
佐久間象山ゆかりの山・象山ほか
12/23、長野市にある「象山」などに訪問。この日は最近では珍しく、私一人での山歩きだったが、後刻に野暮用がひかえていたため、午前中の、それも10時頃までに登って引き上げるという慌しい中での訪問。
象山は、長野県人なら県歌『信濃の国』でおなじみの信州の偉人・佐久間象山ゆかりの山。佐久間象山は幕末の開国・公武合体論者であったが、同時期の多くの志士のたどった運命と同様、彼もまた志半ばで急進的攘夷論者の凶刃に倒れた。その彼の住居跡が象山の麓にあり、「象山神社」と隣接している。象山に訪れる場合、道の狭い古い城下町のこと、駐車場所が象山神社の参拝者用駐車場くらいしかないので、自然、同神社にも参拝する形になるが… 境内には佐久間象山が利用したという古い建物が移築されたりしており、一見の価値は大いにある。
頂上までは、象山神社から長野市の遊歩道をたどり、ほんの15〜20分程度で到達。標高470mを少々出る程度の低山ながら、眼前に拡がる善光寺平や、その背後に連なる白雪をまとった飯縄山や戸隠連峰など、展望は良好。短時間の山ながら、その割に爽快感は格別。
なお、この日は他に、折角だからとすぐ近くの妻女山にも訪れてみた。この山もまた、象山同様、歴史的には興味深いスポットで、有名な武田・上杉の川中島の戦いの中、最激戦となった永禄四年の合戦の際、上杉謙信が本陣とした場所として有名。本陣だけに、展望は象山同様良好。もっともこちらは、車道が頂上展望台まで通じており、全く汗をかくことはないが…
千曲市・有明山と森将軍塚古墳探訪
12/25、千曲市の有明山に訪問。この山、実は先日(11/13)訪れた一重山のすぐ南の峰で、同峰訪問時以来、私には何となく気になっていたもの。なお、この日は午前中は年賀状書きなどをしていたため、登山開始は午後、それも15:30頃という遅い時刻になってしまったが、それでも十分登ってこれるのが「里山」の良いところ。ただ、さすがにそんな慌しい山歩きのため、今回は家族は伴わず、私一人での訪問。
「長野県立歴史館」のやや西から、有明山と一重山との鞍部あたりまでは車で上がれる。一重山(屋代城址)の案内板があるあたりより、やや手前の左手に「有明山将軍塚」への入口があるので、そこから入山。送電線巡視路を兼ねた良い道を、稜線上まで一気に飛び出た所が「有明山将軍塚」。特に標識もないが、はっきりそれと判る見事な前方後円墳。後述の有名な「森将軍塚」より規模は小さいが、それより高い山中に、かなりの規模で築かれているところからみて、被葬者は相当の地位の人物とみて間違いないだろう。
有明山の頂上は、そこから南東方向に緩傾斜の尾根を若干たどった所。樹林に囲まれ展望は今一つ、片隅にひっそりと三角点が埋設されているだけという地味な場所。樹木の障害がなければ、さぞかし西に冠着山あたりの眺めが良好であろうに… いささか残念。
ただ… そんな悔しさも、下山時に例の「森将軍塚」に立ち寄って一気に吹っ飛ぶ。こちらは一転して展望良好、善光寺平や飯縄山などの眺めよし。おそらくは、この塚の被葬者もかつて同様に周囲を見渡したことだろう。次第に暮れゆく夕空の下、私はしばし往古の昔に想いをはせた。